どうぞよろしく、美しいエルフさん?
闇夜を切り裂かんと広場へ奔った極光。
夜よりも暗い黒い一雫に呑み込まれながらも眩く懸命に輝いた、星の叫びが如き閃光。
そのまま地面へと溶け落ち、まるで最初から何も起きていなかったかのように静寂の戻った中央広場を、月の光を背に浴びた金髪のエルフ──オルフィナは意外そうに見下ろしていた。
「あらら、いなくなっちゃった。初めてなのにあんなにも上手に出来ちゃって、やっぱり流石妹と言うべきかしら?」
「しかし私の悲願とあの娘が一緒に、ねえ。やっぱり引き合う
彼女にとっての想定外。それは銀髪のエルフ──シルフィナが奪われた一本の杖による奇跡。
かつて運命という不確かの象徴であった大樹の恩恵により、この瞬間においているべき場所──つまり今回であればオルフィナの射程外という生存場所をを手繰り寄せて転移させる大奇跡。
それが才能か偶然か、或いは理解の中の行使であったのかはオルフィナが知ることはない。
今オルフィナの胸を占めるのはあの二人はこの場から、この王都クラシモトから逃げ果せたという事実だけ。
それはつまり、自分の思惑が一つ上手くいかなかったということに他ならない。
どんな手段であれ、彼と彼女は一瞬でも自分の手の中からすり抜けた。その事実は超常たるエルフの中でもずば抜けた彼女の気分をほんの少しだけでも害していた。
「どうしよっかなー? 追っちゃおうかなー? うーん?」
オルフィナは少し首を曲げ、碧い瞳を東を向けながら顎に人差し指に当てて考える。
まるで今逃げた二人がどこにいるか判るかのように。その左目は既に彼らの場所を把握しているかのように。
オルフィナは知っていた。
あの大奇跡は連続で行使できるものではない。遠い彼方において枯れてしまった世界樹本体であればともかく、杖一本に込められた力など微々たるものだと。
「まっ、いいや! こっちの準備が出来て、完成したら迎えに行っても遅くはないもの!」
けれど少しの逡巡の後、オルフィナはうんうんと頷きながらすぐに視線を外してしまう。
「……嗚呼、待ってて! あと少しだけ待っててね
そして彼女は姿を消す。月の前からも、王都の空からも。
下で倒れる数多無数の人々など気にすることなどなく。まるで自分は最初からいなかったと、自らの膨大な魔力の痕跡一つすら残さず。
成熟したエルフには似合わない、初恋という病に冒された幼気な少女のような声と共に。
光が止んだ。そして目を開いたら、街もクソもない草原へと俺達はぽつりと立っていた。
誰が聞いているでもないし何を言ってるのか分からないだろうが大丈夫、俺だって何一つ分かっちゃいない。
そんで一応周りを見回してみれば、恐らく王都であろう街を随分と遠くに、それこそ指で摘める程度の小ささがあったりはする。だからと言って何かが理解出来るわけでもないんだけどさ。
「おい、さっさと離れろ」
「あ、はい」
何だか現状に追いつけていないので呆然としていると、隣から低い鋭いご指摘が。
そういや抱き合っていたなと思い出し、慌てて手を放して少しだけシルフィナと距離を空ける。
「下心が透けていたぞ。まったく、これだから人間は」
「ああごめんね。こちとら所詮は俗物なもんで、惚れた女に抱きつかれちゃうとちとドキドキしちゃうんだ」
「……ふん、
シルフィナは黒の外套を脱ぎ捨てながら、まるで氷柱みたいな冷たく鋭い目を向けてくる。
しかし残念。罵ってもらって申し訳ないが、今の俺にとっちゃ褒め言葉だねそりゃ。
あんな場所から生存できたという昂ぶりがあるのは確かだが、惚れた女、それも美女に
まあ実際は欲に流されて女の胸へ飛び込んでいける度胸なんてあるわけもない、獣だって鼻で笑うであろう悲しい理性の男なんだがね。
ところで、初めて見たけどちょっとえっちすぎないその服?
まあ服なんて着たいものを着るのが醍醐味だし求められない限りは何も言うまいが、真っ当に生きている青少年と片思い中の男にはちと刺激が強すぎるよ。
ま、足もおっぱいも大変えっちで結構。
俺としては眼福であり浅ましき独占欲を擽られてしまう、まさに罪の味と表現したい恰好だ。
……おっと、いけないいけない。
ジロジロ見るのは失礼だろうし、このままじゃいつまでも不純な目を向けちまいそうだ。
ここは一人目の恋人ちゃんであるお酒に逃げるとしましょうかね。ちょうど目的達成と生還を祝って一杯やりたかったとこさ。
「また酒か。そんなに好きか?」
「ああ好き、俺の最初にして最後かもしれない恋人ちゃん。ちなみに今日の題目は生還の祝い酒ってやつさ。……グラスあるけど一緒にどう?」
「……貰おう。私も少し、酔いたい気分だ」
目のやり場に困りながらも、その場に尻をついて尋ねてみれば、シルフィナは意外にも頷いて隣へと座ってくるので、追加でお気に入りである透明なグラスを二つ取り出す。
へえ意外、まさか付き合ってくれるとは思わなんだ。
正直断られるの前提だったんだが、これは中々嬉しいサプライズってやつだ。頑張った俺へ運命がご褒美でもくれたのかね。
酒飲みとしては氷と肴がないのは残念だが、まあ今宵の酒に余計な物は必要ない。
何せ今宵味わうのは、美酒の中の美酒と言っても過言ではない酒。俺のコレクションの中で一二を争う清涼なお酒なのだから、隣の美女と空に浮かんだお月様以外の肴は逆に雑味になっちまうさ。
「それじゃ乾杯。この美しい月と貴女に、我ら二人の勝利に」
「……乾杯」
透明な液体がなみなみと注がれた透明なグラスをシルフィナに渡し、軽く音が鳴る程度に打ち付け合うと、カランという小気味好い音が何とも疲れ切った俺を耳から和ませてくる。
綺麗な星と月の下、良い酒を良い女と飲み交わす。 嗚呼、実に最高の娯楽であり報酬じゃないか!
この一杯のために今日を頑張ったと言っても過言ではない。過言だが、過言ではないのだ!
「……清らかで澄んでいる。いい水を使ってるな、これは」
「正解。確か神月の泉って所の水から醸した水酒だってこれをくれた友達が言ってたはず。その神月の泉ってやつが何なのかは知らんけど」
「神月の泉……ああ、どうりで口に馴染むわけだ。……懐かしい。我らの時代にあった最上の水からの酒が、まだこの世に残っているとはな」
結構前に聞いた話なので曖昧だが、それでもまあ語る分には損はないだろうと。
我が物顔で語ってやれば、シルフィナはどこか納得したように目を閉じて酒を味わっていく。
最上の水。へえ、そら美味しくなるよな。
……ちなみにどのくらい昔なんだろ。そもそもこのシルフィナさん、いつの時代の話をしていていくつくらいなんだろうか?
「知っているか? 神月の泉はもうこの時代には存在せず、何百年も前に砂地へ変わってしまったらしい。……かつては世界で一番清純だと讃えられた女神の恩寵場も渇き果てて名すら失ってしまうのだから、刻というのはこの世で一番残酷であり、同時に人を人たらしめる理じゃないか?」
「ぷはぁ美味しい! ああ、まあそうかもね。俺も今は老いたり太ったりしない身だからか、少し世から浮いてる気がしなくもないからね」
分かるような分からなくもないような、そんな曖昧さでしか頷けないのだが。
それでも時間ってものが人にとって大事なものだと、それだけは同意しながら正しいと思ってる。
老いない病まない無敵の体ってのは便利なものだが、結局それが至上なのは一人で生きている場合だけ。
どうせ不死でないのなら、どっちであろうが死んだら終わりの大差なしだからね。ならば俺はその時間を大切な人とありたいものだよ。もちろん今は独り身だけどさ。
「……どうした? その顔からして、私に聞きたいことでもあるんじゃないのか?」
「あーいや、ちょっと見惚れちゃって。やっぱり綺麗だなって。耳は前見たのと違うけど、それでもさ」
隣で首を僅かに傾げ、見透かしたように尋ねてくるシルフィナ。
そんな彼女の問いに対し、つい誤魔化すように自分の耳を触ってしまいながら素直に告白する。
すっかり剥き出しになった、眺めているだけで得した気分になれるほ小さく端正な顔。
白い肌に銀の髪。そして両方で潤う琥珀の瞳はさながら夜空に輝く一番の星のよう。
おっぱ……胸はまあお姉さんよりは小さいが、それでも手で包み込めるか分からないくらいの豊かさ。小さくとも大きくとも好きではあるが、ちょうど男の夢と理想が詰まった大きさというやつだ。
初めて会ったときはちょっとしか見られなかったが、それでも俺の恋心を奪っていった美しい顔だ。間近にあるというだけで、落ち着いてくれない心臓も仕方ないというものだろうさ。
「当然だろう。種族を偽り世に紛れるという意味もあるにはあるが、エルフが自ら耳を見せるというのは最上の親愛の表れなのだ。家族以外であれば、それこそ生涯を共にする番にしか見せも触らせもしないのが常識だ」
「へー。え、でもあのオルフィナって君のお姉さんはそれはもう見せびらかしていたけど」
「右の耳にピアスを付けていただろう? あれは
心底腹立たしそうに顔を歪めるシルフィナ。
そんな彼女から教えられた意外な文化に返事をしながらも同時に納得する。
なるほどね。確かに誓った相手がいるなら他の視線なんて興味なくなるかも。……そうかな?
あれ、でもシルフィナも付けてるよね右の耳にピアス。……え、うそっ。
「……え、じゃあ君も人妻なの?」
「違う。これは父と母から授かったものだ。誰かを娶ることがあるのなら、そのときはもう一つ増やすことになるだろうな」
「……ほっ」
叶わぬ恋ではないことに心の底から安堵してしまう。
良かった。有頂天から急転落、早速やけ酒しなきゃいけない所だった。
あー今の気付きはまじで心臓に悪かったわ。びっくりしたからもっと飲もうっと。
「それで? そんなことを聞きたいわけじゃないだろう?」
「ぷはぁ! あーまあ。……込み入った話になりそうだけど、訊いちゃってもいい感じ?」
「今更だろう。話しやすいようにわざわざ酒まで入れたのだから、この機を逃さないことだな」
いつの間に飲み干していたのか、注げとばかりに空のグラスを差し出してきたシルフィナ。
飲むの早いなとちょっと驚きながら再び零れる寸前まで注ぎ足すと、彼女はそのまま口へと持っていき、普通の水かと勘違いしそうになるほどごくごくと流し込んでいく。
「そう? じゃあ訊こう。あの人がお姉さんで、噂の復讐相手?」
「そうだ。あいつの名はオルフィナ、正しくはオルフィナ・G・ウソダケド。スゲーナ・ウソダケドの一人目の妻にして正妻、あの凡庸な男を世界の王にまで仕立て上げた一族の恥にして……認めたくはないが、比類なき才女だ」
オルフィナ、オルフィナねぇ。
……あー、あー! ごめん聞いたことあった! というか普通に知ってた! まじで!?
スゲーナ・ウソダケドの妻を語ればまず最初に出てくること間違いなしの一人目にして、スゲーナ・ウソダケドを最も献身的に支え、王の杖とも呼ばれる伝説のエルフ。それが俺の知る、何ならこの世に生きる大体の人が知ってるオルフィナ・G・ウソダケドだ。
え、まじでそんな人なのあの人!?
歴史的大偉人! そりゃ人妻、というより未亡人じゃん! っていうかそもそもまだ生きてるんだな! 超びっくり!
「まじかー! なんで名前聞いたときに気付かなかったんだろ。はー、そんな人の妹ならそりゃ君も綺麗なわけだ。逆に納得だわぁ」
「……意味が分からんな。何故私が含まれる?」
「だって俺が一目惚れした相手だぜ? もっと自信持ってくれよ、自分の容姿にさ」
どうにも卑下というか、自らの美しさを自覚していないらしいシルフィナについ物申してしまう。
おいおい、お姉さんとなんか比べなくたって、あんたは俺の心を射貫いた絶世の美女なんだぜ?
まあ今はちょーっと臭うけど、それでも俺は好きだぜ? そういう泥臭い夜もまた一興ってもんだ。
「ふん、下手な口説きだな。私なんぞも堕とせまいのだから、まともに相手されたことないだろう?」
「なんぞと括るには上等すぎる。けど分かっちゃう? そうとも。お察しのとおり人生で経た四度の恋はどれも見事に一蹴。四度目なんて二千マニーで金のりんご買わされて、挙げ句呪いなんておまけまでされちまった哀しき男さ。だから裏切らないお酒ちゃんが、俺にとっては最初で最後かもしれない恋人ってわけ」
「それで次は私か。おめでとう。五度目の恋は押し売りなんぞに遭わずに終われそうだぞ。ええい洒落臭い、それ寄越せっ」
「ああん寝取られちった。お酒も美女を選ぶらしい。よよよっ」
グラスの酒を飲み干したシルフィナは、ついには俺が持っていたボトルごと奪いそのまま口を付けてしまう。
今まで気付かなかったが、シルフィナの頬はどうにもほのかに赤く染まっている。
さては相当に酔ってるなと今更ながらに気付きながら、仕方が無いので自分のグラスを鞄へ突っ込み、そのまま適当なボトルを取りだして封を開ける。
嗚呼、これは
まいったな。一本目の清涼感も相まって今日はそういう味の気分じゃなかったが、まあいいか。
「……ふうっ。私はな、あの女を必ず復讐する。以前とは比較にならないほど、最早殺せるなんて希望すら抱けないほど化け物になっていたが、それでもあの顔の前で殺意は鈍らなかった。今日は屈辱の生還だったが、次に
「屈辱ぅ? 快挙じゃないの?」
「馬鹿を言え。あいつに追う気がなかっただけさ。本気であれば私達はとっくのとうに……こう、だっ!!」
シルフィナはボトルを握る手に魔力を込め、力か技術かは分からないがとにかく見せつけるように粉砕してしまう。
あー貴重なボトルが。中はもう空っぽいがもったいないなぁ。
これでも飲み終わったやつは集めてるんだけどな。おかげで
「あー、さては酔うと情熱的になるタイプ?」
「さあな。その手で剥いで確かめてみるか?」
「わあっ、何て魅力的なお誘い。けどやめとくよ、今手を伸ばしたら噛み千切られそうだ。どうせ星空の下で貪り合うのなら、お互い合意でありたいね」
唇を湿らせ、色めかしく瞳を潤わせ、微笑を浮かべながら少し胸元を見せつけて。
そんな艶に満ちたお誘いを前にされては、それが手を伸ばしてはいけない罠であろうと理性を放棄してしまいたい衝動に駆られてしまう。
それでも罠は罠。そういう欲は唾と共にごくりと呑み込んでしまおう。
初体験はベッドの上で行いたいのが純情な男の子ってもんだ。星空の下、獣と同じく開放的で本能的ってのも悪くはないと思うけどね。
「……ヘタレめ。
「そら申し訳ない。……ごほん、そういえば樹に閉じ込められたって言ってたね。あれどういう意味よ?」
「そのまんまの意味だ。遠い昔、私はあの女によって一本の樹に変えられた。その樹が枯れるまで永遠に縛られる、それだけの呪いだ」
思ってもみなかった反応に詰まった俺が咄嗟に質問すると、シルフィナは静かに空を仰ぐ。
「地獄だったよ、地獄なんて言葉で表したくないくらいには。動くことも、眠ることも、口を動かすさえも出来ず、私に許されたのはただひたすらに思考することだけだった」
「……そら気の毒に。しかし樹なんだろ? 確かに長いだろうが、長い長い歴史の果てまで辿り着くのは──」
「はははっ、そう思うだろ? たかが一樹……そうだ、やつの魔力さえ籠もっていなければ、たかが樹だった。やつの魔力さえ……なければっ!!」
シルフィナは笑い、そして憤る。酔いも相まってか、それはそれは強く拳を握り震わせながら。
俺はそれを静かに拝聴する。今だけは酒を口に付けることもなく、彼女から目を逸らしてはいけないと。
「復讐の手段を考える時間はいくらでもあった。恨んで怨んで羨んで、私の想像の限りを尽くし、この身が再び自由を取り戻した暁にはやつにどんな報いをくれてやろうかとほくそ笑んださ! ……だが、そんなのは数日もすればすぐに失せていった。苦しくて、怖くて、寂しくて、私に出来るのは狂う前に思考を閉じることだけだった」
「……」
「たまに誰かが私の木陰まで来るとな、その声で起きてしまうんだ。泣くことも手を動かすこと視ることも、笑うことも怒ることも壊れることも許されない。ずっと何もない暗闇の中で、僅かに聞こえる人の声が嫌というほど響いて仕方なかった。顔も分からんそいつらは幸せそうに、その樹が人を呪って生まれたものだと知らずに笑うんだ。のうのうとな」
「だがあるとき、偶然にも私は世界に帰ってきた。子鹿よりも貧弱な足を懸命に立たせ、声の出し方すら忘れた口で息を吸った。生まれ変わったと、そう思ったほどの生還だった」
そう言ってからこちらを向き、乾ききった力のない笑みをみせてくる彼女。
そんな彼女にどんな目を、どんな言葉を掛ければいいのだろうと考えて何も言えなくなってしまう。
嗚呼、やっぱり駄目だな俺は。こういうとき、どうすればいいか分からない。抱きしめてやれるような男じゃないのが嫌になってしまう。
そんな臆病な今の俺に出来るせめてものことは、彼女のグラスに酒を注いでやることだけだった。
「……
「仰るとおりで。
「いいや。ただ解放されてから、最初に口に入れたのがこの赤黒い酒だったなと思い出しただけだ」
シルフィナは赤紫色の液体の注がれたグラスを眺めながら揺らし、やがてゆっくりと口へと含んでいく。
「それで復讐を?」
「ああ。……情けない話だろう? 要は憎悪に縋ったのさ。生きる意味も目的もない、なにをすればいいのかも分からなくなってしまって狂いそうだった私はとうの昔に失せてしまったそれを支えにするしかなかったのだ」
「情けなくなんてないさ。むしろ強いよ。もしも俺が君の立場だったら、とっくのとうに死という安らぎを選んだだろうさ」
それは同情でも励ましでもなく、俺だから出来る心の底から称賛だと思っている。
俺もずっと同じ場所に閉じ込められてはいたが、自由はあったし、何より言葉を交わせる友がいた。
だから分かる。もしもその二つがなければ、俺は修行すら始めず心折れていたことだろう。
そんな地獄のような孤独を、恐らく俺なぞよりも遙かに長く味わったのだ。今こうして理性的に話せている彼女の心は、きっと鋼や最硬と謳われるオリハルコンなんぞより硬く美しいもののはずだ。
……改めて実感するよ。俺は上等どころかとんでもなく良い女に惚れてしまったもんだと。
それこそ地上でしか生きられない人が、遥か彼方の星の輝きに魂を奪われてしまったように。
「そうして一年ほど情報を集め、そしてようやく王都に辿り着いた。それが貴様に会う数日前の話だ」
「なるほど。……そういや地下の存在ってどうやって気付いたの? あれはどんな情報通でも知りようがないだろうに」
「杖の……世界樹の声を聞き取ったんだ。そこに空間があるのなら、後は現地で調査して何とか発見にまで至っただけだ」
こともなげに語ってはいるが、それだけでもすごいことだよね。少なくとも、俺じゃ数日でなんて不可能だっただろうよ。
「だが驚いたよ。まさか邪魔してきた人間が私の咄嗟の言葉に返してきたのは。そしてあろうことか、そいつが私同様にやつとの因果を持っていたのだから、最早運命とすら思えてしまうな」
「……ああ、まあね。何だっけ、あー忘れたけど。とにかく昔の言葉でしょ? 俺も最初聞いて驚いたよ」
敢えてツッコまなかったそれを指摘され、まあ隠すことでもないと素直に首を縦へと振る。
最初に会ったときの一回だけだが、シルフィナの言葉には現代で使われている共通語とは違う発音のものが混じっていた。
俺は大工房でのお勉強でそれを習ったから、それが激情の発露ではなく言語だと理解出来た。まああくまで理解出来るだけで、ちゃんと使えるかと言われればそんなことはないんだけども。
「どこで習った? この時代ではとうの昔に失われているとさえ思っていたが」
「古くさい教師と縁があってね。そいつに字を習ったんだけど、溜め込んでいる知識が古いせいか、現代のではなく昔の言葉ばかり教えてきたんだ。まあそれで君の興味を惹けたんだから、あの地獄の時間も報われるってもんさ」
あの辛かった勉強の日々を思い出し、つい目を背けるようにボトルへ口を付けてしまう。
あのクソジジイ、俺が馬鹿だからってめっちゃスパルタだったんだよね。
確かに勉強中も酒飲んだりしてた俺だって悪い部分はあったよ?
けどさ? こちとら修行やら何やらで疲れてるってのに、間違えたら布ぐるぐる巻きにした木刀で叩いてくるんだから酷いよな。やっぱあいつ人じゃねえな。
「さて、私はそろそろ行くよ。あまり長居してれば心変わりした姉が襲ってくるかもしれないからな」
「えーもう行っちゃうの? いいじゃん一晩くらい。祝勝会付き合ってくれよー」
「お断りだ。このまま貴様といるとただでさえ弱い心が更に弱くなりそうだ」
シルフィナのグラスに酒を足そうとするが、それを手で断ってからゆっくりと立ち上がってしまう。
グラスを手渡しで返され、先ほど脱ぎ捨てた外套を拾い直し、本当に準備を進めていく彼女。こんな夜更けで酒も飲んだというのに、どうやら本当に行ってしまうらしい。
「お前はこの世の誰よりも毒のような男だ、今の私にとってはな。だからこそ、絆されていては互いの目的から遠ざかりってしまいそうだ」
「そうかな、そうかも。そうまで言ってもらえるのに振られるとは、俺ってやつはとことん女という生き物に縁がないらしい。……残念だ」
そう言ってくれる彼女の目はあまりに優しく、それでいて決して曲がらないと分かる強い光がある。
まあ所詮は一夜だけの協力関係。互いに果たすべく目的があるのだから、私情で引き止めるなんてとても俺には出来ない。俺が逆の立場であったとしても、きっと情が移る前に離れようとしたはずだ。
だからからからと笑いながら、人生五度目の失恋と相棒の旅立ちを祝して飲んでやるのが俺に出来る唯一の送り出し。別れの涙は呑み込むのが良い男のもののはずだ。……やっぱ辛えわ。
しかし命を預け合った仲だというのに旅立ちがこれだけなのは味気ない。
……あ、そうだ。せっかくだしあれがまだあったはず……うん、あった。これこれっ。
「んじゃこれは餞別。故郷をいっぱい、時々俺のことを思い出しながら飲んで欲しいな」
「……いいのか? 相当な貴重品だろう?」
「いいさいいさ。俺より美味そうに飲まれちゃあげたくなるのが人情ってもんさ。ここは美人は得ってことで受け取ってくれると俺も助かるよ」
「……そうか。なら受け取っておく、ありがとう」
シルフィナに半ば無理矢理渡したのは透明な、先ほどまで飲んでいたお水の酒のボトル。
これで最後の一本なんだが、まあ惚れた女に贈るのなら惜しくはない。故郷の水ってのは一人荒野を歩く旅人にとって何よりの潤いになるはずだ。
シルフィナは遠慮しながらもやがて受け取り顔を綻ばせ、それはそれは美しい笑顔でお礼を言ってくる。
そんな彼女の不意に見せてくれた笑顔に、思わず心臓がどきりと強く弾んでしまう。
まるで暗いだけの夜に銀色の華でも咲いたかのよう。
まいったな。それなりに恋をしたことはあるはずなのに、何故かいつもと違うときめきを感じてしまった。
……ははっ、我ながら言葉だけの男だ。
恋だなんだと言いながら、こんなにも熱く苦しく心地良い情動の波を初めて感じたんだからさ。
「縁があればまた会おう。その時は、互いに目的を果たせていればいいな」
「ああ。……で、どっち行くんだ?」
「まあ見ていろ。……杖よ、我が声に応えたまへ。担い手の求める真実への道を示したまへ」
シルフィナが真上に杖を掲げると、杖先に灯った白い光が一方向へと真っ直ぐ伸びていく。
まるで矢印のように曲がることのない光は、持ち主の求めるものがそちらにあると告げるかのよう。
すごいねそれ。物なくしたり迷子になったときとか、あと明かりに困ったときとかに便利そう。俺も欲しいな。
「おー綺麗。その先にあるの? 君の一番欲しいものってやつが」
「まあな。何があるか、どこまで行けばいいのか。そんな具体的なことは一つとて分からんがな」
やがて光が消え、再び暗がりへ戻った夜の中で杖を下ろしたシルフィナ。
……そういや目的地と言えば、俺は次に向かえばいいのだろうか。
色々知れたりはしたのだが、結局失われた賢者の都への情報なんて零で終わっちゃったわけだし……あれ、もしかして俺詰んでね?
「そうだ。あのー、良ければ一つお願いが……」
「ふふっ、分かっているさ。そんな物欲しそうな目で見てくるな。今示してやるから」
「ありがとっ。いやー実はまじで困ってたんだよねぇ。次どっち進めばとか、そういうのまったく知ることなく王都巡りが終わっちゃったからさ」
両手を合わせ見つめてみると、目の前の美女はやれやれと首を横に振りながらもう一回杖を掲げてくれる。
ありがたい。出来れば同じ方向とかなら嬉しいんだけど、流石にそう都合良くは──。
「「あっ」」
声は重なる。何故なら光の示した方角は、ついさっきとまったく同じ方向だったのだから。
「ああ同じ方向。ははっ、やった。どうやら恋の神様ってのはまだ俺に微笑んでくれるらしい」
「……はあっ、どうやら
絞り出すような笑い声と共に、俺は全力で歓喜を吐き出してしまう。
それに対しシルフィナは、顔に手を当てながら首を振り、けれども少しだけはみ出した口元を緩ませながら吐き捨てるように呟いた。
「提案なんだけどさ、どう一緒に? これも縁だと思ってさ? これでもちょっとは腕立つし、毎晩違うお酒を提供出来たりもするよ?」
「……何となくだがそうなるだろうなとは思っていたよ。まったく、私の決意を返してくれ」
「おけい決まり! なら今日はもう飲み明かそう! 旅立ちは朝日を浴びながらにしよう!」
この機を逃すまいと手を伸ばすと、シルフィナは一つ大きなため息を吐いてから俺の手を取ってくれる。
ひんやりとした柔らかな手の中に、確かに感じる人の熱。
俺の激しい心臓の鼓動と脈動が伝わっていないようにと、そう願いながらしばらく握り、やがて放してからは座り直し、浮かれた脳みそで次の開ける酒の吟味を始める。
ああ、せっかくだし開けてしまうか黄金酒。
こういうめでたいときのための至宝。あと一本だと惜しんでいちゃあ、いつまで経っても
「ところで人間。今更なんだが、貴様の名前は?」
「やっぱり興味なかったんだね。じゃあ改めての乾杯と共に」
ぱんぱかぱーんと。
上機嫌で黄金のボトルに取り出し、それぞれのグラスに酒を注いでいると、隣へ座ってきたシルフィナは再度グラスを受け取りながら、そういえばと言った具合に尋ねてくる。
何となくそうじゃないとは思っていたが、やっぱり覚えてなかったなと。
そんな悲しい悲しい現実にめげることなく立ち上がり、ゆらゆらと彼女の前に立ってから数度ほど喉を整える。
「そんなわけで改めて。俺の名前はトゥール。かつてはしがない木こりであったが、今は君とお酒に恋をしながら自由を求めて旅をしている法浪人さ」
自らの財に誇りを持つ貴族や、或いは物語に出てくるような気取った物盗りのように。
月夜を背に、浮浪の旅人や木こりなんぞには似合わない、それはそれは気取った礼を敢えて一つ。
そうして数秒の間を頭を下げていると、シルフィナは堪えきれなかったのか笑いを零し、夜の静寂に鈴のような音を付けてくれる。
「……ふふっ、そういえばそんなこと言ってたな。……ならばよろしく頼むぞトゥール。嗚呼、思いの外長い付き合いになりそうだ」
「気が合うね。じゃあ願わくば、それが人生一回分くらいの長さであることを。乾杯っ」
再び彼女の隣へと戻り、グラスを手に取って鳴らし合う。
都の場所は依然不明。
阻み呪ってくる相手は賢者様の杖にして理外の怪物。
そして猶予は多分そんなにない。
確かに強くはなったけれど、世界はまだまだ広く。
まさにお先真っ暗。羅列すればするほど俺の人生はこれまでかと、現実という無慈悲に絶望してしまいそうになっちまう。
まあいいさ。そういうのは後で考えればいい些事でしかない。
そうでなければせっかくのお酒の味も濁ってしまう。どうせ終わりの時が決まっているのなら、せめてそれまでは最上のひと時を過ごすべきだろう。
ひとまずは今宵の生還と、目的の再確認と、何より新たな恋と相棒の獲得を祝って。
そしてこれから無謀で途方もない冒険へ挑む俺と、呪われたからこそ出会えた美女の相棒の道行きに幸あれってね?
そんなわけで待望の黄金酒ちゃんをごくりっ。
……嗚呼、やっぱ美味えなぁ! 食べたことのない金の味! ゴージャス!
「そういやさ、今思い出したんだけど。俺の呪いって解けるもんなの?」
「後で診てやるさ。だから今は飲ませろ。……つまみないのか?」
ない。ごめんちゃい。俺も欲しい。
────────────────────
読んでくださった方、ありがとうございます。
あまり需要もなさそうなのでここで完結とさせていただきます。申し訳ございません。
最後に感想や☆☆☆、フォローや♡等していただけると嬉しいです。作者のやる気向上に繋がります。
金髪エルフに押し売られた伝説らしい金りんご、どうやら曰く付きの本物だったっぽい わさび醤油 @sa98
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます