第23話 診察

 俺は槐北かいほくから九護家くごけの屋敷の場所を教わり、さっそく足を運ぶと、屋敷の門番に、

「私は医者です。こちらの姫君の病とよく似た症状を前にたことがあるのですが、一度、私に姫君を診せていただけませんか?」

 とたのんでみた。

 門番は最初、当惑とうわくした表情を浮かべていた。

 まあ、予想通りではある。いきなりこんな風に訪ねてくる医者も、なかなかいないだろう。


 二人いる門番は、

「どうする? やっぱり、追い返したほうがいいか?」

「いや、一応はお伝えしたほうがいいんじゃないか?」

 と、こそこそ話し合っていたが、そこへ、

「誰ぞ、来客か?」

 と、屋敷の奥からこちらへやって来て、声をかける者がいた。

 二十代なかばぐらいの男だ。九護家の家人けにんだろう。門番たちより立場が上で、一定の権限けんげんを持っている人間だと思われた。


 俺はその男に、事情を話してみた。少しでも信用が得られるようにと、滝浜たきはま槐北かいほくという医者から姫君のことをお聞きした、ということまで伝えて。

 男は真剣な顔で聞いていたが、こちらが一通り話し終わると、

殿とのに――大納言だいなごん様にお伝えしてみる。それで大納言様のおゆるしが出れば、そなたに診てもらう。少々待たれよ」

 と言い置いて、足早あしばやに屋敷の中へ戻っていった。


 しばらく待っていると、再び男がやって来て、

「大納言様は、『ならば一度、その者にたくしてみよう』とおおせだ。姫様のご病床まで案内するゆえ、ついてまいれ」

 と大納言様の意向を俺に伝え、また屋敷のほうへ向かった。俺はその後を追った。


 公家くげの屋敷にお邪魔するのは初めてなので、おそらく平穏へいおんな時なら、さりげなく屋敷の様子を観察しただろう。

 だが今は、軽い緊張と高揚こうようが心を支配し、他のことに気を回す余裕もなかった。

 そんな俺に、案内してくれている男は、

「大納言様は、わらにもすがるような思いでいらっしゃる。そなたのような、誰かからの紹介でもない医者に託してみようとお考えになったのも、他に手立てだてがないゆえだ」

「ええ。それはそうでしょう。私も、駄目だめで元々と思いながら、こちらへ参りましたから」

「常ならば、よくよく吟味ぎんみした者以外は、姫様のそばへ近づけたりせぬ。その点をわきまえておかれよ」

 そうくぎを刺してきた男に、俺は真面目まじめな顔で、

「承知いたしました」

 と、うなずいた。


 おそらく男は、「九護家は簡単に人を中へ入れてくれる、などと思われたらまずいな」と考えたのだろう。

 実直で各方面に気を配る仕事ぶりが、垣間かいま見えた。




「こちらの部屋だ」

 と言われて入った部屋の中には、子供が一人寝かされていた。

 熱のせいか、少し顔が赤い。目は開いているが、ぼんやりとしていて、まったく元気がない。そして時折、せきをしている。

 そばには侍女じじょらしき女性数名がついていた。みんな、沈痛ちんつう面持おももちで姫君を見守っている。


 ここまで案内してくれた男が彼女たちに、俺を医者だと説明してくれた。その途端とたん、視線がこちらへ集中する。

 視線を意識の外に追いやりながら、俺は姫君のかたわらまで行って、こしを下ろした。

「では、一通りお体を拝見いたしましょう」

 そう断ると、体の状態をつぶさに確認した。


 みゃく、舌の色、咳の出方、腹部ふくぶれた時の感触かんしょく……俺の五感は、あっという間に姫君の体に集中した。

 目が、耳が、手のひらが鋭敏えいびんに感じ取ったことが、これまでに診た他の病人の記憶きおくと照らし合わされる。

 病が反映される箇所かしょを、そうやって一つ一つ診ていくにつれて、俺の中の確信が強くなっていった。

 やはり、あの病と似ている。「裏手」で診た時の記憶は、決してまだ薄まっていない。同じ病とまで断言していいかは迷うが――。


 俺は侍女たちに、姫君の病歴や、普段のお暮らしぶりについて質問した。

 さすがに側近くにお仕えしていた方々なだけあって、どの質問にも即座に明確な答えが返ってきた。ありがたいと感じつつ、俺は頭の中で判断をめぐらせた。

 姫君はまだ幼いし、体質も異なるから、あの時の処方をそのまま用いるわけにはいかない。諸条件を勘案かんあんすると、適した処方は――。


 俺は侍女たちと案内の男に向かって、要望を伝えた。

「お手数をおかけしますが、薬種やくしゅ問屋どんやで薬を調達してきていただけませんか? あいにく、私は所用で都を訪れている身なので、いま持っている薬籠やくろうも、知人から借り受けた物なのです。その中にある薬だけでは不充分なので」

 男がすぐさま、

「承知した。何という薬だ?」

「紙に書き留めておきましょう。似た名前の薬と混同してはいけないので。ただ……そろそろ日も落ちますから、すでに店も閉まっているかもしれません」

「いや、開けてもらってでも買い求めてくる」

 そうけ合って、男はすぐさま紙と筆を用意した。


 俺が紙に薬の名を記し、男に渡すと、彼はをそれをしっかりと手に持ち、機敏きびん動作どうさで部屋を出ていった。

 それと入れ替わるように、部屋にやって来た人物がいた。

「どうだ? 野分のわきの具合は」

 その声に、侍女たちが一斉にはっとした顔をした。

 彼女たちが、さっと部屋の入り口のほうに向き直り、姿勢を正したので、俺もそちらを向くと――三十代半ばぐらいとおぼしき男が立っていた。温厚おんこうそうな容貌ようぼうで、品のいい狩衣かりぎぬを身につけている。


 侍女の一人が、

「殿。今、お医者様に診ていただいたところです」

 と言ったのを聞いて、俺は「やはり」と思った。

 この方こそが九護家の主――大納言様だ。


 俺が平伏していると、大納言様はそばまでいらっしゃり、こしを下ろして、こちらと目線を合わせ、

「野分を診せてほしいと訪ねてきた医者というのは、そなたか? 四郎がそう申しておったのだが」

「はい。その通りにございます」

 俺は顔を上げ、はっきりとそう肯定こうていした。

 姫君の名が「野分」であることは、あらかじめ聞いていた。四郎というのは――おそらく、俺を案内してくれた、あの男のことだろう。


 大納言様は、軽く苦笑いし、申し訳なさそうに、

「こちらの様子も気にはなっていたのだが、ちょうど、病気平癒へいゆ祈願きがんするために、持仏じぶつに向かって念仏を行なっておったところだったのでな。途中でやめるのも縁起が悪く思えて、あいさつに参るのが遅くなってしまった」

「そうでしたか。わざわざのお気づかい、かたじけのうございます。本来は、まず私のほうからごあいさつに参らねばならぬのに」

「いやいや。今は何より、野分のことこそが優先ゆえ。……で、さっそくなのだが。そなたから見て、野分の病はどのような具合なのだ?」

 俺は姫君にちらりと視線をやってから、

「実際に診てみるとやはり、私が以前に診たことがある病人の症状と、よく似ておりました。その時のことを参考にしつつ、姫君に合わせて薬を処方いたします。今、足りぬ薬を買い求めてきていただいているところですので、少々お待ちください」

 と申し上げた。


 大納言様はほっとした顔をされ、

「そうか……。その薬がいてくれるとよいが。ところで、野分がかかったのは、いったい何という病なのだ?」

風邪かぜ、と呼ぶことも出来ますが……私には分かりません」

「え?」

「私が書物や師匠ししょうを通じて知っているどの病とも、微妙びみょうに異なるのです。知る者が少なくて書物にも記されていない病なのか、あるいは、新たに生まれた病なのか……。そのうち、ちゃんと病名が付けられる時が来るかもしれません」


 大納言様は意表を突かれたような、ぽかんとした表情をされた。

 それから、少し考え込み、感慨かんがい深げに、

「なるほど……。心のどこかで、病はすべて人によって把握はあくされていて、書物や医者をかたぱしから当たれば、必ず何の病か分かるように思っておったが。人は神仏とは違うからな。この世のすべてなど、分かっているはずがない」

「もっとも……と言いますか、そもそも病名など、人が、人の都合つごうに合わせて病を分類して、人が勝手に名を付けただけのものですから」

「ほう?」

「もっと大雑把おおざっぱ一括ひとくくりにして呼ぶことも、細かく分けて別の名で呼ぶことも、やろうと思えば出来るのです。例えば風邪という病一つとっても、人により、時により、症状は多様です。医者として幾度いくどもつぶさに診ていると、それがよく分かります」


 のどが痛くて咳が出ても「風邪」。鼻水が止まらなくても「風邪」。

 しかしこれを、本当に同じ病ととらえていいのか。別の病と見なすべきか――医者も無意識のうちに、都合つごうに合わせて使い分けているのが現実だ。

 そんな、日頃の仕事の中で俺が感じていたことを申し上げると、大納言様は微笑ほほえまれ、

「そなたは、よい医者だな」

「え? ……あ! これは、出過ぎたことを申しました」

「いや。貴重きちょうなことを聞かせてもらった。物の見方が変わりそうだ」

 俺は恐縮きょうしゅくするばかりだったが、大納言様の眼差まなざしは、どこまでも大らかだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る