挑むは絶望 そして進むは最悪
言い訳するようだが、俺は決して弱くないと思う。
ただ木を切って酒を飲んで生きていただけの頃ならともかく、今じゃ再現体とはいえ単独で竜を狩れるのだから、これで弱いなどと自虐すればそれは謙遜ではなく嫌味でしかないはずだ。
とはいえ対人戦は苦手だったりする。
一つ振るまで考えることが多すぎだし、そもそも俺の剣は相手の技量に対抗出来るようなものでもない単純をひたすら伸ばしたような剣だからだ。
──まあ目の前のこいつの相手は、苦手とか得意とかそういう次元を越えちまってるんだけどさ。
「ぐっ、強烈ぅ!」
「やるね。じゃあこんなのはっ!?」
地下道に響く剣戟の音。絶えず甲高く響く、ぶつかり合う刃の連続に肌も心もひりついてしまう。
相手は目立った行動などしていない。ただ手に持つ光の剣を振るう、それだけだ。
だが驚嘆すべきはその速度、そして自然さ。日常を歩くかのように滑らかすぎる太刀筋は、目で追えているのに弾くのがやっとだった。
認めたくないが、この僅かな攻防だけで完全に理解した。
こと剣技だけを競うのであれば俺には勝ち目ない。むしろなんで今ついて行けてるんだって自分で自分を褒めてあげたいくらい。
いっぱい鍛えたってのに、自信無くしちゃうなあもう。まあでもそんなもんだよね、恋も人生もさ。
「ははっ! すごいすごい! 良い読みと反応だ!」
「よく言うよ。随分と手ぇ抜いてるくせにさ」
「お互い様だろ? ここは王都クラシモトの中央、そして偉大なる賢者様の黄金像の真下なんだ。私達が全力を出せば相応の犠牲が生じてしまう。この国の騎士の長の一人として、その惨状は看過できないのさ」
どうして弾けるのか、唾競り合えるのか分からないまま刃を弾いて後ろへ飛ぶ。
何とか距離を稼ぎ、息を整えていると騎士様はこちらとはまるで違う涼しい顔で、余裕綽々と目を輝かせながら笑いかけてくる。
本気ではない。そう、あいつはまったく本気など出していない。
舐めてくれるのは大いに結構。余裕や自信は誇るべきものだが、いつか僅かにでも驕りや油断へ化けてくれるかもだし俺にとっては好都合でしかない。
それでも目の前のこいつの
おまけにシルフィナの援護もまるで意に介さない。
背中に目でもついているかのように躱したりいなしたり、挙句魔力だけで散らしてしまったりだ。
「とはいえ誇るべきだよ。例え剣だけであろうと、私とこうまで打ち合える者はそう多くない。非才ながらに実直な、よく練り上げられた努力の剣捌きだ!」
そんなえも言えぬほどの敗北感を抱いているのだが、騎士様は何故か俺以上に俺の剣を褒めてくれる。
まったく、王都最高峰の騎士様がこんな盆暗我流剣術の何処をお気に召したのか。
まあしかしぃ? 褒めてもらえるというのは悪い気はしない。相手が一流以上というならなおのこと。
しかし才なき努力の剣とはよく視ていることで。そしてそちらは随分とお強いことで。まったく、嫌になるよ。
「何より強化魔法も素晴らしいね! 研ぎ澄まされている! 私達が扱うのとは少し異なる形式なのも興味を惹かれるよ!」
「そらどうも。嬉しいねぇ、こちとら褒められるって経験があまりないもので」
「どうだろう、ここで降伏してもらえないかな? もしも受け入れてもらえるのなら、我が隊に君の席を設けようじゃないか!」
あまりにも唐突で脈絡のない騎士様の勧誘に、俺は目の前の騎士の正気を疑ってしまう。
どうしようめっちゃ怖い。何が怖いって嘘は言ってない所、だって目がきらきらしてるんだもん。
つまり目の前の騎士様は本気で俺を気に入って、本気で騎士になれと言ってきているわけ。……ちょっと前に飲んだ一杯、実はとても回っててべろんべろんだったりする?
「……何言ってんの? 正気?」
「本気だとも! 君のことが気に入ったよ! その剣、是非とも私の側に置きたい逸材だ!」
念の為確認してみたが、答えは変わらずむしろ更に強く勧誘される一方。
その真っ直ぐな、宝石のように透いた紫紺の瞳に直視された俺は、つい騎士になった自分をちょっとだけ想像してしまう。
鎧を着て、王に傅いて、国の剣となるべく真っ当な職に就いた俺。……やだっ、意外とかっこいい。
妹よ、お兄ちゃん高給取りになったよ。これでパン一つを分けて一日を過ごさずとも済むぞ。
シルフィナもこれならちょっとは見惚れてくれ……ないな、うん。
「ふむふむ、流れの旅人兼世紀の容疑者候補から王に仕える騎士の末席に。……お伽噺でも中々ないであろう大躍進だね。何より定職に就けるってのは悪くない」
「!! じゃあ──」
「ちなみに俺がその話を受けたとしてだ。その場合、こちらの相棒はどうなるのかな?」
「……残念だが、温情かけられるのは一人だけだ。これだけの大事件だ、流石に主犯は用意しないと街の人々も収まらないだろう」
騎士様は残念そうにそう告げてきたので、ほわほわと頭にあった妄想が一気に霧散する。
まあ想像通りの答えだね。面白みもない現実だよ。
でも少しだけぴくりとしたねシルフィナ。もしやこの甘言に乗ってしまうんじゃないかと不安になったかな?
まあ不安になるのも無理もない。だって裏切れば俺は助かるって話だからね。それも一気に人生勝ち組だ。普通の馬鹿でもここで首輪を付けられることを選ぶのが利口ってものさ。
「つまりは明日必要になる縄が一つになるか二つになるか。とても騎士様の提案とは思えないね」
「それほどまでに君を気に入ったということさ。さあどうだろう? 受け入れてくれるかな? もし入ってくれたらいつでもよしよししてあげようじゃないか!」
騎士様は俺が手を取ると、そう確信しているかのように自信満々に手を伸ばしてくる。
なんて綺麗な手。こんなに暗くとも何故かわかる、あれは剣を振る戦士の手と傷一つない柔らかな淑女の完全なる両立だ。
そんな手を取れば明日から俺は騎士。応じなければ勝ち目の薄い戦闘続行。
よほどのアホでなければ悩む余地などなく一択だろう。だってもう一方を選んだら死だぜ? 悩む余地無くない?
「じゃあ悪い、男によしよしされるのは嫌だから断るよ。それに窮屈なのは苦手でね? 品性奉公に王へ仕えるより、酒を抱いて惚れた女を追っかける浮浪者の方が性に合ってるんだわ」
ま、当然俺はそんな馬鹿だから断るんだけど。
嗚呼、そんな目を点にされても困るよ騎士様。初めて上に立てたようでちょっとぞくぞくしちゃう。
まあでも落ち込む必要はないさ。だってこんな無意味な問い、最初から答えは決まっていたんだからさ。
しかしそういう提案自体が向かい合う敵には野暮だって習わなかったかな? まあ習わないわな、お利口な騎士様の教科書には必要ない非合理的な愚行だもんね。
「……ん? 聞き間違えたかな? 助けてあげるって、ぼくはそう言ってるんだけど」
「聞こえなかった? じゃあ言い直そう。ごめんね、生憎尻に敷かれるのは自由とお酒と惚れた女、後は妹だけで十分だ」
俺の言葉が信じられなかったのか、騎士様は困惑しながら聞き直してくるが答えは変わらない。
騎士団なんかにいたんじゃ賢者の都を探す暇もないし、きちんと労働してたんじゃ飲みたいときに飲めない地獄の日々のにはちょっと耐えられそうにない。
それに何より、惚れた女を裏切ってまで得た酒と自由なんて不味いに決まってる。そんな味しか楽しめない今後なら、それは勝ち組人生などとは言えないさ。
そんなわけで悪いね騎士殿。ここで捕まってやる気もないし、明日の縄の用意はなしで頼むよ。
「……そうか、私は振られたんだね。ふふっ、はははっ!! こんなにも容赦なく袖にされたのは初めてだよ! 嗚呼、やっぱり面白いね君はっ!」
「残念。世の中顔と暴力だけじゃ上手くいかないってことさ。一つ学べてよかったな、騎士殿?」
相当ショックだったのか、それとも本当に面白いから笑っているのか。
いずれにしても気味が悪い。
あいつはやべーやつだと顔を顰めて剣を握り直しながら、ちらりと後ろのシルフィナへと視線を移し、にやりと笑みを作りながらすぐさま目の前の敵へと視線を戻して集中する。
「ならばまずは制圧するとしよう。そして君の素顔を白日の下に晒し、それから再び問い直せば、提案の答えも考え直してくれるだろう! 誤解を解くのはその後さ!」
瞬間、そこにいたはずの騎士様の姿が消え、次の瞬間には響き渡る一際大きく甲高い音。
先ほどまでより一次元上の速度。まさに夜空に煌めき、そして消える星の光が如き刃。
先ほどまでのが歩だとしたら、調子の上がっていくそれは走。
そんな急襲に反応出来た自分を褒めてあげながら、後ろに退かされながらも防戦に徹して隙を窺い続ける。
「ほらほらどうする!? 受けてばっかりじゃ面白くないよ! もっと頑張れ頑張れ!」
例えば踊り子が踊るように、或いは川に水が流れるように。
一切の淀みなく、欠片の不自然さもなく刃を繋いでいく騎士様。
まさに完璧な剣術と言っていい太刀筋は、前に攻める切っ掛けさえ与えてくれず、踊らされているような不快な気持ちのまま切り結んでいく。
「くっ……!」
「ああ、さっきから邪魔しないでくれるかな? 今は彼と踊っているんだからさ、このお邪魔虫め」
唾競り合ったその一瞬、騎士様は背後から飛来した風の刃を軽く払いのけてしまう。
また防いだ。背中に目でもついてんのか!?
そんな騎士様はついに小さな、けれどはっきりと不愉快そうに息を吐く。
そして冷や水でも掛けられたような冷たい目を向け放たれた光の矢は、さながら一条の光のように煌めきながらシルフィナ目掛けて突き進んでいく。
まずい、あれは何か今までとは質が違う気がする。間に合えっ、全力ダッシュ……!!
「お、お前っ……」
「くっ……ああ、避けられた? 見くびりだった? なら謝る。ちょっとやばそうだったから、つい体が動いちゃった」
シルフィナの前に辿り着きはしたものの、振り向いて剣を振ろうとするほどの猶予はなく。
庇おうとした俺の右肩に光の矢が鈍い音を立てながら突き刺さる。
肩に広がる激痛。からんと音を立て、手から零れる愛剣。
光の矢はどうにか俺だけで止まってくれて、抜こうと掴めばすぐに霧散し、代わりに赤い血がどくどくと流れ出る。
なんだこりゃ、痛い、くそ痛ぇ……。
意識飛びそうだ。傷口がずっと灼けるようで、中にいたっては無数の針が食い荒らしてるみたいに悲鳴を上げまくってる。
今のは庇えて良かった。俺とのチャンバラとは違い、欠片の容赦も慈悲もない殺意の一矢だった。
矢で射貫かれたことはあの大工房でいくらでもあるけど、あのときとは比較にならない。
だから右の肩でよかったよ。これならまだ戦えなくもないや。
「すごいすごい、今のも庇えるんだ! でもさ? そんな女なんかに構わないで、君は私とのダンスに集中してもらいたいな?」
「けふっ、それは悪い。だけど大事な相棒なんでね、傷つけられるのは勘弁なんだ」
「……ふうん。相当大事なんだね、その相棒の
痛みで息を乱し、全身から血の気が引いていくのを感じながら落とした剣を拾い上げる。
何にもない空の表情をこちらへと向けながら、新たに光の剣を出現させて俺へと向けてくる騎士様。
こっわ。なんでそんな怒ってるのこの人。というか、なんで俺浮気した男みたいに詰められてるの?
何にも分かんないってのが一番怖いものだってのが今日改めて身に染みたよ。
まあいいや。おかげで違和感なく意思を交わせる、この瞬間を今は何よりも待ち望んでいた。
「なあ相棒。頼む」
「……っ!」
「おけい。多分いける。頼むよ」
騎士様には聞こえないよう、小声でほんの一瞬だけ作戦を伝える。
嫌だとは言わせない。だってこれしか勝ち目ないだろうからね。
上手くいくかは俺と騎士様次第。
なあシルフィナ、お前は今どんな表情している? こんな絶望的状況で、こんなくそみたいな博打提案されてさ?
「じゃあ続けようか。大丈夫。今度は終わるまで、しっかり私へ釘付けにしてあげるからさっ!」
剣を強く握り直した直後、騎士様は地を蹴り再び攻撃を再開してくる。
先ほどまでとは打って変わった苛烈な剣技。
流麗さは失われず。殺意も好奇もより一層濃く、そしてなおのこと速く。
しかし、嗚呼すごいな。
正直な話、状況が許すのならば、自分の剣なんて放棄して見惚れてしまいたいほどの剣筋だ。
剣を振り始めた今の俺だから多少は理解できる。
これは俺には辿り着けないもの。俺があと何回あの工房に籠もる日々を繰り返そうと、決して届かぬ剣の極地、その片鱗だ。
柄にもわくわくしちまう。万全に剣を振らしてくれない肩の怪我が何より口惜しく、けれど痛みさえどうでもよくなってきた。
不思議なことに、この剣を凌ぎ打ち合う度、俺の感覚も研ぎ澄まされてるような気がしてならない。良い酒で飲んで一番心地好く酔ってる、あの滅多にないほんの僅かな絶頂の中にいるような気分だよ。
「楽しいかい!? 私はとっても楽しいよ!」
「ああ! 嫌いだが案外楽しくなってきたよ! 対人戦っ!」
最早作戦も目的も忘れ、騎士様の笑みと剣に釣られるように、俺も高揚しながらこのひと時へと向かい合う。
今だけは踊らされている不快感などどこにもない。俺は今、この騎士様と同じ舞台で踊っているのだ。
楽しい、楽しい、まったく楽しいなァ!!
嗚呼、まさか棒振りなんぞでこんなにも昂ぶるとはっ!
やはり自分も男の子っ! チャンバラ遊びで目を輝かせる童心を忘れずにいたということかっ!
「はははっ!」
「くぅっ、ハハッ──!!」
片や楽しげに花畑を舞う少女のように。
そしてもう片や、醜悪に笑いながら火の道を歩く男のように。
出している声は対照的。
真逆ながら、二人だけの舞踏は紡がれる。
だが踊りなんてものに、楽しい時間に永遠なんてあるわけがなく。
決死の振り下ろしを剣にて鮮やかに流され、そのまま弾かれた俺は騎士様の一閃にて胴を裂かれ、続けの蹴りで後ろの壁へと吹き飛ばされてしまう。
「
「それは、どうも。げふっ、騎士殿にそう言っていただけるなら、それはとっても光栄だ」
形容しがたい苦痛。命が零れ、歓喜と興奮が急速に欠けていく喪失感。
どこもかしこも意識が飛びそうなほどの激痛を訴えてくるも、それら全部を必死に歯を食いしばって後ろの壁へと寄りかかり、こちらへ楽しげに微笑む騎士様を見上げる。
ははっ、随分と勝ち誇りやがって。
強すぎだろお前。ははっ、くそがよぉ。
「それでどうかな? 考え直してくれたかな?」
「がふっ、はあっ、悪いね。やっぱり俺は馬鹿らしくて、どうも死んだって治りそうにない」
「……そうか、残念だよ。君という高め合える
「……ははっ、買い被りすぎだろ。こちとらただの旅人、放浪者だぜ?」
だが本当に惜しそうな騎士様のあんまりな過剰評価に、つい腹を痛めながらも笑いを零してしまう。
こっちは満身創痍、対してあちらは軽く肩を弾ませる程度。ここまでとは恐れ入ったよ、はあっ。
だが不思議なことに、斬られた恨みが出てこねえ。
こんなにも楽しく剣を交えた相手にそこまで求められると、俺として悪い気はしないから困っちまうよ。
だがああ、おかげで助かった。
こんなにも楽しい一時だったから、俺も
「ああ最後に一つ。首吊られる前にさ、ここで最後に一杯飲んでいい?」
「……感心しないな。お酒などより、最後の一瞬まで私という君の勝利者をその目に焼き付けて欲しいのだけど」
「残念ながら、踊り終わった後に騎士殿へ向ける気力はとてもとても。それに、ああ、そろそろ心地好くなってきた。まるで夢を見てしまいそうな、ほど、に……」
にへらと笑みを浮かべていると、ついに待ち望んでいた時は訪れる。
急速に安らぎ始める意識。激痛も疲労も掻き消すほどの、濃密で心地好すぎる夢への
からんと、そしてどさりと音が聞こえたような気がするがどうでもいい。もう何も、考えたくな──。
「起きろ、起きろ馬鹿。……起きろ、この馬鹿人間っ!!」
「あいでぇ!」
至福の微睡みに身も心も浸ろうと思ったその瞬間、鼓膜を破るほどの音と肩の刺激で目が覚める。
ああびっくりした。心臓飛び出ちゃうかと……て、痛え! 肩がすっごく痛えんだけど!
「ああおはよう。今何……いってぇ!! ぐうぅ……!!」
「動くな。治療してやるから」
そういえば斬られたんだったと。
思い出しながら奔る激痛に悶えながら、シルフィナはため息を吐いてから俺の前へとしゃがみ腹の傷口へと手を当ててくる。
シルフィナの手に灯った淡い翠の光。
不思議な翠光に照らされた腹の傷はゆっくりと塞がっていき、やがて痛みと共に綺麗さっぱりなくなってしまう。
「な、治った。……治癒魔法か。すげえな、俺使えないん……うぐっ!?」
「黙ってろ。次は肩だ」
「ああどうも。……ところでなんで起きてるの? さっき言ってたよね? 自分にも効くって」
「耐性はないが対策くらいは用意している。利点も欠点も熟知しているんだ、当然だろう」
はえー流石。
まあそうだよね。もしもに対応出来ない毒とか俺も持ち歩きたくないわ。
しかし治癒魔法かぁ。
ミニ
「……さっきの、礼は言わんぞ。あれくらいは避けられた」
「ああ、別にいいよ。勝手に庇っちゃっただけだし、むしろごめん」
「……謝る必要はないだろう。助かったのは事実だ」
シルフィナはそれだけ言ってから肩から手を放し、立ち上がって離れていく。
肩を回してみるとそれはそれは快適に、むしろ前より好調だってくらい軽く回ってくれる。こりゃ肩こりまで取れてるわ。
「ありがとう、おかげで死なずに済んだよ。これならまだまだ戦える。もう一回あいつとは……ちょっとごめんだけど」
「ふん。その割には楽しんでいたようだが」
「それはそれ、これはこれってやつさ。さっきの俺はちょっと変だった、ちょっと呑まれてたね」
ゆっくりと立ち上がり、剣を拾って鞘へと収め、そのついでと鞄に手を突っ込み軽く漁っていく。
ああでもまだちょっとふらふらする……あ、そういやあれあったなあれ。えっと確かこの辺に……おっ、あった。これだこれ。
パンパカパーンと取り出したるは、透明な液体の入ったこれまた透明なボトル一本。
ぽんと、気持ちのいい音を立てて蓋を開け。
まずはと鼻を近づければ、相変わらずのすらっとした風のような香りが鼻腔を貫いて脳をたたき起こしてくれる。
そして口を付け、ごくりと豪快に呷っていけば爽快な刺激が喉から脳みそにかけて駆け巡ってくれる。
「ぷはぁ! やっぱ効くぅ!」
「……この期に及んで酒か。理解しがたいな、中毒か?」
「いやいや、これは
「いらない」
若干残っていたふわふわ加減も飛び去り、完璧に目覚めた頭に満足しながら酒を鞄へと仕舞う。
基本的にはきつけに使う酒なんだが、実は味も悪くないから好きなんだよね。酔い覚ましにお酒使うのはどうなのって時々正気に返ったりもするけどさ。
「んんぅ……」
「気持ちよさそうに眠っちゃって。まったくさ」
散々俺達を苦しめながらも、今こうしてすうすうと寝息を立てる騎士様。
うーんそれにしても顔がいい。
起きていても絵になるが、寝ていると一層芸術品みたいだと思えてならない。戦ってるときに見せていた苛烈な姿が嘘みたいだ。
そういえばなんだが、結局戦ってもまったく分からなかったし、未だに性別ははっきりしなかったな。
まあ今のところは男七女三でやっぱり男だよ派に傾いてる。誰かもう一方に賭けてくれて構わないよ、もちろん確かめる役目もそちらに譲るからさ。
「しかし助かったよ。俺だけじゃあのまま斬られてはい終わりって感じだった」
「ふんっ。ああも臭わせられれば私とて察するさ。とはいえそいつの警戒が外れたのは最後の一瞬だけだったがな」
「それでもさ。察してくれて超嬉しかった」
心の底からのお礼を告げれば、シルフィナは照れ臭かったのか顔を逸らしてしまう。可愛い。
俺の作戦。それは最初から剣で勝つことではなく、シルフィナの……あー、不思議な霧だっけ? とにかく上で見せてくれた不可視の霧でこの騎士様をぐーすかぴーにしてしまおうというものだった。
想定外だったのは予想以上にこの騎士様が強かったこと。まあ騎士の長……つまりは騎士長、この国でも最強クラスの相手だったのだからこの程度で済んでくれて助かったのだろう。
いやー世界ってのはまだまだ広いね! 俺が強いなんて思い上がりもいいとこだ!
とはいえひとまずは勝った! 試合には負けたが勝負には勝ったってやつよ!
その上傷も治ったし事実上の完勝でしょう! これはこの後の晩酌が美味くなるってもんよ!
「しかし中々に他人任せな策だったな。私が見捨てて逃げるとは思わなかったのか?」
「多分見逃してくれなかっただろうし、何より信じてたから。そんなことしないでしょ、ねえ相棒?」
「……ふんっ。高々一日程度の付き合いだというのに、一体なんの信頼なんだか」
ふん、と小さく息を漏らしながらそっぽ向いてしまうシルフィナ。
もしやデレかなとちょっとだけ喜ぼうとしたのだが、彼女はそのまま騎士様の下へ近づき、抜いた短剣を突き刺そうと振り下ろそうとしていたので慌ててその手を止める。
「……何故止める。こんな馬鹿みたいに強い人間との遺恨なぞ、一つとて残さぬ方が今後の為だと思うが」
「寝てるんだから平気だって。それに俺、まだ人殺したことないんだ。殺さなくていい場面なら見逃してくれないかな、ね?」
「……ちっ、甘ちゃんめが。後悔しても私は知らんぞ」
力で押さえながらお願いすると、シルフィナは舌打ちしながらもどうにか収めてくれる。
ふうよかった。流石に殺人は勘弁、まだそういう罪は被るにはちと覚悟が足りてないお年頃なんだ。
一応鎮圧は出来たんだし、わざわざ殺す意味なんてないもんね。重要文化財破壊、不法侵入、公務執行妨害等々をやっちまった犯罪者風情が言うには今更過ぎると思うけど、その辺は棚に上げておこう。うん。
「ん、んん……ううっ」
「……まさか、冗談だろ?」
「え、なに。そのやばいですみたいな顔。俺ちょっと休憩したいんだけど」
「……起きそうだぞこいつ。小型の竜でも最低一刻は堕ち続けるはずの、我が一族の秘伝の霧だというのに」
そんな問答をしていると、不意に寝息の質が変わり、まるで今にも目を開け体を起こしてきそうな気配を漂わせる騎士様。
俺とシルフィナ、互いに顔を見合わせること数秒。 次に騎士様が小さな呻いたと同時に、俺達二人はその場から駆け出した。
「逃げるぞおい! やっぱり殺しておくべきだったな!」
「ごめん否定できない! まあそういうこともあるよ! さあ行こうっ!」
早速自分の甘さが招いたことへ謝罪しながら、気持ちを切り替えて地下道を駆け抜けていく。
もう一戦やったら手は抜かれないだろうし、今度は確実に負けてやれる自信がある。
あばよ騎士様。出来れば二度とその顔が拝みたくないもんだ。もちろん冗談抜きで。
「ここを抜けたら騎士がいっぱいらしいぜ! あのすごい霧で今回もいけたりしない!?」
「無理だなっ。押し通るのが一番最短だ!」
「おーけい! ならここからが正念場ってわけだ! 気を引き締めて挑もうじゃないか!」
簡単に作戦を決めながら階段を駆け上がり、ようやく外の景色が見えてきたので剣を抜く。
さあて何百いるか、それとも何千か。どちらにせよ、さっきの騎士様よりかは楽であることを願いたいもんだがねっ!!
「いざ尋常に……って、はっ?」
そうしてシルフィナよりも先に飛び出して、先制攻撃だと剣を振ろうとしたのだが。
目の前に広がっていた珍妙な光景に面食らいながら、そのまま何もせずに着地してしまう。
「なにを……って、なんだ、これは?」
続いて出てきたシルフィナも、その異様な光景に固まってしまう。
無理もない。何故ならそこ広がっているのは、俺達を待ち構えていたであろう無数の人間が何故か倒れていたのだから。
恐らく増員された警備の者だろう。幸いにして死んではいないらしく、まるであの霧を吸ったかのように深く眠っているようだが、これは一体──。
「やっと出てきた。随分遅かったわね、シルフィナちゃん?」
──声がした。この異常な場所に合わぬ、胸が高鳴ってしまいそうな美しい声が。
それは咄嗟か、或いは本能か。
とにかく剣を握る手に力がこもりながら、それでもすぐに見回してみるもその姿はない。
けれども聞き間違いとは思えずにシルフィナの方を向いてみれば、彼女は恐怖と憎悪で顔を染めながらただの一点──前後左右ではなく、空へと顔を上げている。
だから釣られるように彼女の視線の先に見上げてみれば、いるはずのない空だというのに、確かに人の姿があった。
満月を背にし、ふわふわと長い杖の上に座る彼女の髪は金。
右の目には黒い眼帯を。そしてもう一方の瞳は、青空を凝縮したような碧い瞳が煌めき。
そして雫の形をした銀のピアスと小さな紅色の宝石を付けた、俺とはまるで異なる三角形の長耳。
──嗚呼、覚えている。覚えているとも。
いくら時が流れようと、その姿を忘れるはずがない。
あの日、まだただの木こりであった俺の恋も自由も奪った美しいエルフの姿を、よりにもよってこの俺が見間違えるはずがないだろうが。
そして同時に恐怖する。あの時から少しは成長した俺の全身から魂に至るまでの全てが、あのエルフという存在の一端を辛うじてでも理解してしまう。
友やシルフィナが言っていたのは真実だった。この期に及んで楽観的に考えていたのは俺だった。
あれは駄目だ。恐ろしいとか怖いとか強すぎるとか、そういう枠組みから既に外れてしまっている。俺や騎士様なんかで比較しちゃいけない、強さも美貌も別次元なエルフだ。
「……最悪だ。こんなにも早く、その忌々しい顔を拝むことになろうとは」
「そう? お姉ちゃんはとっても嬉しいわ。何せただ一人の妹との、長い刻を超えた再会だもの」
「ぬけぬけとッ!! 私を樹に閉じ込め永遠を過ごさせたのは、他ならぬ貴様だろうがッ!!」
憎悪。憎悪。憤怒。憎悪。そして恐怖。
今まで俺に発していた誹りなど可愛く思えるほど、そんな激情が伝わってくるほどの低い声で空のエルフに叫んでいくシルフィナ。
だが金髪のエルフは口元に手を当て、そんな怒りを流すように微笑みながらゆっくりと空から降りてくる。
そして地面に降り立った彼女は何故かシルフィナではなく、俺へと視線を向けてきた。
「ま、今はいいわ。私の大事な宝物を壊したのは許せないけど、今はそれよりこっちだもの」
「……えっ、俺?」
「ええ。久しぶりね、また会えて嬉しいわお兄さん。私のこと、覚えているかしら?」
座っていた杖を手に持ち、くるくると回しながら俺へと笑みを向けてくる金髪のエルフ。
そのあまりにあどけない、恋する少女のような笑顔に、そんな状況ではないにもかかわらず、ちょっとだけドキっとしてしまった。
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読んでくださった方、ありがとうございます。
良ければ感想や☆☆☆、フォローや♡等していただけると嬉しいです。作者のやる気向上に繋がります。
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