塩むすび

snowdrop

ごちそう

「ごめん、入れ忘れた」

 母の明るい声がする。

 目をこすりながら重い足取りでリビングに入ると、扇風機の前に足を投げ出す姿がある。テレビからは、今日も各地で猛暑日になる予報です、と嬉々とした声が聞こえた。うれしそうにいうんじゃないよ、そう思うと足の指に力が入る気がした。

 シンク前に行き、起き抜けの水を一杯、口に運ぶ。今日もぬるい。

 窓際の台の上に、ラップにくるまれた白いものが置かれているのに気がつく。

 なんだろう。

 ろくに見えない目に、両手の付け根を押し当てこする。

 眠い目を、さらに細めてみる。

 うーん、よくわからない。 

 ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ……。

 数えながら、寝汗のしみこんだシャツをつまんでは離すをくり返す。

 寝起きはとくに、世界は白くぼやけている。

「あー、ご飯ね」

 ようやくわかって声を上げれば、

「あれこれやってると、入れ忘れるのよね」

 と返ってくる。

 うちのご飯は、白くない。

 ゆめぴりかに、モチ麦、黒豆、十六穀米を入れて炊くため、見た目が赤飯に似ている。最近は、発芽玄米も入れるようになった。ただ、一時間以上、水に冷やかしておく手間がいる。その間、洗濯物を入れたり、取り出して干したり、朝食の準備をしたりしているうちに、黒豆や雑穀を入れ忘れたのだろう。

「べつに。困るのは、自分なんだから」

 健康診断の結果を気にして入れはじめてから、白いご飯をほとんどみない。今日のように、母のうっかりが顔を出さない限りは。

 炊きあがったご飯を蒸らしたあと、一食分ずつ、丸く平たくして、ラップに包む。あら熱をとってから冷蔵庫に入れるために。

 窓際の台の上にならぶ白い物体の正体である。

「久しぶりの色だね」

「ご飯のおいしさがわかるから、いいんじゃないの」

 そうだねと答えてから、棚からきなこ、冷蔵庫からオーツミルクと無調整豆乳、一口サイズに切り分けられたバナナとキウイフルーツの皿を取り出す。

 マグカップに半分ずつ注ぎ、きなこを入れて特製ミルクを作りあげると、引き出しからフォークを取り出す。皿にかけられたラップをはずしてから、バナナに突き刺し、食べる。いつもの動きに、思考が入り込む余地はない。

 冷たさに、もにゅっとした食感。甘さと酸味が口の中に広がっていく。粉っぽくて味気ない特製ミルクを一口飲んでから、冷蔵庫へ飲み物を戻したとき、ふと、なにかを思い出す。

 手のひらを目に押し当てこすりつつ、キウイフルーツを口にする。冷たさに酸味が追いかけ、柔らかさとともに、あとから甘みがやってきた。

 シンク前に立ちながら食べていると、重いまぶたが少しあがる。

 横一列に置かれた白いご飯。

 耳たぶをかいていると、そういえばと浮かんでは、眠気で消えそうになる。目を閉じかけ、いかんいかんと、重い頭をもたげる。

 そういえば、と脳裏をよぎる。

 父は、まぜご飯を嫌っていた。

 そのくせ、赤飯や栗ご飯、松茸ご飯はおいしそうに食べるのだから、ただの好き嫌いにしか見えなかった。

 父は戦時中生まれ、といっていた。が、終戦は八月十五日。たかが一日の差。実質、戦後だ。でも海外では九月二日、東京湾上に浮かぶ米戦艦ミズーリ号で日本が降伏文書署名を行ったので、第二次大戦終結の日と位置づけている。つまり、戦時中となるのかしらん。

 物がない時代を過ごしたといっても、赤ん坊のころの話。物心ついたときには食べ物があるようになったはず。それでも、ご飯なんて滅多に食べられず、芋や南瓜ばかり。芋のつるまで食べたという。ご飯を炊くときも、かさましで粟や稗や麦が入っていたそうな。

 幼い私が、芋も南瓜もおいしいよといえば、品種改良された野菜だからで、昔は甘くないし、砂糖も貴重だったと教えてくれた。

 だから食卓に芋や南瓜が出てきても、あまり箸をつけようとしなかったし、まぜご飯もおいしそうに食べなかったのだ。

 そんな父にとって、ごちそうとはなにか。

 尋ねると、「塩むすび」と教えてくれたことがある。

 若いころは登山部だったらしく、大きな塩むすびを持って登っていたらしい。見晴らしのいい山の景色を見て食べる白飯に勝るものはないという。

 海苔は? 中身の具はどうしたの、と聞けば、海苔は高かったし、入れるのは梅干しぐらいだという。

「でも、梅干しさえいらない。塩むずびは、お米のおいしさが一番わかる食べ方なんだ。大きなむすびが二つもあれば、ごちそうさ」

 おかずにウインナーと卵焼きがあれば、さらに最高だといったので、一度作ったことがある。

「塩むすびに、海苔はいらないんだぞ」

 父の声を無視して、大きな一枚海苔で包む。

「愛知県知多産の特選上焼のりだから」

 突き出して、食べてもらった。

「ほお、ぱりっとした食感と風味がいいね」

「でしょでしょ。いい海苔と食べればおいしいって。ミネラルも豊富だし」

 でも父は、

「やっぱり、塩むすびには、かなわないよ」

 そういって、巻いてないおむすびを、おいしそうにほおばったのである。

 そうだね、塩むすびも悪くないなぁ。

 バナナとキウイフルーツを食べ終えた私は、仏間の方へ視線を向ける。

 お盆だし、あとで経をあげねば。

 腰に手を当て、マグカップの特製ミルクを飲み干した。

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塩むすび snowdrop @kasumin

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