第9話『大悪魔ミダラー様の部隊編成繁盛記2』


 出納係は如何にも意地悪そうな年老いたゴブリンだった。

 禿げ上がったしわしわの頭には毛が数本ばかり生え、血色の悪そうなしみだらけの肌が印象的だ。年取ってこうはなりたくないもんだ。


【ワシがゾッムじゃが、何の用かね?】


 陰々と響くしわがれ声は、その一欠けらまでもが陰険で吝嗇な意思の表れであり、まぁ~どうしてどの国の軍隊も、似た様な連中が似た様な部署に集結しているもんだと、大悪魔ミダラー卿をして驚かせた。


【初めましてだゾッム。あたしは今日から黒竜騎士団と大悪魔ミダラー様親衛隊の団長となった大悪魔ミダラー卿だ。よろしくな】


 ちょっと後の方は、我ながら苦笑するしか無い。しかし、命名権はあの化け物達にあるみたいで、連中はガンとして譲らず、しぶしぶ認めさせられたというのが実情だ。


【知らねぇぞ、おい……】

【お手並み拝見と行きましょう……】


 背後で黒竜騎士団の生き残り、クレマシオンとドロルが額を寄せ合ってひそひそ囁きあっている。

 その傍らで、何にも知らないトンチンカン、三匹の豚奴隷達がこの天幕の中を不思議そうに眺めて回っていた。


 魔王軍の出納係の天幕は、薄汚くこじんまりとしてはいるが、その向こう側に物資の管理エリアがあり、例え将軍閣下であろうとも麦の一粒も自由にはさせないぞとの鉄の掟が横たわっている。

 無論の事、警備は厳重。

 アリの子一匹通さない、極めて重厚な構えを見せていた。


 ぎょろり濁った眼球でミダラーをねめつけ、ゾッムは首を横に振る。首はまるでその為についているかの、滑らかで堂の入った見事なまでの動きだ。


【そんな部隊は知らないね。黒竜騎士団? 全滅したって聞いてるよ】

【それが幾つか再編成される事になってね。今日はその挨拶さ】

【じゃあ、次からは正式な書類を一式揃えてから来るんだね】

【そこさ。まあ、邪竜王閣下はあの通りお忙しい方だ。赴任したばかりでも居られる】

【正式な書類!!】


 ゾッムはそう断言して、大悪魔ミダラー卿の言葉を遮った。


【書類書類書類書類!! 正式な書類を揃えてから、これこれこの通りの物が欲しいと言ってくるんだね!!】


 ミダラーの背後で、顔をしかめて硬直している気配がする。

 そりゃ、そうだよな~……


【あのさ、ゾッム……】

【書類!!】

【書類もいいけどよ……】


 カチリ。乾いた音を発てて、大降りの金貨を一枚、テーブルの上に置いてやる。

 ピカピカのディラム大金貨だ。

 普通の市場で用いられるのと違う、国同士や軍隊等の支払いに使われる特別な貨幣。


【軍事行動をしていると、どうにも扱いの困ったブツが手に入る事があるんだ……】


 そう言って、目を丸くしてそれを凝視しているゾッムの前に並べて見せる。何枚も……

 ひゅ~っと、老ゴブリンの喉が空気を吸って嘶いた。

 その反応を満足気に眺め、大悪魔ミダラー卿はその欲望に囁きかける。


【こ~いうの、うまく生かしてくれる奴がいると、あたしも助かるんだがなぁ~……】


 震える指が、その一枚を取ろうとするのを、大悪魔ミダラー卿は身を乗り出す様にして、ぐいっと左の腕で遮った。


【迷惑かな? それとも……】


 相手の濁った眼球を、その真っ青な瞳でじいっと覗き込む。

 右手の指先が、まるで別の生き物であるかの様に、そっと左の乳房に貼り付けられた宝石へと伸びる。

 爪先くらいの金剛石。


【石の扱いの方が得意かい?】


 ねっとりと絡み付く様な黒いオーラが、大悪魔ミダラー卿の全身からあふれ出し、一匹の哀れな老ゴブリンの魂をより深い所へと導いていく。そんな幻想を、印象付けた。

 正に悪魔語らしい悪魔語。その正しい使い方だ。


【悪魔だな……】

【あ~……確かに……】


 クレマシオンとドロルは、もう見ちゃらんないとばかりに片手で顔を覆うのだが、その目はこちらへむき出しになっている団長の陰部へと向かっていた。

 三匹の豚奴隷共などは隠そうともせず、硬直した様に硬直させて、二人の騎士より後ろから凝視するのみ。


 掌に握らされた石を、即座に蝋燭の光に照らし、その濁り具合や傷の確認をするゾッム。

 その頬が、初めてゴブリンらしい感情を取り戻し、ゆっくりと喜びに持ち上がる。


【迷惑……だねぇ~……】

【迷惑だよなぁ~……ホント、済まないと思ってる……】


 大悪魔ミダラー卿の左腕が、ひょいと持ち上がり、ゾッムの目の前にその大金貨10枚をずいっと押し出した。

 黄色い歯をむき出しにし、ゾッムは目をうっとりとさせてそれらを抱え込んで見せた。


【これは迷惑料として預かっとくよ!】

【当然さ~……これからも迷惑のかけっぱなしになるからねぇ~……それは今日の分だ……】


 腹の底から笑いがこみ上げているのだろう。全身を細かに振動させ、大きく頷いた。


【必要な分だけメモ書きを寄越しな! こいつは特別なんだからね!】

【あ~、判ってるさ……特別さ~……また、特別な時には、宜しく頼むよ】


 大悪魔ミダラー卿が、楽しげに人差し指をくるくる回すと、嬉しそうにゾッムもこれに合わせて指をくるくると回して絡めあった。


【多分、長い付き合いになるからねぇ~。使いはこの三匹を寄越すよ。優しくしてやってくれ~。あたしの可愛い奴隷達なんだから……】

【そいつらに、まともな使いが出来るのかね!?】


 ゾッムはもうすっかり大悪魔ミダラー卿に打ち解けた様子だった。

 目をまん丸にして、後ろの三匹を代わる代わるに凝視する。

 それに苦笑しつつ、大悪魔ミダラー卿は、優しげな目を三匹へ向けた。


【文字の読み書きは、これからなんだよ】

【へぇ~……閣下はオークに読み書きを覚えさせるおつもりかい!? 奇特なお方だ!】


 驚きに見上げるゾッムを、大悪魔ミダラー卿はシニカルな笑みで頷いて見せた。


【これからの魔王軍は、最低でも読み書き算術……人間や妖精の言葉も仕込まなくちゃね……あの方の為にも……】

【ぐふふふ……無理だと思うがねぇ~……】

【かもな……ゾッム、あんた読み書き教えられる奴で暇してるの、知らないか?】


 ぴくり。片眉を上げ、思案にくれて見せるゾッム。


【難しい注文だねぇ~……そんな奴がいたら、うちで使ってるよ!】

【て、事は……人材の貸し出しも出来るって事かな? 時間で払うがね……】

【あ~……そういう事なら、うちの部隊で手の空いてる時間にサボってる奴が居るから、臨時収入って奴が欲しく無いか聞いてみるよ】

【うまくいったら、あんたにも紹介料を弾むよ】

【そいつは……良い話だねぇ~……】


 ゾッムは最初に会った頃とは別人の様に、喉の奥をころころと鳴らして微笑んだ。


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