逃げるが勝ちさ、今回は!
「どうしたのお兄さん? リラックスリラックス。どうぞあの日みたいに、楽しくおしゃべりいたしましょう?」
闇夜に現れ出でた、神々しさすら漂わせている金髪のエルフ。
そんな彼女はこちらへ気さくに話しかけてくるが、美女相手だというのに後退ってしまう。
不思議と剣を持つ手に力は入らず。けれど悲鳴を発するが如く震えて仕方ない我が全身。
表面だけなら金髪美女エルフ。だが奥底の、僅かな片鱗ですら窺えばそんな甘ったるい意見は翻ってしまう。
生物としての規格が違う。何か、越えてはならない何かを超越してしまっていると本能は告げている。
指先一つ、下手をすれば瞬きさえなく俺を殺せる次元違いの怪物。それが目の前で優雅に笑う、人の形をした何かの真実。
どんなに美しかろうが怖いものは怖い。いや、むしろ美しいからこそ恐怖が尽きない。
当然だ。そこに嘘はつけないし、そう思うのが間違いだとは思わない。
だから落ち着け。どうか落ち着いてから俺よ。
それらを押し殺してでも冷静であってくれ。恐怖で思考を鈍化させず、全身全霊で目の前の現実と向き合ってくれ。
「……ああそうだな。またお目にかかれたこと、大変光栄に思うよ。あの日りんごを売ってくださった、美しいエルフの店員さん?」
今の俺に出来るのは、必死に考えて口を回すことだけ。生き残るにはそれしか道はない。
見てみろ。隣のシルフィナは色んな想いに呑み込まれてしまっている。ならば俺がない頭と勇気を振り絞り、せめて一つでも時間と情報を引き出さなければ生存の道はない。
嗚呼、酒が飲みたい。安酒でいいから酔ってしまいたい。恐怖で思考を鈍化させないために、酔いで恐怖を鈍化させたいぜ。
……この空気の中、鞄から取り出したら怒られるかな。そもそも取り出せるかな。
「覚えているとも。嗚呼、もちろん貴女みたいな美人を忘れるはずがないとも。巧みな話術で俺に金のりんごを売りつけ、なけなしの二千マニーを搾っていた美しくも残酷なエルフのお姉さん。思えばあのときは随分といい夢を見せてくれたもんだ」
「あらあらお上手。けれどいけない坊や、人妻を口説いちゃ駄目よ」
会話か察するにあの金髪美女エルフとは肉親らしい、そんな我が相棒ことシルフィナ。
なるほど。それなら確かに納得だ。つまりシルフィナの耳は見間違いではなく、正しく偶然が生んだ発見であったということだ。
しかし肉親が、それも人妻が復讐相手とは随分と難儀な人生……いやエルフ生か。
俺だって妹を恨んだりしたことはあるし逆もまた然りだっただろうが、流石に殺したいなんて思うほどではなかったはず。少なくとも、俺の方は。
確か男が絡んでるんだっけ? 嫌だなぁ、何時の時代も人を狂わせるのは人ってことなんかね?
「だけどそう、
「??」
「嗚呼、坊やは気にしないで。その時が来れば全て理解出来るわ。貴方だって、最後には分かってくれるはずだもの」
残念そうに気持ちを沈ませながら、一人で納得するように頷く金髪のエルフ。
なるほどさっぱりだ。どういう意味か欠片も見当が付かない。そもそもそれ、気のせいかもしれないが俺を向きながらも俺に言っていないような気がするんだが、気のせいかな?
「そういえばお姉さん。いくつか訊きたいことがあるのですが、何卒質問を許してもらっても?」
「うーん、どうしましょう? ……まあでも、今日はとても機嫌がいいの! だから一つ二つくらいなら答えてあげちゃおうかしら!」
「そりゃありがたい。ではそのご好意に甘えて、いくつか尋ねさせていただくとしましょうかね」
あんまりにも情報がないので、勇気を持って質問していいかを尋ねてみれば、何と予想外にも肯定的で逆に俺が拍子抜けしてしまう。
ああそう、この流れで話してくれるんだ。そらありがたい。じゃあ遠慮なく聞いていこうか。
「じゃあ一つ目。なんで警備の方々寝てるの? お友達じゃない感じ?」
「そんなこと? 私とお兄さんとシルちゃんの三人でお話ししたかったから。それだけよ?」
本当にそれだけだと、例え子供だって分かるような軽さで話してくれる金髪エルフ。
この警備や騎士達に味方じゃないのか、或いは本当に邪魔だから眠らせてしまっただけなのか。
多分両方。味方でもないし邪魔だっただけ。そうじゃなかったら下の……あー、名前は忘れたあの性別不詳な騎士様が増員で俺達を諦めさせようとはしないだろう。断言は出来ないけどね。
「なるほどなるほど。なら偶然だけど本当に助かってる、ありがとう。じゃあ二つ目。俺の胸に付いてるこの謎の模様。ある人はこれを呪いと呼んだんだが、つまり呪いをかけたってのは──」
「呪いじゃない、祝福よ。言い間違えるなんて非道いお兄さんね?」
「──失礼した。祝福、嗚呼、実に好い響きだ。で、その祝福ってのはどんなものなんです?」
一瞬、呪いと口にしてしまったその一瞬。
俺の全身に奔った恐怖は、金髪のエルフがほんの少しだけ目と声の色を変えたから。ただそれだけ。
たったそれだけ。それだけだと理解は出来ている。
そのはずなのに冷や汗が止まらない。実感するほど鳥肌が立ち、呼吸すら忘れてしまいそうになる。
ただの一声。ただの一睨み。
それだけで俺は今、死という暗く寒い感覚の片鱗を経験してしまった。死んだと、僅かにでもそう確信してしまった。
……まいったね。泣いちゃいそうだし漏らしちゃいそうだよ。
どうにか訂正を口に出し、相手の機嫌を戻せた自分をそれはもうよしよししてあげたいね。
「そうねぇ。別に教えてあげてもいいんだけど……でも不思議ね? 一応十年くらい経つのかしら? それくらいの時があれば、もうとっくに完成していてもおかしくはないんだけど。ちょっといい?」
「はえっ!?」
「うーん、やっぱりまったく進んでないわ。まるで時間でも止まっていて、昨日ようやく発現したみたい。不思議ねぇ、やっぱり理論と再現だけじゃ足りなかったのかしら?」
瞬きなどしていなかったというのに、気付けば金髪エルフは俺の目前まで寄っていた。
そんな彼女は胸を──ちょうど呪いが刻まれた部分を、まるで服の上からでもそれがどこにあるのか判っているかのような確信で手を当てて、何かに納得しながら次の瞬間には元の場所へと戻っていく。
僅か数秒にも満たない、ただ近づいて離れただけの動き。
だというのに、俺の理解が追いついてくれない。
速さとか騙されたとかそんなちゃちな話じゃない。気がついたらそこにいて、次の瞬間にはもういなかった。それだけなのに、俺はこれっぽちの反応も警戒も、そして理解も出来なかったのだ。
気持ち悪い。何も分からないということがただただ不快で恐ろしい。
ここが現実だと思いたくないあの感じ、まるでどうしようもなく悪い酔い方して覚えのない場所で起きた次の日みたいだ。
「まあいいわ。発現自体はしているのだし、この様子ならもう少し待てば定着してくれるもの」
「あのー、質問について答えては……」
「ああごめんなさい! そうね、ふふっ、やっぱり教えてあーげない♡ その代わり、私の家に連れて帰ることにしちゃったから! 今日からは私達の家でその日が来るのを待ちましょう?」
金髪エルフはパンと手を叩き、まるで名案を閃いたとばかりに嬉々としてそう口にしてくる。
一度は恋しちまったほどの美人にお持ち帰りされるとか、俺も随分と出世しちまったもんだ。
けれど何故だろう。嬉しさよりも、身の毛もよだいちまうほど怖くて怖くて、そしてとてつもなく苛ついて仕方ない。
俺の意思など意に介さないそれは、俺に刻まれた自由を奪う呪いそのもの。
自由に生きられない。その手を取った先に待つのは、籠の中で翼を広げられない鳥と同じ末路。
嗚呼、それは何とも面白くない。
そんなんじゃ生きている意味なんてないだろう。死んでいるのと同じことだ。
「あー、美人の家とは大歓迎なんだが、流石に人妻相手だし遠慮させてもらおうかな。なんせ俺は気ままな旅人、これからちょっと世界を巡らなきゃいけないからね」
「いいのよ遠慮しないで。そう遠くない未来、貴方の家にもなるんだもの。旅なんて後で一緒にすればいい……そうね、そうしましょう! 貴方が戻ったら一緒に世界を歩きましょう! そう、あの新婚旅行のように!」
訳の分からない、またもや俺へであって俺ではない何かに語りかけるような話し方。
また俺を見ていない。目の前にいて眼中にないってされるのは、どうにも気にくわないなぁ。
「……まさか、そういうことか。なんという、なんという愚かな真似をっ! 貴様はどこまで、どこまで人の道を外れるというのだッ!! オルフィナ!!」
「悪い? そうね、だって貴女は知らないもの。甘く激しく刺激的で、いつまでも味わっていたい恋の味を。世界の意志と循環の使命なんて無価値だと、そう思えてしまうほどの愛に浸る快楽を」
そんな俺にしては珍しい、美女への苛立ちに少し剣を握る力を強めていると。
シルフィナは何かを察したのか、まるで悍ましいもの見たかのような表情を向け、この世の逆鱗にでも触れたかのように怒号にて糾弾する。
だがそんな彼女の叫びにオルフィナと呼ばれた金髪のエルフは平然と、そして坦々と言葉を返してから、手に持っていた長い木の杖を空中に浮かべ、再び椅子のようにして腰を下ろした。
「さあ始めましょう? お兄さんは私の家に。そしてシルちゃんは……私の宝物を壊して杖まで奪っちゃったから、もう一回樹の中で反省してもらおうかしら?」
ふわりと杖に座ったまま、それが当たり前のように空へ飛翔するオルフィナ。
翼もないのにあんなにも高く、ちょうど月と重なる位置まで昇っていき、そして収まるように静止する。
「
たった一言。鳥が囀るように短く軽やかに唱えられた直後、空を染め上げたのは黒。
夜空の黒さえ呑み込む黒はあの大工房の入り口のように、星や月さえ隠し黒色一色へと染め変えてしまう。
説明出来ない未知。認識しがたい現実。
けれどその正体は分かる。曲がりなりにも魔法について学び、魔力を得たからこそ分かってしまう。
あれは魔力。空を埋め尽くすほどの膨大な魔力だ。
生き物一体が持つにはあまりに過ぎた、魔法という常識の外にある魔法。それが今、あのオルフィナと呼ばれた金髪のエルフが息をするような気軽さで行使されたのだ。
「ははっ、あんなのを一節でかよ。馬鹿じゃねえの?」
「何という。ここまで、まさかここまでとは……!?」
もはや笑うしかない目の前の現象。
多少なりとも魔法の勉強をしたからこそ分かる。同時にどうにもならないと悟ってしまう。
あんなの大やら小みたいな人の常識で括っちゃいけない。あれは最早、魔法というより天災だ。
「なあ相棒? もし戦って奇跡にも勝ったらさ、その時は律儀にこの呪い解いてもらたりしないかな?」
「……さあな。私はあいつに勝ったことなどないからな」
「ああ、そら残念。でもそういう期待でもないとやってけんよな。まじで」
そんなの出来もしないと自分で思いながらも、それでも吐かずにはいられない戯れの言葉。
広がった黒は一気に凝縮し、一滴の雫のようにこの広場へと垂れ落ちようとしてくる。
あれがそのまま地面へ落ちれば、きっとそのまま夜空みたいに全部を呑み込んで黒へと染め上げるはずだ。
一目で分かる。あれを斬れる境地に俺はまだ達していない。それどころか、斬るという行為に意味を見出せすら出来ない。
情けない。たかが魔法一つの前に、先ほどまで強く握れていた剣を落としてしまいそうなほど心を折られるとは。……嗚呼、本当に情けないな。
「一応聞くけどさ、何か隠してる切り札とかある? 何なら君が一人で逃げられるやつでも構わないよ」
「……あるにはある。だが初めてなんだ、この状況で出来るかどうか……」
「良かった。なら使ってくれ。俺のことは気にしなくていいよ、遠慮せずに逃げてくれ。それが出来たら、きっとこの場は俺たちの勝ちのはずだ」
どうやらシルフィナには逃げる手段があるらしい。
ならば少しは力も出るというもの。彼女が無事に逃げてくれれば、俺の片思いや人生だってちょっとくらいは報われなくもないはずだ。
現金極まりないが、その猶予を稼げると考えれば少しは剣を上げる力も戻ってくるというもの。恋する男なんてそんなもん。うん、そのはずだ。
「だけど、私には……」
「出来るさ、大丈夫。俺の相棒はこんなときこそ上手くやってくれるって信じてる。さっきだって俺を助けてくれただろ?」
信頼を表すようにっこりと笑いかけながら、立ち塞がるようにシルフィナの前へと出る。
まだ一日にも満たない付き合いだけど、それでも君のことを少しくらいは知っているつもりだよ。
口の悪さも、俺の名前なんて多分覚えていないことも、卑下するほど弱くないってことも。
けど、だから俺は前に立てるんだ。
惚れた女のためならば、死ぬほど欲する自由でさえ天秤に掛けられる。どこまでいってもその程度の人間で、そんな自分が嫌いじゃないんだ。
さて、ではでは俺も覚悟を決めるとしようか。
一秒でも盾であれるのならば万々歳。この蛮勇に意味などなくとも構わない。何なら一秒を生み出すために、今の俺の壁を越えてしまえばいいだけだ。
ああでも、最後の一杯を飲む暇がないのだけは残念だ。まさかこんなにも酒を余らせたまま、俺の冒険が終わりを迎えることになろうとはね。
「……ふふっ、ふはははっ! 人間のくせに生意気な! だがやってやる、やってやるともッ!」
「えっ。……お、応ともっ! 頑張って相棒っ!」
二度と振り向かぬ決死の覚悟で、ほんの一時でもシルフィナのためになろうと剣を構えようとした。
だがシルフィナは高らかに笑いを上げながら、俺の隣へと立って杖を掲げてみせる。
そうだ、その意気だとも。
それでこそ俺が惚れた銀のエルフ。世界に仇なそうと復讐を背負う、美しくも不器用な女だよ。
「
「何するつもりかしら……ああなるほど、世界樹の
シルフィナの持つ杖に溜まる涼やかな魔力。
言葉にならない詠唱と共に彼女の足下に見たことのない形の魔法陣が展開されていき、俺達は光に包まれ始める。
そんなこちらの細やか抵抗を感知したのか、オルフィナは小さく人差し指を動かし空をなぞる。
直後、天から降り注ぐ十二の光槍。そのどれもが、やはり彼女の理外によって編まれた戦場兵器に等しき魔法。
──けれど問題ない。うん、あれならまだ全然斬れそうだ。
十二の槍を蹴散らすべく、俺は再びシルフィナの前に。
ただし今度は生け贄になるためではなく、相棒が見せる奇跡ってやつを拝んで明日を迎えるため。
「生存剣十七の技、流星落としってね?」
剣と己に魔力を込め、光槍を迎え撃つべく、あの大工房にて編み出した生存のための剣技。
複雑な剣技の才能などないと散々謗ってきたミニ
流星落としはその一つ。かつて雨の如く空からひたすら降り注いだ小さな星々に抗うため、威力と速度に特化した迎撃の剣だ。
嗚呼、やっぱり対人戦よりこっちの方が楽だ。
だって読みとかいらないもん。斬れるものは斬れる、膨大な時と経験がそれを教えてくれるからさ。
「……へえ、なら次はちょっと──」
「掴まれ人間ッ!!
十二の槍を全て切り伏せ、少し目の色を変えてくれたオルフィナへ再び構えようとする。
だがシルフィナはそれよりも一手早く、俺の肩を掴んで引き寄せ、そのまま俺を抱きしめながら杖の先を下へ──いつの間にかはっきりと形を為していた魔法陣へと向けて詠唱を完了させる。
「うわっぷ、残念だオルフィナさん! 略奪愛は趣味じゃねえし、俺とあんたじゃ性格的に上手くやっていける自信がない! それに今はお酒とこのシルフィナで両の手が埋まっちまってるんだ!」
さらに発光が強まる中、上を見上げながら別れの言葉を告げると、一際抱きつく力が強まるのを実感する。
それにしても体を洗っていないのか少々すっぱい臭いもありながらも、決して失われぬ安らかな匂い。そしておまけに感じてしまう、いつかどこかでも味わったことのあるやわわな感触。
やだどうしよう。ちょっとどきどきしちゃう。どうし──。
空の黒雫が落ちきる直前。
つい湧いてしまった雑念を振り払おうとした最中、俺達は魔法陣から光が溢れ俺達を囲んでしまう。
眩むほどの光量に、思わず目を閉じて不安になってしまいながらも。
少し強くなった抱きつく力にちょっとだけ安心しながら、光の導く先へとこの身を委ねていった。
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