第2話『行き遅れ女勇者』
日の出と共に、赤く染まった空から射すような光が、雲間に突き出す山肌を照らし出す。
変わる事の無い悠久の風景。
だが、そこより北へと目を向ければ、その様相は一変する。
遙か遠くに広がるは、黒き煙幾条も立ち上る暗い大地。
立ち込める黒雲は、わずかの光も通さず、逆に地より放たれる赤き光が、天をおどろおどろしく染め上げる。
暗黒の大地、闇の帝国エルシオン。
遙か北の海より現れた、闇の一族が支配する魔の地である。
かつての統一王朝の輝きは陰り、あまたの小国が覇を唱えた乱世も過ぎ、幾度となく破滅の予兆にさらされた世界は、再び北の国の南進という脅威にさらされていた。
力を失った妖精族に代わり、この大地を護ったのが海洋国家ディラムの英雄ググドであるが、今はそれも無く、ノドン公国陥落後、ロダンニ深く侵入を許した連合軍は、ガラ・ノドン公国北方へ陣を後退させ、連合軍の盟主であるディラム王国からの援軍の到着を待つ一手にかけた。
が、それを待つ魔王軍では無かった。
邪竜またがる暗黒魔竜騎士団を中核に、異形の怪物たちが群れ成す魔王軍は、人馬の常識を覆す速さで南進し、たちどころに連合軍の喉元に、その鋭い牙を突き立てんとした。
しかしまた、それを阻んだのも人の身だけでは無かった。
妖精族は過去の大戦で大きく力を失ったものの、五つの力の領域へ身を退けて分化した、風のシルフ、水のウンディーネ、火のサラマンダー、土のノーム、そして深き森、エッダの地へハイエルフと共に引き込んでいた若いエルフ達も、先祖伝来の輝かしい武具に身を包み、この危機に馳せ参じた。
様子見を決め込んでいたギロンドル山脈の山小人王、ドワーフのガナル率いる戦車大隊が長く伸びた魔王軍の側背を突いたのを皮切りに、ラスタの遊牧民が、ラーの氷人が、ゲラハリムの丘小人ら、多くの勇気ある善意が集結し、これを押し返したのだ。
何故に、仲の悪い山小人とエルフらが、他との交わりを避ける氷人やラスタ人が動いたのか。
そこには数知れぬ名も無き冒険者の姿があった。
各地を渡り歩き、苦難を乗り越え、未知の土地で多くの信頼を勝ち得た若者達。
彼らの残した絆が、それぞれの小さな世界へ引き籠っていた多くの者達を、この大同盟へと引き戻したのだ。
そしてその中より、輝かしき武功の果てに勇者の称号を得る者すら表れ出した。
いまや、戦場はこう着状態。
敵に奪われた、堅牢なるノドンの胸壁を奪い返すべく、連合軍は適材適所とばかりに広く布陣するも、逆に伸びきった補給線の為にその貫通力は失われていた。
魔王軍に体制を整えるチャンスを与えてしまったのだ。
拠点防衛に向いた足の遅い部隊が、続々と入城を果たし、更には魔王軍四天王と呼ぶべき邪竜王が前線指揮官として赴任したらしいとの噂が流れ出した。
逃げ遅れた敵兵士の小集団や、斥候部隊がさ迷う危険な戦場で、名も無き兵士、名も無き冒険者達の、それぞれの物語が紡がれていく。
◇ ◇ ◇
山の頂。巨石の上に小さな影があった。
朝もや漂う中、その影は緩やかな動きで、遠目には何やら踊っている様にも見える。
交錯する左右の腕を、ゆっくりと開き、上体と下半身の動きが伸びやかな一本の棒と化した次には、一塊の岩の如く、そして破裂せんばかりに雄雄しくも羽を広げた水鳥の如くに変り、最後には手を合わせた人の姿となる。
周囲に渦巻く霧は、その力の流れを如実に捉え、いまや放射状の安定した形となる。
「お~いっ!!」
岩のふもとで手を振る者がいた。
白銀の胸当てに、小奇麗な緑のブーツと皮手袋。腰には細身の突剣を下げた半エルフの男、ジョニーである。銀の髪に緑の目。人里で育ったジョニーは、名うての冒険者であり、戦士であり勇士でもある。魔法の腕もなかなかのもので、弓は余り好まない。
その自信からか、今では昔みたいに耳を隠す事もなくなり、性格も明るくなったと自負している。
「お~いっ!! ミルティア~っ!!」
すると、岩の上から声だけが返って来た。
「今、行く~っ!!」
白い影が、ぽ~んと空に舞う。
この高さから飛び降りたら、まず命は危うい。
だが、ジョニーはそんな様に驚く様子も見せず、ただ飄々と見上げていた。
影は岩を蹴って、大きく空を舞った。
くるっと一回転。その身をよじると、隣り合う別の岩肌を蹴り、また別の岩肌をと、まるで蚤が跳びはねるみたいにして、いきなりジョニーの眼前へと降り立った。
「おはよう! なんかあったの?」
長い金の髪をきらきらと、全身から湯気をもうもうと立て、快活な笑みを浮かべる女性は、大きく開いた胸元を隠そうともしないので、仕方なくジョニーは不機嫌そうに横を向いた。
「何かあったの? じゃないよ~! 軍議が始まるじゃないか!」
「あ……」
やっちまったー! とばかりに顔をしかめる、青い目の女性を前に、ジョニーは一言。
「嘘つき」
固まるミルティア。
「知ってるよ~。夕べ、伯爵様のあばら折っちゃったんでしょ?」
「な、な~んの事かな?」
口元をしゃくれさせて嘘を突き通そうとするミルティアに、ジョニーはやれやれと首を左右に振った。
「でっかい悲鳴だったってねぇ~……」
「あ、あれはちょっと、い~感じだったから、こ~……きゅっと抱き締めたら……」
「それ、おとといヒグマを仕留めた時の技じゃない?」
ベアハッグ。
お酒の勢いで抱き締めたら、ぼっきり~。てへぺろ。
「でもでも! ちゃんと手当てしてあげたから!」
ぶんぶんと両手を振って、後フォローは完璧と訴える。
「伯爵様も男だからね。表立っては何も言ってないよ。ただ、軍議をさぼる様じゃ、噂を肯定する事になるんじゃないかな~?」
「う……でも、顔合わせたくない……」
唇をつんと突き出し、すねる仕草。
そんなミルティアに、ジョニーは目を細めて本当の事を打ち明ける事にした。
「僕らの中じゃ『勇者』と密かに褒め称えてたんだけどね~……伯爵様も玉砕か……」
「何それ!?」
ふう~っとため息。
「みんな知ってたんだよ。夕べ、君を伯爵様が天幕へ誘ったのを」
「な、な、なんですと~!?」
衝撃の事実。
「というか、みんなで送り出したと言って良い」
「がが~ん……」
かなり衝撃の事実。
これには赤竜の心臓を持つと謳われる勇者ミルティアも相当にショックだったみたいだ。
わっと顔を伏せて泣きじゃくる、ふりをした。
「酷い!! みんな、遊びだったのね!! も~、お嫁に逝けない!!」
「こらこら。どこへ逝く?」
「こうなったら、どこだって逝ってやる!! エンダの穴の中へだって飛び込んでやるんだから!!」
エンダとは、かつて統一王朝の王都があった地であり、そこへ悪魔が降臨した為に王朝は滅び、そこには魔界へ通じる大穴が開いているという。
「その覚悟があるんだったら、軍議くらい出れるよね?」
「うおっ!? 貴様ぁ~、ど~この組織の刺客か~!?」
「も~今年で26なんだから、いい加減覚悟を決めて、貰ってくれるって奇特な人が居たら、か弱い女性のふりして飛び込んで、居座っちゃえよ」
「む~り無理無理無理無理、無理っ!!」
最後の無理で、ミルティアの左拳が飛んで傍らの巨岩を真っ二つに叩き割った。
大体、十台半ばで結婚するのが普通の感覚。それから十年……行き遅れもい~とこである。大概、当人に問題があるか、当人に問題があるか、当人に問題があるか、だ。
「う~ん……確かにかなり高難度のミッションに思えるが、大丈夫!! ミルティアはやれば出来る子!! やれば出来る子なんだから!!」
「やっかましいわいっ!! よくも乙女の純情を肴に盛り上がってくれたな!! 夕べ、お前らのテントがやたら大盛り上がりだった訳が、たった今判ったぞっ!!」
「ふ……それを知られたからには、以下同文」
「省略しないでよ!! そこは『そうだな! そこは僕が責任を持って引き取ろう!!』と言うべきところでしょっ!!?」
「あ、それ無理だから」
ふっと余裕の笑みを浮かべるジョニー。
「僕は思ったんだ。お嫁さんにするなら、お婿さんになるにしてもだけど、奥さんは僕より力の弱い人にしようって……」
「そうか……どうやら、貴様は今すぐ死にたいらしいな……」
べきばきと異様に大きな音を発てて、ミルティアは拳を鳴らす。
その一撃は天をも裂き、キメラ程度の魔獣など一発でのした事もある剛拳だ。それはジョニーも目の前で見ていたもんだから、誰よりも良く知っている。だから、笑顔で数歩間合いを取るのだ。
「そうそう。すぐ腕力に訴えないお嫁さんがいいなぁ~って」
ちょっとこういう事を口にするのは、長年一緒に旅をしていた相棒とも言えるミルティア相手にでも照れるもの。思い当たる相手は、ハイエルフのお嬢さんで一人いた。相手も憎からず思っていてくれるのは時折感じる事なので、これはがんばればもしかしたら……
「わ~~~~ん!! みんなして、私の事、伯爵様に押し付けようとした!! 押し付けようとしたぁ~~~~っ!!」
ここでぶんぶん、両手を振って、相手の胸板をぽかぽか叩くくらいだったら、とっくに嫁入りしていただろう。
当のミルティアは涙目いっぱい。
既に幻影魔法で生み出していた、ジョニーの分身をぽかぽか叩いたミルティアの拳は、それを重ねていた岩塊を、まるでプティングの様に叩き割って見せるのだ。
「その拳、向ける相手を間違えてないかな?」
「い~や、正しい! お前ら全員殴り殺して、私も死ぬ~っ!!」
「じゃあ軍議では、ミルティアは最前線を希望って事にしておいてあげるからっ!」
ばしゅっと空を飛ぶジョニーとその分身達。三方へ逃れる。
「待ちやがれっ!! 生きて帰れると思うなよっ!!」
既に悪役を襲名したかの勇者ミルティア。飛行呪文を発動させると、逃がすかとばかりに追いかける。
雲を割り、星の海を駆け抜けたところで、ジョニーの腕を捕まえるが、それは分身の方だったらしく胡散霧消した。
「う~~~~恨む恨む恨むぅ~~~~~っ!! こ~なったら、魔王軍に参加して、お前らのそっ首叩き折ってくれるわぁぁぁぁっ!!」
一気に気を開放すると、ミルティアの肉体は数倍にも膨らんで見えた。
周囲の気も、鮮やかな色彩を帯びて輝き、まるで別世界の超戦士。着ていた服など、一瞬で粉みじんに吹き飛んでしまった。
それが急激にしぼむと、がっくり肩を落とした。
「な~んてね……」
しょぼ~んとしたミルティアの姿は、次には先程まで居た岩山の所にあった。
空間転移の魔法、テレポートである。
ミルティアは、一人さびしく口ずさんだ。
「実家に……実家に帰ろうかなぁ~……」
遠い目を、遙か南方へと向ける。
ミルティアの実家は、海洋軍事国家デュラムの王都デュラムにある。
父親は軍神ゲパルトを奉る教団の教祖であり、国の要とも呼ぶべき存在の一人である。
幼き頃より、あらゆる英才教育を施されたミルティアは、16の夏、右手にメイス、左手にリュートを持ち、渡り鳥を気取って旅に出た。
赤い夕日が焼け落ちて、リュート鳴らして当ても無く、私に似てるよ渡り鳥。
気付くと10も年を経て、未だ独り身の寂しい日々。
あの時、素直に親の言う事を聞いてお嫁に出ていれば、こんな寂しい事は無かったろう。
今は勇者よ賢者よと呼ばれても、寄せる身の無い寂しい夜。
一歩どころか数歩の距離を感じつつ、人の間で生きていく。
私はどうしてこんなに強いのか。
人はどうしてこんなに脆いのか。
そっと胸に手を置く。
やっぱり、変に生き返るもんじゃ無いなぁ~と……
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