第27話 使い

 予想通り、梶彦かじひこは俺の不在中に「あの医者は、もうここに戻ってくる気なんかないんだ」と言い立てていたらしい。

 その影響のせいばかりでもないが、甚右衛門じんえもんさんたちも「都のほうに魅力みりょくを感じたら、そちらで医者をやりたいと思うかもしれない」と考えていたようだ。

 俺が元々は武家のおかかえの医者だったのを知っているから、なおさらそういう不安がわくのだろう。

 かと言って、素性すじょうをまったく明かしていなかったらそれはそれで、あやしむ者が出てきたに違いない。


 俺はずっと、軽谷かるやのような所でこそ医者の仕事をやりたいと思っていたし、追い出されない限り、ここを離れる気はない――おりれて、さりなくそう伝えているが、はたしてどれぐらい分かってもらえているか。

 はらを割って話し合って理解してもらおうとしたところで、向こうは本心なんか、簡単には口にしないだろう。心の片隅かたすみに不安や疑いがあっても、俺に気をつかって、「信用している」としか言わないに決まっている。

 もっとも――本当にうたぐり深いのは、里の人たちの言葉を額面がくめん通りに受け止められない、俺自身のほうなのかもしれないが。




 そうして、都から戻ってから六日たった日。

 内心ではいろいろと思っていても、表面上は何事もないかのように仕事をこなし、自宅へ戻る道を歩いていると。

 何やら、里全体がざわついているのに気づいた。


 何かあったんだろうか、と首をかしげていると、甚右衛門さんの所の小十郎が、あわてた様子でこちらへ駆けてきて、

「あ、あの、都から人が来てるんだが。燎玄りょうげんに用があると。えーと、あの、九護家くごけからの使いだとか、言ってたが」

 と告げた。


 俺は、どきりとすると同時に、困惑こんわくした。

 都で姫君の治療に当たったことは、里では話していない。公家の姫君を治療したなんていう話は、かえって里の人たちに「本当にこの人は里に居続けてくるれるだろうか」という不安をあたえかねない、と判断したからだ。

 油断していた。「里の人たちには知られたくないから」とはっきり九護家の側に伝えて、来ないでくれるようにたのんでおけばよかった。

 しかし、何の用なんだろう。


 俺は急いで、小十郎とともに甚右衛門さんの家に向かった。

 着いてみると確かに、それなりの家の使いだと一目で分かる男たちが、前庭で甚右衛門さんと話していた。甚右衛門さんの家の人間だけでなく、里の人たちもぞろぞろと、それを遠巻きに見守っている。

 甚右衛門さんは俺の姿を見ると、

「早く来い」

 と手招きした。使いも振り返って俺に気づき、こちらに向かってさっと礼をした。


 俺がそばまで行くと、甚右衛門さんが、

「この方々がうちを訪ねてきて、『燎玄殿の家はどちらにあるのか?』と聞かれたもんだから、こりゃ一体どういうことかと思ったら……おまえさんの帰りがちょっとおそかったのは、大納言様のお宅で姫君をていたからなのか」

 と、おどろきや戸惑とまどい、納得などの入り混じった表情で言った。


 こうなっては、さすがにかくせそうもないので、俺は正直にうなずいた。

「……はい。だまっていて、申し訳ありませんでした」

「いや、あやまらんでいい。それより使いの方が、おまえさんに話があるとおっしゃってる」

 甚右衛門さんの言葉にうながされたように、九護家からの使いたちは俺に向かってさらに深く礼をし、そのうちの一人が、

野分のわき様が本復ほんぷくされましたので、その謝礼のために参りました。些少さしょうですが、どうかお受け取りください」

 と、かしこまった口調で用件を伝えてきた。


 俺はいぶかしみつつ、首を横に振った。

「いえ、謝礼なら九護家をする時にいただきましたから。それに、薬籠やくろうの中から使った薬は、私ではなく槐北かいほく殿の所有物なので、薬代は槐北殿に渡してほしいとお願いしたはずですが」

「あの時の謝礼は、野分様が本復される前でしたし、あわただしい中だったので、充分とは言えぬ物しかお渡しできませんでしたから。我々は大納言様から、あらためて礼をするようにおおせつかってきております。どうか、お納めください」

 その言葉とともに、別の使いの男が一歩前に進み出た。うるしりの立派な箱を、うやうやしく両手で持っている。


 俺が拒否きょひしたら、彼らの面目めんぼくが立たない――そう考えると、かたくなな態度を取り続けるのもためらわれた。

「分かりました。ありがたく頂戴ちょうだいいたします」

 そう答えると、使いたちの顔に安堵あんどの色が広がった。

 里の人たちの視線を一身にびながら、俺は――明日から、みんなが俺を見る目が変わりそうだなと、覚悟した。




 俺は自宅へ戻ると、謝礼として受け取った箱を、ゆっくりと開いた。

 使いは箱の中身を、「野分様がお選びになった物です。大納言様からのふみと、野分様からの文も一緒に入れられております」と言っていた。姫君はいったい何を――と思いつつ、中を見ると。

「……薬?」

 丁寧ていねいに包まれた薬だった。それも、かなり高価な物だ。


 姫君とお話しした時の記憶が、よみがえった。

 高価な薬は、たとえ金があっても買うのに勇気がいる――そんなことを、俺は何のなしに口にした。

 起きる頻度ひんどが低い病の薬だと、あらかじめ買っておいても、結局使う機会がめぐってこない可能性もある。

 それでも、安価なら万一に備えて買うが、高価だと――もし無駄むだになったらと、つい考えてしまうのだ。

 しかしながら、慢性的まんせいてきな病への薬ならまだしも、急な症状に対して用いる薬は、病人が出てから買うのでは遅すぎる。

 備えとして、手元にあれば心強いのは確かだが、迷わざるを得ない。高価な薬一つ買う金で、安価な薬なら量も種類もたくさん買いそろえられる、と思うと。

 そんな、買うべきか迷う薬の一つとして、この薬の名をげたが――それを姫君は、覚えていらっしゃったのか。


 俺は薬と一緒に箱に入れられていた、姫君の文を開いた。

 そこには流麗りゅうれいな文字で、「あなたには金銭よりも、この薬を贈るほうが役立つのではないかと考えました」と記されていた。

 背中を押されている――はっきりと、そう感じた。

 軽谷に戻れと言われた時と、同じだ。

 こちらはいいから、あなたはあなたの道を行けと告げられているような、力強くも温かい感覚。

 里の人たちも、俺を支えてくれていることに変わりはないが――それとはやはり、違う。

 ずっと、こういうのを求めていた気がする。


 文には他にも、いつかまた会いたいということや、会うのが無理なら文のやり取りだけでもしたいということ、医術についてもっと教えてほしいということなどが書かれていた。

 読み終えると、俺は――再び都を訪れるのは当分、先になりそうだが、明日にでも文の返事を送らなくては、と考え始めていた。

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