ぐうかわな本音を耳元でこっそり囁く名家の令嬢もみじさん

安居院晃

あの子の本音はぐうかわでドキドキする

 俺のクラス、一年A組には学校中から注目を集める生徒が在籍している。

 名前は──西四辻もみじ。

 片側を三つ編みにした長い茶色の髪と、誰もが振り向いてしまうほどの美貌が特徴的な女子生徒だ。本人の希望もあり、皆からは下の名前で呼ばれている。

 成績は文武どちらも超優秀。学級委員も務めており、クラスメイトや教員からの信頼も厚い。

 また正真正銘の名家の血筋を持つお嬢様ということもあり、誰に対しても丁寧で礼儀正しい。敬語はもちろんのこと、話し方からしてとても上品。


 同じクラスではあるものの、正直俺とは住む世界が違いすぎるため、特に関わることもなく高校生活を終えると思っていた──数週間前までは。


「ほら、先ほどから手が止まっていますよ、倉木君」


 夕暮れ時の午後四時三十分。一年A組の教室にて。

 机に向かい日直日誌を書いていた俺──倉木旭くらきあさひに、前の席に座っていたもみじが実に楽しそうな声音で言った。


「早く書いてしまわないと、最終下校時刻に間に合いませんよ?」

「いや、わかってはいるんだけどねぇ」


 とても面白そうに圧力をかけてくるもみじに、俺は右手に持ったシャーペンを指で回転させながら返した。


「こうも人にジロジロ見られていると、気が散って全く進まないんだよ。頼むから一人にしてくれない?」

「フフ、嫌です♪」

「ハハ、良い笑顔で言いやがって……」


 懇願をあっさりと蹴られてしまったことに、俺は乾いた笑い声を零した。

 日直日誌の記入を始めてから既に一時間が経過しているが、進捗は全体の半分ほど。最終下校時刻は午後五時なので、あと三十分ほどしかない。このままのペースだと確実に間に合わず、ペナルティとして明日も日直をする羽目になってしまう。それは嫌だ。この学校、日直の仕事が異様なほどに多いんだよな……何とか完成させないと。


 俺はハァ、と溜め息を吐いた。


「こんなことになるなら、休み時間中に書いておくんだった」

「あら。そんなに私と放課後を一緒に過ごすのが苦痛なのですか? 悲しいことを言うんですね。倉木君に乱暴されたと泣き叫びながら廊下を走って来てもいいですか?」

「本当に洒落にならないことになるのでやめてくださいお願いします」


 俺はゴンッ! と額を机にぶつけて懇願した。

 やめて。本当に殺されちゃう。一体どれだけの男が貴女に惚れていると思っているのですか。それをやられた暁には、俺は全身の皮を剥がされた状態で校庭の中央に磔にされてしまう。脇腹まで刺された状態で。


 俺の必死さが伝わったのか。面白そうに笑ったもみじは『冗談です』と言い、俺は顔をあげた。


「勘弁して。心臓に悪い」

「ちょっとした冗談ではないですか。乙女の嘘は笑って許すものです」

「許してほしいならもう少し可愛げのある嘘にしてくれ。具体的には俺の命にかかわらないような」

「大袈裟ですね。それで? どうして休み時間にやっておくんだった、と?」

「時間のことだよ」


 俺は黒板の上部に掛けられた時計を指さした。


「もう一時間くらい日誌書いてるけど、全然進んでない。おかげでこんな時間まで学校に居残りだ」

「一時間もやって半分しか進んでいないのは、かなり問題があるような?」

「責任の半分は貴女にあるんですけどねー?」

「妙なことを言いますね。男女の間で責任を分割できるのは、子供のことだけと決まっているのですよ?」

「返答に困るようなことは言わないでほしい」


 面倒な……。

 俺は一先ず無視することにして、指先を下に向けた。


「三十分前から結構な頻度で俺の足を小突いてきたり、スマホで写真を撮ったり、色々と悪戯を仕掛けてきてるじゃないか」

「戯れですよ」

「戯れって……そもそも写真なんか何に使うの? てか何枚撮った? 連射してたでしょ」

「使い道は特にありませんが……七十枚ですね」

「撮り過ぎだろ。消してくれ」

「気が向いたら消しますね」


 信じられねぇ……ここまで信じられない笑顔は初めてみた。

 言っても意味ないだろうなぁ。と思い、俺は頬杖をついてもみじに尋ねた。


「俺と一緒にいて楽しい?」

「はい。とっても楽しいですよ。こういう気の抜いたやりとりができるのは、倉木君だけですから」

「……」


 それを言われると弱い。

 もみじは普段から周囲の期待に応えようと、真面目で完璧な西四辻もみじを演じている。その心労は俺には想像することができないほどのものだ。しかも、家でも学校でも、彼女には気の休まる時間がほとんどない。

 俺とのやりとりで多少なりとも気を休めることができるなら、とことん付き合ってやろう。


「本当、数週間前までは絶対に関わることのない存在だと思ってたんだがな」

「こんな関係になったきっかけは──」

「お願いしますから掘り返さないでくださいマジで本当に勘弁」


 関係のはじまり、きっかけを語ろうとしたもみじを、俺は全力で止めた。

 あれは俺にとって黒歴史。思い出したくない記憶だ。今ここで掘り返されたら、俺は一晩中ベッドの中で『ぐぉぉぉぉぉぉッ! 俺を殺してくれ誰かッ!』と悶えることになる。


「恥ずかしがることないですよ。格好良かったですから。可愛くもありましたけど。萌えでした」

「マジで勘弁。本当に」

「フフ、わかりました」

「頼むよ……」


 このやりとりだけでどっと疲れた。もう頭を使って日誌を書く気力はない。

 もう適当でいいや。簡単に、箇条書きで、誰にでも伝わるように。

 これから、夏になる。暑くなる。熱中症に注意しようと思った。熱中症をゆっくり言って盛り上がるカップルを殴らないよう要注意。

 これでよし。完璧だ。今ならノーベル文学賞も狙えるぞ。多分。

 文字で埋まった日誌に満足した俺はシャーペンを置き、日誌を閉じて伸びをした。


「終わったー……」

「お疲れさまでした。頑張りましたね」

「そんなに労われるようなことはしてないけどな。んじゃ、あとはこれを職員室に──」

「お待ちを」


 完成した日誌を担任に提出しに行こうと立ち上がった俺の袖を指先で摘まみ、もみじは俺を引き留めた。

 なんだ?

 問うと、彼女は不敵な笑みを浮かべて言った。


「職員室に行く前に、簡単なゲームに付き合ってください」

「ゲーム?」

「はい。といっても、スマホゲームではありませんよ。これを使います」


 そう言って、もみじが机に置いたのはトランプだった。

 何の変哲もない。普通のトランプカード。

 これを使うってことは……まぁ、そういうことだよな。何をするつもりだろう。ババ抜き? 七並べ? それともぶたのしっぽ?


 俺が色々と予想を立てる中、彼女は山札から一枚のジョーカーと二枚のクイーンを抜き取り──その内、クイーンを一枚、俺に手渡した。


「やるのは、ババ抜きのラストです。最終下校時刻まで時間がないので、ルールはシンプル。倉木君がクイーンを引けば貴方の勝ちで、ジョーカーを引けば私の勝ち。一回勝負です」

「……何を賭ける?」


 問うと、もみじは首を傾げた(かわいい)。


「何故、賭けると?」

「この数週間でお前の性格はかなりわかったからな。こういうことをするってことは、何か賭けたいことがあるに決まっている」

「フフ。私のことを理解してもらえているようで嬉しいです。その通りですよ」


 肯定し、もみじは内容を告げた。


「といっても、大層なものはかけません。賭けるのは、絶対解答。一つの質問に、嘘をつかずに正直に解答します」

「つまり、勝者は敗者に何でも一つ質問する権利が与えられて、敗者は嘘をつかず正直に解答しろ、ってこと?」

「その通りです」


 ということはつまり、もみじは俺に包み隠さず答えてもらいたい質問があるということか。

 それが一体何なのかはわからないが、回りくどいことを……。

 チラ、と俺は時計を確認した。

 時刻は午後四時四十五分。あと十五分あるが、ゆっくりはしていられない。

 重いペナルティというわけでもないし、ここは付き合ってやろう。

 俺は椅子に座り直した。


「いいよ。さっさとやろう」

「ありがとうございます。それでは……」


 もみじは俺が見えないように二枚のカードを後ろ手に回し、幾度かのシャッフルを繰り返し──その後、それらを机に並べて置いた。


「手で持つと、顔や握力でバレてしまいそうですからね。私は後ろを向いていますので、選び終えたら声をかけてください」

「了解」


 俺が頷いた直後、もみじは宣言通り身体の向きを変えた。

 さて……。

 視線を机上のカードに移し、考える。

 後ろを向く直前、もみじは俺から見て右側のカードをちらりと見た。それはジョーカーなのか、はたまたクイーンなのか。残念ながら判断材料が少ないため、断定することはできない。

 仮にもし、俺がもみじの立場になったとしたら……俺は自分の聞き手側、即ち相手から見た左にジョーカーを置く。そして、あたかもそれを引かれたくないように振舞う。彼女も同じだというのなら、正解は右。

 けれど後ろ手でシャッフルした彼女は確認する前に机に置いた。つまるところ、彼女自身もどちらに何のカードがあるのか把握していない……。


 考察は無意味。

 直感を信じることにした俺は右のカードを選択し、もみじに声をかけた。


「選んだぞ」

「はい。では……どうぞ」

「?」


 一瞬、もみじの笑顔に違和感を覚えた。

 しかし気のせいだろうと判断し、俺は選択したカードに意識を向け、それを表に向けた。

 書かれていた絵柄は──。


「ジョーカー、か」

「私の勝ちですね」


 露わになったピエロの絵柄に俺は一抹の悔しさを胸に宿し、対照的に、もみじは嬉しそうに笑った。

 ということは、もう一枚がクイーン。二分の一を外してしまったか。我ながら運がない。

 まぁ、別に質問に答えるだけだからいいか……。

 楽観的に考え、俺はもみじに言った。


「で、質問っていうのは?」

「……楽しかったですか?」

「え?」


 問い返すと、彼女は真剣な眼差しで俺を射抜き、再び問うた。


「今日、私と過ごした放課後は……楽しかったですか? 迷惑では、ありませんでしたか?」

「……」


 何を聞きたがっているのかと思ったら……そんなの決まってる。

 苦笑した俺は一抹の不安を表情に滲ませるもみじに、彼女の求める答えを、嘘偽りのない自分の本心を告げた。


「楽しかったよ」

「……本当ですか?」

「うん。今日だけじゃない。これまで、と過ごした時間は全部が、楽しかった。気が付けば時間を忘れてしまうくらいに。迷惑なんて思ったことは一度もないよ」

「……フフ」


 俺の本心、答えを聞いたもみじは数秒の間を空けた後、頷いた。


「その答えが聞けて良かった……では、私は帰りますね。満足したので」

「それはなにより。俺も、職員室に行って──」

「でも、その前に」

「え?」


 椅子から立ち上がったもみじは何を思ったのか、教室の出入口ではなく、俺の傍へとやってきた。

 え、なに。何する気? まだ何かするの?

 突然詰められた距離に身体を強張らせるが、そんな俺の状態などお構いなしに残りの距離を殺したもみじは、俺の右手首を掴み、耳元へ唇を寄せ──。


「私も楽しかった。それに──ずっと、ドキドキしてたよ」

「──ッ!?!!」


 耳元で囁かれた直後──俺の右手には柔らかな感触が広がった。

 感触の正体は、もみじの胸だ。勿論、自分から触れにいったわけではない。彼女が掴んだ俺の手を、自らの胸に軽く押し当てているのだ。

 伝わってくるのは感触だけではない。

 ドクン、ドクン、ドクン。

 通常よりも少し速い、甘い鼓動が伝わった。


 初めて触れる異性の胸、感じる命の音。

 それらを意識すると、俺の顔には熱が宿った。

 まずい。今、顔を見られたくない。絶対に赤くなっている。夕陽では誤魔化すことができないほどに。


 しかし残念、隠すための腕は封じられている。

 どどどどどどうするッ!?

 何とか顔を隠す方法はないかと思考を巡らせるが……そんな俺をジッと見つめていたもみじは先ほどよりも満たされた表情を浮かべ、再度、俺の耳元に口を寄せる。

 そして──。


「嘘じゃないからね」


 普段は聞くことのできない、砕けた言葉。

 俺の鼓膜にそれを残したもみじは俺から離れ、今度こそ教室を出ていった。


「……頭、パンクするって」


 教室に一人残された俺は呟き、緊張で固まっていた全身を弛緩させ、大きな息を吐いた。

 完全に忘れてた。

 もみじは平然と……平然とではないのかもしれないが、こういうことをしてくる子だった。俺と二人でいる時は普段の抑圧された自分を解放し、かなりはっちゃけてしまう。暴走、とも言いかれるか。


 もみじの囁き。あれが本心なのかどうかは、正直なところ判断できない。

 けど……掌に残る彼女の鼓動は本物だった。加速した鼓動は。


「好きになるな、っていうほうが酷だ」


 誰にも聞かれていないことをいいことに呟き、俺は未だに熱の引かない自分の頬に手を当て──その時、気が付いた。


 もみじが座っていた椅子。

 その上に、クイーンのトランプが落ちていることに。


「……まさか」


 浮上した可能性。

 俺は脳内の予想、その答えを確認するべく、机上に伏せられたままのカード──俺が選ばなかったほうを捲った。

 直後。


「やられた……」


 視界に入ったカードの絵柄を見て、俺は溜め息と共に項垂れた。

 ジョーカーだ。伏せられていたカードはババだった。

 つまり俺は、どちらを選んでも負けるようになっていた、というわけである。


 イカサマの種は少し考えればわかる。

 もみじが後ろ手でカードをシャッフルした時だろう。あの時、あらかじめ仕込んでいたもう一枚のジョーカーとクイーンを入れ替えた。俺はそれを見抜けず、負けが確定している勝負に挑んでしまったのである。


 完全敗北。

 本当に、強かで食えない女だ。


 俺は手にしたジョーカーを机上に投げ捨て、去り際に見せたもみじの満足そうな笑顔を思い浮かべて苦笑する。

 あの子に騙されるのなら悪くない。

 そんなことを思いながら。



 〈了〉

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