第25話 背を押す
その後も、姫君は順調に回復された。
まず、熱が
昼下がりに、ご本人に体調についてうかがってみると、
「体の
とおっしゃっていた。
まるで川の流れが、「
これぐらい大きな流れが出来てしまえば、もう医者の助けなど、大して必要ない。姫君自身のお体の力だけで、
とは言うものの、「では私はこれで」と、さっさと帰ってしまうのも、ためらわれた。
完全に治ったのを確認したわけでもないのに去ってしまえば、責任
九護家から
だが俺の場合、勝手にこちらから押しかけておきながら、
そして、それだけでなく――もう少し姫君のそばにいて差し上げたい、という気持ちも、俺の中にあった。
いま医者が去ってしまったら、姫君もまた、不安がられるかもしれない。
心細い思いなどさせたくないし、平癒された姿をこの目で見られれば、俺にとっても安心なのもまた、確かだった。
さて。どの段階で「では、これで」と切り出すか――それが頭の
食事の量が増えているし、咳はほとんど出なくなった。平癒まで、あと一息というところか。
元気の出てきた姫君は、医術や俺自身に興味を持たれたのか、あれこれと質問をぶつけてこられた。
姫君の治療に使ったのがどんな薬なのかから始まって、医者がどうやって病の種類を見分けているのか、さらには、俺の普段の仕事の様子まで、次から次から質問が飛んでくる。
俺はそれに対して、「こんなこと面白いだろうか」と思いつつも、一つ一つ
医者以外とこんな話題で盛り上がったのは、もしかすると初めてかもしれない。話していると自然と、姫君は頭の回転も理解力も
やがて話題が、俺が軽谷の里から都まで来ているのは、医術に関する知見を得るためだ、ということに
「では、あなたにはまだ都で、せねばならぬことがあるのではありませんか? 知見を得るためにやって来たのに、途中で私のことを知って……」
と姫君から
「いえ、そうではありません。都でやろうと思っていたことは、すでに一通り済んでおりますから」
「もはや、私の治療の他にやるべきことはない、と?」
「はい。ご安心ください」
はっきりと俺がそうお答えすると――姫君の表情がいっそう真剣なものになった。
どうされたのだろう?
「今すぐ、
と、お
俺はぎょっとした。
あの話の流れで、なぜ俺が帰ることにつながるのか。命じられた侍女も、あまりの
どういうことなのかお聞きしようとしたが、その前に姫君が俺に向かって、きっぱりとおっしゃった。
「あなたは、ここにいてはなりません」
その
まだ
「あなたは軽谷の里で、ただ一人の医者なのでしょう? それが何日も不在となれば、里の者たちは心のどこかで不安に思っているはず。予定を過ぎても帰ってこなければ、なおさらです」
俺はようやく、姫君が何を思っていらっしゃるのかを理解した。
あの会話から姫君が得られた情報など、
圧倒されて何も言えずにいると、姫君は、
「万一にも里で急病人が出ていたら、それこそ申し訳が立ちません。私はもう、重症などとは
と、俺にもお命じになられた。
俺は姫君の
これぐらい身分が高ければ、人が自分のために時間や労力を
俺がそんなことを考えている間にも、姫君は、
「歩いて帰るのでは、
と、何やら考え込みながら、つぶやかれたかと思うと、おろおろするばかりで動こうとしない侍女に対して、
「四郎を、ここへ」
と、お命じになられた。
姫君は四郎に、
「燎玄殿を、軽谷まで馬で送り届けてください。そなたが、私ではなくあくまで父上の臣下であることは、承知しています。ですが、今は
「……殿は、このことは――」
「父上には、これからお伝えします。責任はすべて私が持ちます。そなたに
四郎は
「承知いたしました」
と答え、それから俺に向かって、
「先に
と言い残し、
何もかもが、とんとん拍子で進んでいく。大河の流れに飲み込まれているような、そんなふわふわとした感覚すらあった。
だが――これだけは、姫君に申し上げておかなければならない。
「私が、『軽谷に戻るよりも、あなた様の病が
俺がそうお聞きしてみると、姫君は迷うことなく、
「それでも、あなたは軽谷に戻らなくてはなりません。それこそが医者の務めと、あなた自身も心得ていらっしゃる。そして何より、あなたは、軽谷を放り出しても平気でいられる方ではない――先ほど話を聞いてそう感じたのですが、違いますか?」
と、おっしゃった。
俺は大して考えもせずに、軽谷での暮らしや、どんな風に医者の仕事を行なっているかをお話ししたが――そこから、そんなことを読み取っておられたのか。
この姫君を、「子供」などという
俺は、ふっと
「確かに、その通りです。私は、根っからの医者。軽谷に戻るのが遅くなるのを、気に病んでおりました。しかしながら――『出来るものなら、もっとあなた様のそばにいたい』という気持ちも、同じぐらい本当なのです」
と、お伝えした。
お
姫君も微笑まれ、
「生きてさえいれば、またいくらでも会えます。
と、そっと俺の背を押してくださった。
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