トンネル、抜ける

古間木紺

トンネル、抜ける

ペンギンの旅行補助者募集

飼育員経験がなくてもOK! 旅行が好き、ペンギンが好きという方の応募をお待ちしています!


《業務内容》

水族館内で飼育しているペンギン(1匹)の付き添い。

《労働条件》

契約期間:8月20日〜22日(終日)

     ※弊施設(東京江戸川水族館)にて事前研修が3日間あります。日程は要相談。

雇用形態:アルバイト

賃金:日給5万円

   ※交通費、宿泊費、食費は支給。


採用者は、こちらの指定する旅行保険に加入することになります。

業務内容の詳細は、プライバシーのため控えさせていただきます。

応募者は、ペンギン担当有森(03-XXXX-XXXX)までお電話ください。日程を調整したうえで面接を行います。


 悠希がこのチラシを初めて見たとき、泊まりがけの短期バイトにしては日給が高いと思った。それにペンギンが旅に出るなんてあり得ないはずだし、そもそも初心者でも応募可能なのも変だから、実在する水族館を騙る巧妙な闇バイト募集かもしれないとも思っていた。

 けれど全部嘘じゃなかった。大学休学中のフリーターは採用されて、水族館からペンギンと車に揺られている。

「おお、これが東京駅! 新幹線がいるんですよね!」

「そうだね」

 車の後部座席、悠希の隣でペンギンのアカシが声を上げた。東京駅の外観に目を輝かせて、シートベルトから抜け出しそうになっている。

「事前に東京駅の写真を見せたんですけど、やっぱりペンギンでも写真と実物の違いが分かるみたいですね」

 運転手の有森とバックミラー越しに目が合う。彼女は驚いているようだが、悠希はそうでもなかった。なんてったってペンギンとコミュニケーションが取れている衝撃の方が大きい。

 水族館の生き物の半分は、日本語が話せるようになるのだという。特に好奇心旺盛なペンギンの場合、ほとんどが流暢に話すようになる。今回の主役であるアカシもその例に漏れなかった。

「着きました! 駐車場空いてて良かったです。これで改札まではついて行けますね」

「助かります」

 悠希はアカシのシートベルトを外しながら返した。アカシにミニショルダーバッグをかけて、座席から下ろしてやる。

 今回の旅行に有森は同行しない。有森は有森で、他のペンギンたちのオフに付き添う必要があった。

 東京江戸川水族館のペンギンエリアは、八月から長期メンテナンスに入った。飼育自体は続けられるものの、ペンギン担当のスタッフたちはペンギンたちに夏休みを与えた。どこか好きな場所や行ってみたい場所で、オフを過ごしてはどうか。

 ペンギンたちは、口々に行ってみたい場所を叫んだ。屋外展示のある水族館で遊んでみたい、前いた水族館に帰省したい、お世話になった飼育員に会いたい、南極に行きたい。南極こそ叶えられなかったが、それ以外の要望を叶えることはできた。

 有森は、他の飼育員とともに隣の区の屋外展示の水族館へ、ペンギン二十匹を連れて行かなければならなかった。他のスタッフも他のペンギンにつくことになり、アカシの旅を叶えるべくアルバイトの募集がかけられて、そして悠希に白羽の矢が立った。

「――私はここまでかな。悠希さん、よろしくお願いします」

「はい。しっかりアカシを見守ります」

 悠希は深々と頭を下げた。当の本人であるアカシは、物珍しそうにきょろきょろしている。

「チケット通すのってどれですか!? ねぇ! 悠希さん!」

 お辞儀の最中、アカシがデニムを突いてくる。地味に痛い。

 ずいぶん恩知らずなペンギンだと思う。有森さんは仕事の合間を縫って送ってくれたんだぞ。もしそれがなければ、通勤ラッシュに押し潰されて旅どころじゃなくなっていただろうに。

「アカシが行きたがっていますから、私はさっさと戻ります! 定期連絡だけは忘れないでくださいね」

「はい」

 人混みに有森が紛れたところで、悠希は振り返った。デニムはすっかりダメージデニムになっている。

「アカシ、それじゃあ行こうか」

「早くチケット!」

「はいはい」

 悠希はアカシのショルダーバッグから特急券と指定席特急券を取り出した。切符が見えるやいなや、アカシがくちばしでそれらを挟む。それを確認した悠希がアカシを抱き上げた。

「アカシ、あの枠のところにチケットを刺して」

 練習でもしたのか、アカシはすんなりと切符を改札に通した。泳いでいるときのような姿勢のまま、取り出し口にアカシを合わせる。切符を取るのもアカシだった。

「うわあ、あんまり見かけない人間ばっかりだ」

「そんなにあそこの水族館に人が来ないってこと?」

 うーん、と呟きながら、アカシは忙しなく首を動かす。違う道に進みそうになったり、人にぶつかりそうになったりするとき以外は、アカシを自由に歩かせている。

「なんか……こんなに大きい人間初めて見ます」

「そういうことか。みんなアカシと一緒だよ。これから旅行するんだ」

 見たことのない人間とは、大荷物の人間のことだった。日本語が流暢とはいえ、あくまでもそれは生き物レベルの話であって人間レベルではない。汲み取る必要がある。

「新幹線はどこで乗れるんですか!? 早く乗りたいです!」

「あ、待ってアカシ。ここのエスカレーターに乗ろう」

 人間観察に飽きたアカシが、ペンギンなりに突っ走ろうとする。そのアカシを止めて、そばにあるエスカレーターまで歩く。タイミングを見計らって、一緒に踏み込んだ。

「動く階段……! これに乗れば新幹線乗れますか!?」

 アカシのこちらを見上げる目は輝きを失わない。スマートフォンで時間を確認する。

「うん。間に合うよ」

「よかったあ。有森さんから聞いてるんですよ。決めた新幹線に乗れないと、二度と乗れないって」

 そんなことはないけれど、たしかに面倒なのは悠希も知っている。それに今回は指定席特急券なのだから、逃したら経費的な意味でも痛いだろう。

 偶然にも、エスカレーターの降り口からすぐのところが乗車場所だった。折り返しの発車のようで、新幹線は停車している。

「アカシ、ここで待とう」

「新幹線は!?」

 グワーとアカシが鳴く。興奮は最高潮に達しているようだった。

「ここにいるよ」

 アカシを持ち上げて、新幹線を見せてやる。行き先表示は博多。きっともうすぐ中に入れるだろう。

「うわあ! 早く乗りたいです! あの文字は新神戸って書いてあるんですか!?」

「あれは博多ね。途中で新神戸に停まるんだよ」

「新神戸で降りたら立野さん!」

「そうだね」

 アカシは、お世話になった飼育員に会いたいペンギンだった。立野に会うために旅をする。

「早く立野さんに会いたいです! 新幹線は速いですか?」

「車の比じゃないくらい速いよ」

 立野は、二年前まで東京江戸川水族館に勤務していたらしい。しかし家族の都合で実家に戻ることになり、地元の水族館で働いている。事前研修では、悠希も立野と顔を合わせていた。

 アカシはどの飼育員よりも立野に懐いていたという。アカシの話になると、立野は懐かしそうに微笑んでいた。

「でもなんで新神戸なんですか? 立野さんは明石の水族館にいるのに」

「有森さん言ってなかったっけ。明石駅に新幹線は止まらないから、新神戸で降りて立野さんと待ち合わせだよ」

「そっかあ」

 手が限界になってきたので、悠希はアカシを下ろした。アカシはきょろきょろ首を動かしている。

 新幹線の方はというと、清掃スタッフが降りてきたところだった。いよいよ乗車だ。悠希の数少ない思い出を辿るなら、乗り込んでわりとすぐに出発するはず。

「アカシ、乗るよ」

 グワーとアカシが雄叫びを上げた。さすがに周囲の旅行客がチラチラと見てきたが、気にしないでアカシを持ち上げる。それを待っていたかのように、新幹線のドアが開いた。

「新幹線! 新幹線に乗った!」

「ちょっとじっとしてて」

 悠希の忠告むなしく、アカシは興奮のままに身体をバタバタ動かす。仕方がないので乗り込んですぐに下ろした。

「あ、違うこっち!」

 そっちは自由席車両だよ、と声を掛けながら背中に手を当てて行き先を示す。ペンギンなりの全速力で車両に入っていった。

 無事に座席も見つけて、アカシを窓側の座席に立たせると、アカシは翼を振り回した。

「もう新神戸に着きますか!?」

「乗っただけじゃん。……まぁ今動き始めたけど」

 アカシは身を乗り出して景色を眺めている。

「すごい! 泳いでないのに泳いでいるみたいです! ……もっと早くなってきました!」

 もはや実況と化したアカシの喋りは止まらない。やれ海がひっくり返っているだの、やれ人間がいないだの。悠希はひとつずつリアクションをしたり、突っ込んだりした。あれは空といって海ではないこと、人間は小さすぎて見えないこと。知識を得たアカシは、嬉しそうにしていた。

 静岡県に差し掛かろうとしたところで、アカシが静かなことに気付いた。ちらりと見ると、目を瞑っている。

「アカシ、景色だいぶ変わってきたけど」

「……」

 寝ている。きっと初めての光景と知識に圧倒されて、疲れたのだろう。有森に定期連絡を入れて、悠希もひとつのびをした。

 新幹線まで乗れたのだから、悠希の仕事の三分の一は終わったも同然だろう。なんだかんだ生き物初心者のわりにうまく事を運べている。アカシがよく喋って動けるというのもあるかもしれない。

 そういえば、と思う。アカシが明石市の水族館に行くなんて、とんだダジャレになっている。

「――まもなく、名古屋です」

 車内チャイムのあと、自動放送が流れた。名古屋は降りる人も多いから、車内が騒がしくなる。その音でアカシが目を覚ました。

「新神戸!? 新神戸ですか!?」

「ううん、名古屋だから! まだ景色見てていいから!」

 降りなきゃ!と座席の上であたふたするアカシを落ち着ける。アカシはテンションが高くなると翼を激しく動かす。かなり強いので、ぶつかると殴られたみたいに痛い。けれど決してわざとやっているわけではないから、何も言わないでおく。

「早く立野さんに会いたいです! 立野さーん!!」

「ここに立野さんいないから!」

 もうアカシは新幹線に飽きたのかもしれない。しかし新神戸までは長い。悠希は、有森から隠し渡されたイワシを取り出した。

「アカシ、いる?」

「食べます!」

 おやつに意識の行ったアカシは落ち着きを取り戻した。再び窓の外を眺めている。ただ目つきは変わり、思いに耽っているような目つきをしていた。

「そんなに立野さんに会いたいんだね」

「僕が頑張ってるところを、いちばん立野さんに見てほしいんです」

「……頑張ってるところ」

 アカシは大きく頷いた。

「僕の親は、卵の僕を棄てちゃったんです。その僕を拾ってくれたのが立野さんで、立野さんは僕が大きくなるまで育ててくれました」

 それでか。悠希の中で辻褄が合う。立野は飼育放棄されたペンギンに自分の故郷の名をつけたから、今回の旅行がダジャレになっている。

「お世話になったんだね」

 ゆっくりまばたきしたアカシはそのまま続ける。

「いっぱい色んなこと、教えてもらいました。ちゃんとごはん食べることとか、日本語とか」

 有森は水族館の生き物なら自然と話すようになると言っていたが、アカシにかんしては個人的に教わってもいそうだ。

「アカシは上手に喋るもんね」

「ペンギンたちの中でいちばん僕がうまいです!」

 自画自賛のアカシが、ぐいと胸を張った。悠希は他のペンギンと話したことはないけれど、アカシの言葉は嘘ではないと思った。

「僕は春に産まれて、夏には他のペンギンのところに戻ったんですけど……でもうまくいかなかったんです」

「うまく?」

 先ほどまでとは打って変わり、アカシは背中を丸めた。

「僕は卵のときから人間のところにいたから、ペンギンたちのなわばりとか、なんとなくだけどこうするっていうのを知らなかったんです。だから怒られてばかりで……」

 それに立野さんもいないし。アカシはぼそりと続けた。

「立野さんがエサ当番で僕たちのところに来たときに、立野さんのところがいいって言ったことがあるんです。そしたら」

「そしたら?」

「夏は頑張る季節だからって」

 直接立野に言われていないのに、その一言は悠希に刺さった。今自分は何ができているだろう。きっと言葉を受け取ったアカシは血の滲むような努力をした。じゃあ自分は?

「僕は信頼できるペンギンを見つけて、そのペンギンをよくよく観察しました。ここはみんなのスペースなんだなとか、プールの中はこういう風に泳げばいいんだなあとか」

 そうやって、アカシはペンギンコミュニティで居場所を作ったという。今や仲良しのペンギンは何匹もいると、楽しそうに教えてくれた。

「でも、そのときには立野さんはいなくなってました。寂しかったです。友達はいても、立野さんの代わりはいないから」

「そっか」

 熱烈なメッセージだった。アカシは親代わりの立野を慕っていて、それが言葉と行動に表れている。

「立野さんがいなくても、僕は頑張るのを続けました。嫌いな魚が出ても食べたり、小さなペンギンに話しかけてみたり」

「……なんで、アカシは頑張るのを続けたの? ペンギンたちと仲良くするのが最初の目的だったじゃん」

 努力し続けることは楽しいことばかりではない。そもそも楽ではないのに、辛いことが頻繁に起こる。それは人間もペンギンも変わらないと思う。

「頑張ったらいいことがあるからです」

 アカシは決然と言ったが、悠希にはそう思えなかった。努力して目標が、夢が叶うのはひと握りだ。たまたまアカシがだっただけで。

「嫌いな魚を食べるようになったら、有森さんが褒めてくれました。独り立ちしたてのペンギンにプールで泳ぐコツを教えたら、感謝されたこともあります。ちょっとの勇気で僕の世界は広がりました」

「……よかったじゃん」

 アカシは目を細めて大きく首を縦に動かした。

「新幹線に乗って、僕がもっと大きくなったことを立野さんに見せて、いっぱい褒めてもらいたいです! あと、頑張ってよかったって言いたいです!」

 ちょうど日がさして、アカシが眩しくなる。ペンギンの大冒険は、単なる見識を広げるためのものではなかった。その身に収まりきらないほどの愛を伝えにゆくものだった。

 悠希は乗車前を思い出した。有森との別れを気にしない恩知らずなペンギンだと決めつけていたが、むしろ恩義のあるペンギンだった。

「そういえば、なんで悠希さんは僕の付き添いをしてるんですか? 悠希さんも立野さんに会いに行くんですか!?」

「ううん」

「立野さんと知り合いですか!?」

「いやだから違うって」

 アカシの質問攻めを交わしつつ、どう説明しようか考えあぐねていた。

 悠希は旅行もペンギンも特別好きではない。嫌いではないけれど、たぶん言うなれば普通。おべっかを使うのは自分らしくないし、かといって正直に言ってしまってもかわいそうではある。

「……あんまり家にいたくなくてさ」

 結局、架空の話はできそうもなかった。状況の分かってなさそうなアカシを尻目に、悠希は話を続ける。

「私も頑張ってる、というか頑張ってたことがあったんだよ」

 頑張ってる、という言葉にアカシは目を輝かせた。

「悠希さんは何を頑張っているんですか?」

「作曲。音楽大学で勉強してるよ」

 アカシの顔を見つめると、初めての単語に戸惑っていた。

 この世の中には音楽というものがあって、それを作るのが作曲と呼ばれることで、自分は音楽大学というところでそれを頑張っている、とかなりざっくり説明した。なるほど、とアカシが大きく首を動かす。分かってなさそうな言葉は逐一説明してあげた方が良さそうだと思った。

「私もアカシと同じで、大学入ってからは慣れないことばかりだったけど、ずっと頑張ってた」

「いいこと、ありましたか?」

 無邪気に訊ねるアカシをよそに、悠希の心はすっと冷えてしまう。

「……なかった」

 吐き出した言葉は、アカシを黙らせるのに十分だった。

「うまくできないなりにできることは増やしていったけど、新しく入ってきた人に抜かされてさ」

 思わず目を閉じてしまう。去年の出来事が脳裏に浮かんだ。

 大学四年になって、学内オーケストラのための委嘱作品のオーディションに参加できるようになった。同級生は前から出していたが、悠希は師事する先生からの許可が出なかった。それだけ遅れていた。

 初参加のオーディションで選ばれたのは、一年生の作品だった。悠希の作品は最終選考にすら届かなかった。

 言い訳はいくらでもできただろう。例の一年生は入学前より神童と持て囃されていた存在だし、そもそも悠希は出来損ないの四年生なのだから、元から結果は分かっていたようなものだ。けれど、この結果は悠希の心をへし折るには容易かった。

 作曲家として活躍することを夢見て入学しても、なかなか芽を出せずに、受賞歴のひとつもないまま卒業することになる。就職活動だってしていない。両親、特に母親は夢を応援してくれているけれど、その声に応えられるのはいつだろう。不安と焦りが悠希の心を蝕んだ。

 そんな状態だから大学へ通えなくなった。一日が過ぎるのを家で待つだけ。

 空虚な悠希を、母親は心配そうな目で見つめていた。それもなんだか申し訳なくて、自分のことなのに見ていられなくて、悠希は逃げるように東京江戸川水族館で過ごすようになった。そうして、あのチラシを見つけた。

 さすがにこの流れをアカシに説明するのは難しかったから、簡単な言葉で大まかに伝えた。話を聞いたアカシは、目をつぶったまま何度も頷いた。

「それは……大変でしたね。うまくいかなくて辛いのは、僕も分かります」

「ありがとう」

 まさかペンギンに慰められる日が来るとは。とはいえとても癒される。

「悠希さん。僕が頑張ろうと思った理由は、立野さんに褒めてもらおうと思ったからです」

「うん?」

 キリッとアカシがこちらを見上げる。相槌だけ打って続きを待った。

「辛くても頑張って、それで立野さんが褒めてくれるならって頑張ったんです」

 アカシは今後の自分の生活のためではなく、今後の自分が褒められるべく努力したらしい。意外だが、どこかで納得している自分もいた。

「立野さんがいなくなっちゃってもいいことはあったので、それで頑張り続けているんですけどね」

「えらいよ、アカシ」

「そうですか?」

 アカシは照れるように鳴いた。きっと今でも立野に褒められたくて頑張っているのだろう。そうでなければ、新幹線に乗って会いに行きたいなんて言わないはずだ。

「それで……えっと、何の話をしてたんでしたっけ」

「私がもう頑張れない話だよ」

「そうでした」

 自分で要約した言葉は、まるで毒のようだと思った。しかしアカシは気にせずくちばしを開いた。

「たぶん、自分がこうなりたい、できるようになりたいものって、そのときになれるとは限らないんじゃないですかね」

 アカシは悠希や窓を見ることなく、前を見つめていた。

「僕だって、苦手な魚が食べられるようになったことは、立野さんに褒めてほしかったです。でも、頑張ることを続けていたら、立野さんに会えるチャンスが来ました。きっと、ずっと頑張るのを続けていたら、欲しかったものじゃなかったとしても、いつかいいことがあると思うんです」

 今度はそちら側のペンギンだなんて思えなかった。アカシは優しい。上手くいかなくて頑張れない人間を前に、きっと、と前置きして励ましてくれた。

 続けるのは簡単なことではない。しかし続けていなければ、誰かが抱きしめてくれることもない。アカシにとっての立野のように。

 じゃあ自分にとっては? そこで悠希は母親を思い出した。彼女のためにも、自分のためにも、もう一度鉛筆を握ろう。

「アカシ、ありがとう」

 何のことだか分からない、と言わんばかりにアカシは首を傾げる。悠希は頭をぽんぽん撫でてあげた。

 たぶんきっと分かっている。ひとりと一匹は、トンネルを抜ける。

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