女勇者は振り向かない

猿蟹月仙

プロローグ

第1話『プロローグ』


 暗くて長いトンネルを抜けると、そこは魔王城だった。


 既に見慣れた闇色を基調とした調度品に囲まれ、何も無い空間から忽然と現れた二人は、余韻を楽しむ様にそっと離れた。

 赤い衣の女司祭はくるっと一回転。しなやかなステップで、優美に手を差し伸べると、闇を溶かし込んだ様な浅黒い肌の大男は、艶やかな輝きを放つうろこの指でそれを受け取り、またも二つの影は一つとなる。

 音も無く僧衣が床にこすれ、余りにのけぞる女の身体を、辛うじて支えている男の背には、大きな黒い翼があった。


 二つに裂ける赤い舌先が女の唇に触れ、僅かに開いたそこへと迎えられ、ちろちろと戯れる。

 腰布がほどけ、僧衣の下へと侵入を果たした右腕に、ほっそりとした女の指が絡まり、はだける豊かな双丘へと導かんとする。


 ピピンと音を発て、男のシャツが、前を閉じる紐が、女の指先で容易に千切れ、その下に隠された膨大な熱量を解き放ちにかかった。

 長剣を以ってしても、切り裂くことは困難であろう魔力の檻を、男の胸板を愛撫する指先が、ゆっくりと解体していく。


 この頃には、女の脚は己の姿勢を維持する事を止め、男の前にだらしなく投げ出すだけの肉塊と化し、のしかかる重圧をやんわりと受け入れるだけだった。


 縦に裂けた魔族の黒い眼球が、歓喜の色に染まる青く丸い瞳を覗き込み、逆もまた然り。


「君は……許したね?」


「……何を?」


 男の問いに、目を細める女。とても嬉しそうに。


「あの若いのに、ここへ触れる事をさ……」


 わずかに牙の覗く唇を、男はゆっくりと這わせ、女の首から下へと。キスの刻印を残しつつ、心臓の上へと。


「あら? 別に許しちゃいないわよ」


 あっけらかんと微笑む女に、男はそこを十分にいとおしむ様にねぶり、ふと唇を離した。


「でも、力づくなら良いと……」


「それは仕方ないわ。敗者をばらばらに切り刻もうと、それは勝った者の当然の権利でしょう?」


 男の愛撫に時折全身を震わせ、更にそっと引き抜かれた男の左腕と、床石との熱さの差に、思わず身をのけぞらせた。


「それを許したと言っている」


 と、同時に二穴へ分け入る男に、そのごわごわとした頭髪を両手で抱え込み、雄雄しい角を愛し気に撫で回した。


「負けた……時は……どう…・・・されて…・・・も……」


「君は馬鹿か?」


「馬鹿……だから……」


 恍惚と髪を振り乱す女に、男は更に分け入った。


 喜悦の叫び。


 男はあろう事か、女の心の臓へと唇を重ねていた。


 直に。


 血は流れず、女の胸へと顔を埋めた魔族の男は、それを口に咥えたまま引きずり出す。


 その様を、嬉しそうに見つめる女。


 脈打つそれは、歓喜に震えて踊り狂う。


 囁く様に蠢く唇は、愛の言葉を紡ぎ、期待に満ちた水音を滴らせた。


「この俺の刻印を見たら、何と思った事か……」


「別にいい……」


「どうして?」


「減るもんじゃなし」


「いや~、ばらばらにされた段階で、君は大損も良いトコなんだが……」


 口に女の心臓を丸ごと含んだまま、男は舌でそれをころころと転がし、女の跳ねる様なリズムに心酔した。


「俺も大損だ」


「え~……そっか~…・・・」


「みんな、大損だ。きっと大泣きに泣いて五月蝿くて叶わんぞ」


「あっ!? そっか……」


「忘れるなよ~」


 とほほな顔で、男は女の心臓をその胸へと戻した。


「そうだよね~」


「そうだぞ」


 そんな相手を、うっとりと見つめる女は、次第に近付く相手の顔に目を閉じるのだが……ごん。額と額がくっついて、ぐりぐりされる。


「あいたたたた……痛い、痛いって! 角! 角ぉっ!」


「そうだぞ~。生きてるから痛いんだ」


「生きてりゃ、それだけでめっけもんだね!」


「そうそう……って、何それ?」


「えっと……悪魔語で言うところの~…・・・」


 そこで男は、ひょいと女の体を持ち上げて、座ったままに抱きかかえた。そして、冷え切った女の背中を優しく撫で回す。

 これは、とてもきもちいい。

 あらためて、胸がきゅんとなって頬が熱くなった。


「魔王~……」


「愛してるぞ。元勇者」


「ぷ~、何それ!」


「お前! 何それって無いだろ!! 何それって!!」


「200年遅いっ!!」


「そういや、まだ言って無かったっけ?」


「あほ~っ!!」


 楽しげな響きは、唇と唇が重なって不意に静かになった。


 闇の中、白と黒の裸体が睦みあう様は、誰の目に触れる事も無く、ただ静かだった。


 その時、その静寂を寿ぐきらきらした響きがあった。


 それは、二人の内から響くもの。


 元女勇者の心臓より生じる光の奔流は、魔王のそれに呼応して五つの光の玉と化した。


「おいおい。今回は五つ子かよ」


 半分呆れた口調で、魔王はその一つに手を出した。


「これ、いらんだろ?」


「だ~め。魔王なら全部責任持て責任~!」


「いや、これ。あの魔族の……」


「この私が人界で集めた、若き魂の響きが織り成す輝き一つ一つが尊きもの。それが縁で私に宿り、お前とのアレでアレがアレになって結実しようと言うのに、それを卵でも割るみたいに捨てようと言うのか~っ!!」


 一気にまくしたてる元女勇者に、取りあえず魔王は苦笑い。


「だから、これって浮気に……」


「ならん!! 全部、お前と私の子だーっ!!」


「それにしても、これで合わせて108人目だぞ……」


「な~にが不服か?」


「いや、そろそろ名前を考えるにも限界が……五人いっぺんにと言うのは……」


「なぁ~に、いざとなれば、魔王軍四天王の知恵袋がいるじゃない」


「だから、あいつがそろそろ限界だと……」


「じゃ、公募ね」


「おま……何回祝って来たと……」


 すると、光の玉はすうっと、元女勇者の腹の中へと納まってしまった。心なしか、少し膨らんだ様な……


「取り合えず、考えるのは後、後! 魔王様、引きこもりの時間ですわよ」


「ニートじゃないって……大体、ど~して三日で五つも……」


「お祭りって、凄いわよね!」


 あっけらかん。


「やっぱ、次は100年くらい幽閉させてくれない?」


「あほ~っ!!」



 ここ200年ばかり、魔王軍の南下は大きな侵攻を見せずにいた。

 人々は、謎の胎動を続ける闇の帝国に、不気味な恐怖を覚えずにはいられなかった。

 勇者は! 過去の大戦時に現れた様な勇者はいないのか!?

 その拳は空を裂き、その蹴りは大地を砕く(邪竜を素手で殴り殺す)と謳われた、女勇者の伝承を口にする者は、何故か少ない……


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