B-side 5-4

「空想中の人物ということは、楓さんには実体がないということだよね」

「その通りだけど」

 何が言いたいのか真意が把握できず、質問に答えることしかできない。

「それなら、更紗の好きな人は楓さんではない」

「どうしてそう言い切れるんだ」

 少し頬を赤らめる、その顔を見るのは、初めてではなかった。

「だって私に残された僅かな記憶の欠片の中で一際鮮烈に刻まれている、誰かを好きだと強く感じたその瞬間に更紗が見ていた情景は、私に真っ直ぐ向けられた、嬉々として私の語りを聴く瞳だから」

 じっと熱の籠った瞳に見つめられる。

「そう、まさにこの和音の瞳」

 思い出した。楓が和音に対して敵対心を向けるようになる少し前、夕暮れ時の高校の教室で、更紗の創った壮大な物語を初めて聴いた。あの紅に染められた横顔を、透けて見えるシナプスの構造ではなくはっきりと更紗自身を、彼女の紡ぐ物語を、美しいと思った。

「体を持たない楓さんの瞳を見つめることなんて不可能だもの。私が、更紗が好きなのは、和音だよ。きっと楓さんだったんだね、更紗はこの感情をずっと何かに押さえつけられていた。でも今、私の中に楓さんはいない。だからこそ、自覚し得たのだと思う」

 初めから両想いだったなんて、そんな奇跡のようなこと、起こらなくてよかったのに。そんなことに奇跡を使ってしまわないで、更紗がただ更紗であってくれればよかった。そんな願いすら叶わない世界で、叶わないであろう願いが不意に叶ってしまった世界で、この奇跡が起こらなければよかったと嘆くことは罰当たりだろうか。

「和音、私とお付き合いしてくれませんか」

 大好きな顔が愛おしい色に染まる様を喜ぶことができないことを、どうか許して欲しい。

「俺に君は愛せない」

 口に出した言葉があまりにも冷たく無機質で、和音は自らに慄いた。それを意にも介さず、未知はへらりと笑って、そうだろうね、知ってた、と返した。

「露骨ではなくさり気無くだったから確信が持てずにいたけれど、私のことずっと、避けているよね。今日の約束を取り付けるときだって、どうしても顔を合わせなくてはできない話なのかと、直接会うのを渋るような言い回しをしていた」

 和音はそれ以上何も言えずに、静かに笑って家を出た。未知は引き留めることをしなかった。未知の有している情報はあまりに少なく、和音の抱えているものはあまりに多い。きっと和音を慮ることはできないとわかってのことだった。何も知らない未知にそんな気遣いをさせたことにさえ、胸を抉られる。

 街路樹はいつの間にか葉が無くなり丸裸になっていて、もうすぐ冬が来るな、と思う。

 美味しそう。

 そんな感情を抱く自分が気色悪い。受け入れられない、疎ましい。リハビリをしたとはいえシナプスの大半を失ってしまった未知は、ミクログリアにとってご馳走に他ならなかった。愛した人と姿形を同じくする存在に対して食欲を感じてしまう、その自分自身に対する嫌悪感は、いつの日か未知に対する嫌悪感へと成り果てそうで、そんな理不尽を彼女に押し付けかねない自分へ更なる嫌悪が募る。その切ないループは、未知と同じ空間にいる以上途絶えることは無いだろう。

 愛しているからこそ、愛せない。

 そんな単純とは程遠い思考回路を携えて、これから和音は、更紗と楓に会いに行く。

                   ―――――完

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思考回路 桜田 優鈴 @yuuRi-sakura

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