オモカゲ様
須和田 志温
第1話
明るい光をじっと見ているとさ、目に焼き付いてしばらく残る時があるじゃん?
これって光が強ければ強いほど、強く長く焼き付くんだよね。
つまりそういう原理ってことなんだと思うんだけどさ。
願いを光で目に焼き付ける、みたいな。
もちろん目に良くないことなのは重々承知の上。
でもそうしてでもずっと見ていたいものが私にはあったの。
今はない人でも出来る可能性はあるわけじゃん。
何が良くて何が悪いかなんて他人が決められるものじゃないからね。
少なくとも私は後悔してないよ。全然ない。
だってそれで推しと一生一緒にいられるようになるなら後悔なんてするはずないじゃん?
私今めっちゃ幸せだもん。
ああそうだ、最後に。
やるのはあくまで自己責任だからそこは忘れないようにね。
三ヶ月前、彼女が死んだ。
俺の目の前で推しと心中したのだ。
後悔はしないと豪語していた彼女の死に様はその言葉とは裏腹にとても本望とは思えない様相だった。
飛び出そうなほど見開かれた両目は酷く充血し、荒れた唇は血の気がなく所々が切れて血が滲んでいた。
まるで刑事ドラマの殺人現場でも見ているような気分だった。
ドラマと違うのはこれが紛れもない現実だということだ。
彼女は死んだ。
ネットで流行っている、推しと死ぬまで一緒にいるおまじないによって。
首都圏から少し外れた郊外の山奥にある村。
この村の神社にはオモカゲ様と呼ばれる神様がいるという。
神社といっても御朱印だのお守りだのお土産だので人を寄せ付けるような要素は一切無く、鳥居を一つ潜った先に短い参道とこじんまりとした拝殿があるだけの神社だ。
おそらくは地元の人間に古くから信仰されてきたのであろうこの神社は今、物見遊山の若者が多く訪れるいわゆるパワースポットとなっている。
自分の推しにいつでも会えるようになる。
そんな言葉と共にネットに呟かれたこの神社は、生きがいとして自分の好きなものを全力で推している若者の間で瞬く間に広がった。
実際眉唾物の噂であるものの、好奇心に負けた人間が実際に訪れその結果をSNSで報告していく。
その件数が多くなればなるほど話は信憑性を帯びていき、実話として語られるようになるまでそう時間は掛からなかった。
「あらま。そんな有名になってるの」
「ええ。ご存知なかったですか」
「いんやぁ、そういったのは疎くてなぁ。こんな何にも無いとこに随分他所の人が来ると思ってたけども」
取材と称して畑仕事をしていた老婆に声をかけ、話を聞いていると老婆が目を丸くした。
「見慣れない若い子ばかりうろうろしとると思っとったんですよ。この辺はほら、あたしらみたいなジジババばっかりだから。あんな若い子達がわざわざお参りに来てたとはねぇ」
「彼らにとってあの神社の御利益が特別なんですよ」
「御利益ぅ?御利益ってなんだい」
「ずっと一緒に居たい人をお願いをして叶うとその通りになるっていう」
「あぁ、そういうこと」
ふいにのどかな里山に似つかわしくない黄色い歓声が響いた。
きっと今この瞬間誰かが推しに会えたのだろう。
喜びに震える魂の叫びだ。
「まぁたおいでなすったなぁ」
もう聞き慣れているのか、さして迷惑な風でもなくまるで独り言のように老婆が呟いた。
推しに会うための手順は至極簡単だ。
1,神社で会いたい推しを思い浮かべながら参拝する。
2,帰り際、鳥居をくぐる前に拝殿を背景にフラッシュを焚いて自撮りをする。
この手順を踏んで願いが聞き届けられればいつでも推しに会えるようになる。
悲鳴にも似た歓声が聞こえた方に向かって砂利道を歩いていくと、落胆したような表情の少女と対照的に満面の笑みを浮かべた少女が肩を並べてこちらに向かってきていた。
笑みを浮かべていた少女のくすんだ水色の瞳と一瞬視線が絡む。
「ねぇ、あの人も行くのかな」
「そうなんじゃない?ここあの神社まで一本道だったし」
「いい年の大人が推しとかイタくない?」
「推しに年齢は関係ないでしょ。推しが自分のものになったからって調子乗りすぎ。そんなこと言ってるならもう友達辞めるよ」
遠ざかる会話を背中越しに聞きながら噂の神社に向かう。
誰それを推すのに年齢は関係ない。
推しは人生を豊かにする。
それは彼女もよく言っていたことだ。俺にも推しを作ったらいいとしきりに言っていた。
色あせた鳥居をくぐり十数段の階段を登りきると、小さな拝殿が目の前に現れた。
大して広くない境内には幹の太い木がいくつも聳え夏の日射しを遮っている。ざぁ、と風が抜ける音が耳に心地いい。
風が拝殿の背後にある山肌を撫でていく様子を見送って手水舎で手を清め、拝殿に向かい財布から小銭を取り出す。
俺に推しなんて必要ない。
君がいれば十分だった。
賽銭箱に小銭を投げ込んで手を打つ。
俺にとっては君が推しみたいなものだった。
それを奪ったのはあの妙な噂とそれを可能にしたこの神社だ。
だから彼女を返してくれ。
ざぁ、と風が境内を吹き抜ける。
参拝を済ませてスマホを取り出す。あとは写真を撮るだけだ。
画角を調整して撮影ボタンを押すとカシャ、という軽い音と共にまばゆい光が目を焼く。
思わず数回瞬きをするとその瞬間、こちらを見つめる彼女の姿が見えた。
瞬きに合わせ、明滅する彼女は静かにこちらを見て笑っている。
「……あぁ」
また逢えた。
その喜びに心臓が打ち震えて瞼が熱くなる。
堪えきれずに目を瞑ると大人げなく涙を拭う俺に困ったように彼女が眉を下げた。
「あれぇ、お兄さんもうお帰りかい」
帰りがけ畑の横を歩いていると草むしりをしていた老婆が手を止め顔を上げてそう言った。
「ええ、もう用は済んだので」
「そうかい。まぁ、ゆっくりしていくようなところでもないからねぇ。あらまぁ」
老婆が俺の目を見て視線を下げた。
「お兄さん、あんたオモカゲ様に魅入られちまって」
「魅入られたっていうのは?」
「その目だよ。オモカゲ様に魅入られた人間はみんな目がそうなるんだよ」
そう。俺の目は今彼女やすれ違った少女と同じくすんだ水色をしている。
こうしている間にも彼女は俺のことを目の前で見守ってくれているのだ。
「まぁ、当の本人は幸せそうだから赤の他人がどうこう言うもんじゃないけどなぁ。若い人の考えることは私みたいな年寄りには分からんね」
「そうですね。少なくとも俺は満足です。もう二度と会えないと思っていた彼女を取り戻せたんですから」
「それじゃあ」
「ええ。亡くなったんです。三ヶ月前に」
「そうかぁ。そりゃあ難儀だなぁ」
老婆は訝しげに目を細めて草むしりを再開した。
それ以来、俺の生活は彩りを取り戻した。
様変わりした俺の両目を心配したのか声をかけてくる同僚もいたが、病気でも何でも無いと伝え一週間もすると誰も気にしなくなった。
目を閉じればいつでもそこに彼女がいる。瞬きする度に彼女が俺に微笑みかけてくる。
こんな幸せなことはない。まさに寝ても覚めてもだ。
でも彼女が俺に話しかけてくることはなかった。
「
懐かしさすら感じる声に思わずカップラーメンを啜っていた手が止まった。
目をしばたたくと彼女の口がゆっくりと開く。
「貴之さん」
「……俺の、名前」
「初めてお話しできたね」
なんで。
「ずっと君とお話ししたかったんだ」
くすくすと笑う彼女が近付いてくる。
「なんで、俺の名前を知ってるんだ」
彼女がおかしそうに笑ったままじっと俺の方を見つめる。
思わず俯くがそんなことに意味は無い。彼女は俺の瞼の裏にいるのだ。
「君のことなら何でも知ってるよ。もちゃぴかりさん」
覗き込むような彼女の視線にびくりと体が揺れる。
三ヶ月前、彼女は死んだ。
配信を見ていた、俺の目の前で。
「……どうして死んだんだ。いつも君の配信を見てた俺がいたのに、なんで推しなんかのために死ぬんだよ」
コメントをした回数なんか覚えてない。
配信の通知が来るたびに何よりも優先して彼女を見に行った。
片手で足りる登録者数の底辺配信者。
それでも俺は好きだった。
君の言葉に、笑顔に、一生懸命な姿に癒やされていた。
「君には俺がいたのに」
俺を正面から見据える彼女に拗ねたような声が出てしまう。
「だからおまじないを試しに行ったの?」
「そうだよ」
配信で彼女が試したと言った推しとずっと一緒に居られるおまじない。
「あのおまじないのせいで君が死んだなら取り返してやろうと思ったんだ。そうしたら本当に君は僕のものになった」
「そうだね」
笑った彼女の顔がぐにゃりと歪む。
「え」
「これでずっと一緒だね」
見間違いではない。
瞬きをするたびに彼女の顔が崩れ原型を失っていく。
「なんだよ、これ」
後ずさっても彼女との距離が変わることなどない。
崩れる顔とは裏腹にその姿はより鮮明になっていく。
「なんで消えない」
キョロキョロと部屋の中を忙しなく見回す視界の中に彼女の姿がずっとついて回る。
「オ前ガ私ヲ呼ンダカラ」
がさついた声が耳元で唸る。
ああ。
あの時彼女が見ていたのはこれだったのか。
充血するほど目を見開いていたのは恐怖に慄いていたからではない。
瞼に焼き付き、消えることのない面影を恐れ目を閉じることが出来なくなっていたのだ。
今更気付いたところでもう遅い。
先程から部屋の中に彼女だったモノが佇んでいる。酷く崩れ相貌の分からない何かが。
顔は崩れているのにじっとこちらを見つめている気配がする。
それはいよいよ俺の瞼から現実に飛び出してきたらしい。ゆらゆらと体を揺らして動くことの出来ない俺ににじり寄ってくる。
「お兄さん、あんたオモカゲ様に魅入られちまって」
息の掛かる距離まで顔を寄せた女を見つめる俺の耳にあの老婆の声が聞こえた気がした。
オモカゲ様 須和田 志温 @keyconi
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