第24話 快方

 俺は、調達してきてもらった薬をさっそく調合し、「これを姫君に」と侍女に渡した。

 姫君が侍女に支えられながら薬をお飲みになるのを見届けると、俺は少しばかり、気が軽くなった。

 取りあえず、今やるべきこと、出来ることはやった。あとは、今後の経過次第だ。


 俺は、祈るような面持おももちで姫君を見つめる人々に、

「こうやって大勢でずっと姫君を見守っていても、見守る側が体力を消耗しょうもうして疲弊ひへいしてしまうだけです。数人ずつが交代で、にしましょう。私も定期的にお加減を拝見しますから」

 と提案した。

 大納言様は、うなずかれ、

「そうすることにしよう。野分のわき平癒へいゆした時に、こちらが倒れてしまっていては、話にならん」

 と、その場にいる者たちをうながされた。

 そんな大納言様の面差おもざしにも、心労のためか、すでに憔悴しょうすいがにじんでいる。


 聞くところによれば、大納言様は父君ちちぎみ母君ははぎみも、奥方おくがたも、病でくしておられるらしい。

 御子おこ若君わかぎみ姫君ひめぎみがお一人ずつ……となれば、これ以上の係累けいるいの死など、なおさらけたいに違いない。


 その後、すっかり日が落ちてからは、侍女が交代で姫君のそばに付き、俺は仮眠かみんを取りつつ定期的に様子を確認しに行く、という形になった。

 到底、熟睡じゅくすいも出来ないし、もしも症状が悪化したら……という不安が、心身を緊張させる。

 とは言え、九護家くごけからは休むための部屋や夜食なども用意してもらえたから、その点では、「裏手」での治療よりもずっとましだった。


 気を引きめながら様子を見に行くと、そのたびに、ほんのわずかずつだが、姫君の表情や呼吸の仕方はおだやかになっていった。

 ひたいれてみると、熱も少しばかり引いているようだった。当初は、単なる風邪とは思えないぐらい熱かったのに。

 夜の間、そうやって容態ようだいを確認し続けると、やがて辺りが明るみ始め――朝が来た。

 俺が様子を見に行った時には、姫君は目を覚ましていらっしゃった。

 昨日に比べて、姫君の目に力が感じられる。表情もしっかりしていらっしゃった。


 俺がかたわらに座って、

「お目覚めになられましたか?」

 と声をおかけすると、

「……はい。何か、ずいぶんとよく眠った感じがします」

 という、明瞭めいりょうな受け答えが返ってきた。

 侍女たちの間に、ほっとしたのと感激したのが入り混じった空気が広がった。精神の弛緩しかん高揚こうようが、同時に起きているようだ。

 そんな彼女たちに見守られる中、姫君は――しとねから体を起こそうとされた。

 俺はおどろき、あわててそれをお止めした。

「横になられたままで構いません。これから、あらためてお具合の確認もせねばなりませんから」

 姫君は素直に、褥に体を戻された。

 俺はその体を、再び丹念たんねんていった。


 額に触れると――まだ熱が残っているものの、昨日よりは明らかに下がっている。

 目や舌を観察し、みゃくを取り、腹部に触れ……と、一通り診ても、昨日とはやはり違う。快方かいほうに向かっているのがはっきりと分かった。


 俺は姫君自身にお聞きしてみた。

「お体は、まだだるいですか?」

 姫君は、少しお考えになられてから、

「病になる前と同じように歩き回るのは、難しいと思います。ですが、眠る前の、もっと体が熱かった時は、体全体がぼんやりとして、物を考えることすら覚束おぼつかなかったのです。あの頃に比べると、だいぶん楽になりました」

 と、お答えになられた。

 それを聞いて俺は、内心でちらりと――まだ十一歳の子供には似つかわしくない回答だな、と思った。

 いや、大人でもこんな言葉を返す者は、なかなかいないのではないか。

 まあ、俺も自分の幼い頃を思い返せば、あまり人のことは言えないが。


 そして、ふと気づいたが――目の前にいらっしゃるのは「姫君」のはずだが、「若君」であってもおかしくないような面立おもだちだ。

 おまけに、声も割と低めだった。病でぐったりしていらっしゃった時には、分からなかったが。

 槐北かいほくは「姫君は非常にお美しい方だと、もっぱらのうわさだ」と話していたが――これは見た目だけなら、美少女ではなく、美少年と言ったほうがいいのではなかろうか。美しいという点だけは確かだが。

 異性と間違われるような外見や声の者も時折いるから、それだけのことか。俺が気にする必要もないだろう。


 何はともあれ――俺は侍女たちに、姫君の病が快方に向かっていることを伝えた。

 侍女たちはたがいに手を取り合って、涙を流さんばかりに喜び、そのうちの一人が、

「殿にお伝えせねば」

 と部屋を出ていった。


 ほどなくして、ばたばたと人が近づいてくる音がして――大納言様が駆けつけていらっしゃった。

 大納言様は、姫君の枕辺まくらべに座られ、

「どうだ? 野分。もう、苦しいところなどないのか? 何か、食べたい物でもあるか?」

 と、泣きそうな顔でおたずねになられた。

 姫君はちょっと困ったように、

「父上、落ち着いてください」

「おお、そうか。これではいかんな。いきなり問い詰めるなど。……で、何かしてほしいことや、食べたい物などはあるか? 何でも用意するぞ」

「では……湯漬ゆづけをいただきとうございます」

 それを聞くやいなや、大納言様は侍女に向かって、

「湯漬けを用意せよ。……いや。くりやに行けば、炊いた飯ぐらいあるはず。私が用意してこよう」

 とおっしゃって、飛ぶような勢いで部屋を出ていってしまわれた。それを侍女が、

「ああ! 殿! お待ちを!」

 と、追いかけていく。


 呆気あっけに取られている俺に、姫君がぽつりと、

「父は、普段はもっと落ち着いているのですが」

「え? ああ、そうでしょうね。最初にお会いした時は、そんな印象でしたから」

 もっとも、家の主ともなれば、不安がっているところや落ち込んでいるところなど見せられないから、いて気丈きじょうに振る舞っておられたのだろう――そんなことを俺が思っていると。

「本当に一番食べたかったのは、甜瓜まくわうりです」

 と、姫君がおっしゃった。

 思いがけない言葉に、俺が返事をしかねていると、姫君は続けて、

「ですが、そう答えてしまったら、父は無理をしてでも……人や金銭をたくさん使ってでも、手に入れようとしかねない様子でしたから」

「……そうでしたか」


 甜瓜は――おそらく、れるようになるのは、もう少し先だ。もしかすると、早く実をつけている物も、探せばあるかもしれないが……見つかるかどうか、微妙びみょうだな。

 今が真冬なら、さすがに大納言様も「仕方ない」とあきらめられただろう。

 だが、「ひょっとしたら」という可能性がわずかばかりある時期だから、かえって、探しもせずにあきらめるのは難しくなる。


 俺が微笑ほほえんで、

「もうじき、いくらでも甜瓜が手に入るようになるはずです。その時、思う存分食べられるように、今はお体を養生ようじょうしましょう」

 と申し上げると、姫君は、

「ええ。その時を楽しみに待ちましょう」

 と、うなずかれた。


 俺は、今の姫君の病状に合わせた薬の処方に取りかかりながら――不思議な方だなと、つくづく思った。

 年齢の割に大人びているというだけではない。

 まだ病が治り切っていない身で、さらには百姓でもないのに、今の時期に甜瓜が手に入る可能性を正確に把握はあくしていて、その影響まで考慮こうりょできるとは――なかなか、こんな姫君は他にいないだろう。

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