第7話『初めてのご主人様』


 今日からこの方が、私のご主人様……


 目をぱちくり。大悪魔ミダラーは、遠く上座に座る邪竜王の姿をまじまじと凝視してしまった。


(マジかよっ!!?)


 脳裏に半妖精ジョニーの軽薄な言葉が蘇る。


「貰ってくれるって奇特な人が居たら、か弱い女性のふりして飛び込んで~、居座っちゃえよ」

「貰ってくれるって奇特な人が居たら、か弱い女性のふりして飛び込んで~、居座っちゃえよ」

「貰ってくれるって奇特な人が居たら、か弱い女性のふりして飛び込んで~、居座っちゃえよ」


(無理だろ、おい!)


 一人ぼけつっこみ。


(瞳が金だから金竜かな? 邪竜の中でも最高位って事だから、実態は最低でもこの砦と同じくらいのスケール!? か弱い女性のフリなんて最初っから必要ないけれど、電撃のブレスを吐きながらのエッチなんてどんなんだろう? というか、こんなん考えてる自体、ロマンチックもへったくれもないやん!!)


 奇特どころか危篤だぜ。


(ま、必要とされてるのは戦闘力と繁殖力ってトコなんだけどね……)


 そう思うと、ちょっとどころか、かなり寂しい。



【返答は?】


【ご下命、確かに受け賜りました。魔王軍の名誉を傷付けぬ働き、このミダラー、閣下へお示し致しましょう】


 サッと片膝を着いて、恭しく一礼。まるで舞台の一幕の様に、さらりと決めてしまう。


(わ~っ!? マジで魔王軍の指揮官に仲間入りって! あ、あいつらの為だから仕方ないけれど……裸にひん剥かれたら、人間だってばれるよね? ばれないかな? やっぱりすぐばれるよね!?)


 ちらと背後のトンチンカンを見る。

 三匹とも目をぱっちり開けて、どうみても感動している。感動して声にもならないって感じで、硬直してやがる! こんなところで、粗相するなよな!


(大体、い~のか!? このままだと私はこいつの物になっちまうんだぞ!! って、私は何をこいつらに求めてるんだ!!? わ~~~~~っ!!)


 冒険中の戦闘だったら、踏み込んでぶん殴るだけのシンプルな脳筋で事が済むけれど、こういうのは慣れて無い。


【宜しい。という訳で、諸君、ミダラー卿だ。今日から……そうだね。カイ将軍の席が空くから、そこに座ると良いよ】


 ……前、前線指揮官殿の席って……


 現、前線指揮官殿の右隣。つまりは全将校の最上位の席……長テーブルの角席って……


(どんな罰ゲーム!!?)


 大悪魔ミダラー卿は、居並ぶ上級妖魔のお歴々のすまし顔をサッと見渡した。


(反対しろよ、誰か!? 常識ってもんが…あ~、大体、魔王軍の常識って何だ!? 力こそ全てってか!? うわっ!? 私、前・前線指揮官を瞬殺しちまったから、誰もが納得って!? 私、勇者だぞ、一応っ!!?)


 トーントーントーンと、邪竜王の指が、テーブルの隅を叩く。

 とても力強い、澄んだ響きだ。

 そこへすぐに座れとばかりに。

 その一見無造作に見える仕草で、大悪魔ミダラー卿には、邪竜王の力の程が、しびれる様に伝わって来た。


(私の……私のご主人様……)


 とくんと、胸の内でこれまでとは違う響きが、生じた。


 緩やかな支配力。どうだい? 逆らってみるかい?と言わんばかりのメッセージに、大悪魔ミダラー卿の心は、しっとりと拘束されていく。

 親衛隊になるだろう何百体分もの化け物の命を質に取られている、そんな大義名分もある。

 瞬間、自分が女の顔になっている事に気付き、頬を赤らめる。

 一歩、また一歩と、逃れようの無い墓穴へと歩み寄る女勇者ミルティア。大悪魔ミダラー卿の仮面は、既に見透かされてる気がしてならない。


 しゅるり。

 足元を金色の何かが走る。

 豪奢な革張りの椅子に手をかける彼女を迎えんばかりに、それは大悪魔ミダラー卿の左の足首へ絡まり、ゆっくりと這い上がって来る。

 その冷たくも心地良い感触に、一瞬だが全身の筋肉が緊張のあまりに震え、緩やかに弛緩していく。

 まるで、肩でも軽く叩くみたいに、内腿の陰部の近くをノックするそれは、邪竜王の尻尾の先に思えた。

 促されるまま、目を伏せがちに着席すると、ようやく大悪魔ミダラー卿は己のご主人様の目を見る事が出来た。

 そう実感した瞬間から、気恥ずかしさで見る事が出来なくなっていたのだ。


 目は見ていない。

 尻尾の先が、目以上にミダラーを監視している。

 体液の変化。それを読み取るセンサーなのだ。

 ミダラーの心は、最早邪竜王の掌の上に転がる一個の玉の如し。

 その被支配を心地良く受け止め、女は受け入れた。


【では、次の議題に移ろう】


 邪竜王の言葉が遠く、遙か上空から響いているかの様に思えた。

 大悪魔ミダラー卿は、それを拝謁するかの心境で、仰ぎ見た。


 諸侯の紹介は無かった。

 勝手に認識しろとでも言うのだろう。

 用があれば、向こうから話かけて来る。

 用が無ければ、無用の者。

 既に、前・前線指揮官の姿はこの部屋に無く、背後にいただろう豚奴隷共も、いつの間にか手の鎖ともども消えていた。

 邪竜王に心奪われた時に、手の内より零れ落ちたのだろう。

 それすらも、今や夢幻の彼方。


 そして、それは諸侯の間で既に周知の事実。


 軍議は、静かに進む。

 現状の認識から、敵の動きの予測。そして、それらを押し返す算段。

 これを聞く為に、もぐりこんだ筈だったが、ミイラ取りがミイラの如く、大悪魔ミダラー卿の心は、魔王軍の側に。一匹のオスの為に……


【どう思うかね? ミダラー卿】


 不意に、新参者への発言権が与えられた。

 ぺちぺちと、立つ様に促され、心を歓喜に震わせて、大悪魔ミダラー卿はゆっくりと立ち上がった。

 これまでの女勇者ミルティアであれば、全ての事に猪突猛進、周囲の事を鑑みもせずに自滅する事が多々あった。それは恋も、軍議もまた然り。

 だが、今は大悪魔ミダラー卿という枷が、別の人格のイメージが堅牢な鎖となって押さえ付けている。

 全てを捧げるが如し欲情の迸りも、喉元で止まり、しっとりとした落ち着きのある声を、この会議室へ響かせた。


【発言の機会をお与えくださり、感謝の念に耐えません。マイ・マスター】


 初めて、邪竜王をご主人様とお呼びした喜びに打ち震えるものの、以前の様に暴走するものでは無かった。

 恭しい一礼から、諸侯へ対しての敬意を表する礼を重ね、大悪魔ミダラー卿はまるでまともな貴族であるかに振舞った。


【局地的な見地から言わせて戴ければ、敵は補給を受け増強しつつあります。そして、攻め入る機会を伺っている。その出鼻を挫く意味では、皆様のご意見は大変素晴らしく存じ上げます。特に、夜陰における奇襲作戦などは、流石はヴァンパイアの中のヴァンパイア・ロード、ギルモアール閣下。光も射さぬ隠微な闇の甘くも美しき恐ろしさを熟知されておられると、このミダラー心酔致して御座います】


 すると、この会議室に似つかわしい黒い棺の蓋が開き、中からしわしわの青白い手が現れては緩やかに振られた。


【何と甘美な物言いをする女よ。ミダラー卿、汝の身よりあふれ出る処女の血潮の如き甘美な香りもその可憐な言の葉と同様に、我が心を打ち震わせ、同時に我を失望の縁へと追いやるのだな。まっこと、主無き先程までの身なれば、我が魅了により……汝の身も心も我が物と出来たであろうに、邪竜王閣下の慧眼に目の前で麗しい玉を失うた心持ちじゃ】

【これは身に余るお言葉を賜り、か弱き女の身を震わせております。なれど、今は主を得たばかりの身なれば、幾千幾万もの華麗な乙女を魅了されたでありましょう閣下のありがたいお言葉に従えぬ愚行をお許し下さいませ】


 物凄い支配力が、魅了しようとする一歩手前で立ち止まっているのを、大悪魔ミダラーは、女勇者ミルティアは、感じずにはいられなかった。

 既に、今日はかなり精神力を消耗している。

 もし、直に、しかも夜に対峙したならば、あっさりとその配下に、ヴァンパイア・スレイブの身に堕ちていただろう。


 だが、それもいい……


 邪竜王の黄金色の鎖が、身も心も支配しているだろうその元で、いたずら心に戯れる女を演じて見せる。

 わずかでも感心を買えるものかとも、様子見を。

 鋭く鋭角に切り立った頂きの上を、素足で歩むが如し、女の朝知恵。そう笑ってくれるものかと……


 ……


 実はとっても淡白?


 頭の片隅に、少し残念がる自分を置き、大悪魔ミダラー卿は言葉を続ける事とした。


【皆様もご存知の方はいらっしゃる事でしょうが、同時にドウェルグ達が四方向より、このロードンへ向けて穴を掘っております。トンネルの完成、援軍の到着、どれも手をこまねいて見ている訳には参らないでしょう。ですから、マイ・マスターの着任を機に、一時的な攻勢をかけて敵の意思を挫くのと、味方の指揮を高める事はとても大事な事と愚考致します。ですが……】


 そこで僅かに言い淀む。

 邪竜王様の尻尾は、しゅるりと蠢いて、先を続けよと指示した。


【大局的に見て、この戦いはいたずらな消耗戦を強いるだけのものです。機会を見て、このノドンを放棄するお考えも……】

【それは出来ない】


 静かに邪竜王が告げた。


【陛下より絶対死守のご下命を受け赴任して来たわが身故、このノドンは手放す訳にはいかぬ。これは王命である】


 その言葉は魔王の言葉。並びいる諸侯達は、一斉にその言葉に対し、頭を垂れて恭順の意を示した。

 一瞬、呆然となる大悪魔ミダラー卿であったが、その身の中心をつんと突かれ、慌てて皆に習った。

 そして、その先端は、大悪魔ミダラー卿の淫らな部分を重ねてノックした。知っているぞと。

 それは、女勇者ミルティアが軍議の席で感じていた事。ドウェルグの穴の件だけでも、大きな裏切り行為であるにも関わらず、ご主人様は全部吐き出せと命じている。忠誠心を示せと。


【は、話を戻させて戴きます……】


 明らかにそこからの大悪魔ミダラー卿の様子はおかしかった。

 元より、おかしな格好をしているのだから、おかしいのに変わりはないのだが、その表情からしてどこか焦点の合ってない様な、熱に浮かされる様な、どこかぼやけた印象が浮かび上がっていた。

 諸侯には判ってしまった。

 今宵、このメス犬が、どの様な痴態を披露するのかを。

 最早新参者への警戒は0と化した。

 流石は魔王軍四天王において武を司る邪竜王閣下、と。

 前任指揮官を瞬殺する武力、傷付いた者どもを回復させた魔力、それらに支持される魅力、そしてこの軍議で示した知力、どれをとっても一級の素養を見せた新参者を、そのオスの魅力で完全に支配している。


【敵の布陣は、決して一枚岩ではありません。大別して、二つの大公派、そして伯爵派、更には烏合の衆である冒険者やあまたの種族の連合軍です。ですから……】


 そこで、ぐっと唾をのむ。指で、テーブル上に広げられた地図の上に載る駒を指し示し、一瞬だが躊躇する。

 だが、もうそこは分水嶺を越えてしまっていた。


【面で押すと見せかけて、その間に楔を打ち込めば……たちどころに崩壊するでしょう。その指揮系統の違いにより……マイ・マスター……】


 こらえ様の無い情熱が、胸の内で渦巻いていた。

 何故に、ここまで初めて会った邪竜の王に惹かれるのか、魅せられてしまうのか、不可解であったがその様な事は感情の迸りに押し流されて、とうの彼方へ消し飛んでしまっている。


【マイ・マスターの真のお姿、その武を以ってすれば、赤子の手をひねるが如き……人共の連合軍は瓦解するでしょう……】

【大儀】


 その一言。黄金色の瞳に見据えられ、それだけで全身を雷が走ったかの感覚に捕われ、大悪魔ミダラー卿は静かに席へ腰を降ろしてしまった。


【あ……ありがとうございます。マイ・マスター……】


 全ての力を搾り出す様な、その一言を最後に、意識は飛んでしまった。

 軍議の間、起きてはいた。

 何が話されているのか、理解も出来た。

 だが、心は一つのところに留まり、微動だにしようとしない。


 気が付くと軍議は終わっていた。

 とろける様な芳香に、我に返る大悪魔ミダラー卿は、邪竜王のたくましい腕の中にあった。


【何の為にここへ来たのか、理解出来た様子だな……】


 その感情がどこか欠落した様な響きは、耳より滑り込むだけでなく、その心の臓を激しく打ち鳴らして響いた。


【マイ……マスター……】


 震える唇で、全てを口に紡ぎ出す。

 全てを。


【カイの天幕をそのまま与える。が、今宵からは我寝所で侍る事こそお前の義務……】


【はい……】


【我傍にある事こそがお前の宿命……】


【はい……】


【お前の全てを、我に捧げよ……】


【はい……私の全てを、マイ・マスター……貴方様に捧げます……】


 不思議と涙が浮かんだ。

 何の為の涙か、理解出来なかった。

 だが、その涙を指ですくわれ、そこへ口づけを受けると、それはその為の涙であったと理解した。

 更に唇を重ねると、ようやく26年目にして満たされていく自分に気付き、更に涙した。


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