第21話 新天地

 俺は家財かざい道具どうぐを運び込み、医術に必要な薬や道具を買いそろえ、医者としての暮らしを始めた。


 家財道具に関しては、家の主の田鶴たずさんが所有していた物がいくつかそのまま残されていたが、里の住人に譲渡じょうとされてしまっていた物も少なからずあった。

 そこで、足りない分だけ人からゆずってもらったり、手先の器用な人に作ってもらったりした。

 薬や薬研やげんは、時々里に来る行商などを利用して調達した。

 費用は俺の手持ちの金ももちろん使ったが、さすがにそれだけでは足りない。その足りない分を負担ふたんしてくれたのは、やはり乙名衆おとなしゅうたちだった。

「少しずつでも返してもらえれば、それで構わないから」と言って用立ててくれたが、信用のためにも、やはり早めに返したい。


 一人で暮らすとなると、炊事すいじから掃除、洗濯まで自分でやらなければいけなくなるなと覚悟していたが――これに関しても、思いのほか、里の人たちが手を貸してくれた。

 俺からたのんだわけではない。みんな、何気なにげない態度で料理を持ってきてくれたり、ついでだからと俺の衣も洗ってくれたりするのだ――特に女が。


 その中には、怪我人を手当てしていた時に俺のやり方に感心していた、あの女人にょにんもいた。

 あの時は名前すら聞かずじまいだったが、「なえというの。何でも遠慮えんりょなくたよっていいからね」とさくに言ってくれる、清々すがすがしい人だ。

 苗さんは夫だけでなく、すでに割と大きな子供も四人いる人なので、俺はもっぱら彼女に頼っている。

 俺に手を貸そうと近づいてきた女の中には、まだひとの女も何人かいたのだが――あまりこちらに頼ると、あらぬ誤解を招きかねない。

 かと言って、断ってばかりでは失礼とか冷淡とか受け取られるかもしれないので、慎重しんちょうな加減が必要だった。




 そんなこんなで、三月みつきほどが過ぎ――ようやく、軽谷かるやの里で医者をやる際の要領がつかめてきた頃。

 俺は甚右衛門じんえもんさんに、

「そろそろ一度、都へ行って新たな知見ちけんを得たり、人脈じんみゃくきずいたりしたいんです」

 と申し出た。

 甚右衛門さんは、取り立てておどろいた様子もなく、

「そうか。前から話してたからな。最新の医術について知りたい、他の医者からも学びたい、と」

「学ばなければ、いま治せない病は、ずっと治せないままですから。たとえ、軽谷の人たちがそれでいいと言ってくれても、俺にとっては……」

 そう言って俺が首を横に振ると、かたわらで話を聞いていた依瀬いせさんが、

「相変わらず、熱心ね。誰もあなたを止めたりしないから、行ってきなさい」

 と、笑顔で後押ししてくれた。


 俺が頭を下げて、

「では、里を三日ほど留守るすにすることになりますが、よろしくお願いします。出来る限り早く戻ってこられるよう、心がけますので」

 と伝えると、甚右衛門さんから苦笑まじりの忠告が返ってきた。

「こちらのことは気にしなくていい。早く戻らなくてはなどと思っていたのでは、学ぶべきことも学べんぞ」




 甚右衛門さんの家から自宅――田鶴さんが残した家へ戻る途中の道端みちばたで、偶然にも苗さんと出くわした。まだ十にもならない、苗さんの末の娘も隣を歩いている。

 二人とも、手にかごをげており、中には山菜が入っているようだった。丹延山にのべやまへ行ってきたのだろう。


 娘のほうが先に俺に気づいて、

「先生!」

 と声をあげたので、俺は笑顔で彼女たちのそばまで行って、話しかけた。

「苗さん。ちょうどよかった。しばらく都へ出かけることになったんだ。その間は、料理とかも必要ねえから」

「あら、そうなの。そのうち折を見て都に……って言ってたけど、ようやくいい頃合ころあいが見つかったのね」

「ああ。向こうの医者とは何度かふみでやり取りをしているから、訪ねていってもとどこおりなく事が運ぶと思う。ただ……留守の間に里で急病人が出たりしねえかと、そこだけは気をんじまうよ」

 俺ががちにそう口にすると、苗さんはきっぱりと言い切った。

「それはあなたが気にすることじゃないわよ。元々ここは、医者そのものがいなくて、それが当たり前だったんだから。一日も欠かさず里に居続けてくれなんて、あなたに望む人はいないし、望めやしないわよ」

 口先だけという感じのまったくない、のいい物言いだった。

 この人がいるおかげで、俺はすでに、ずいぶんと助かっている。あまり当てにし過ぎてはいけないのだろうけれど――ありがたい。


 都行きのおおよその日程を伝えて、俺は苗さんだちと別れ、再び自宅へ続く道を歩き出した。

 ちなみに。俺が話し方を、今のようなくだけたものに変えたのは、医者そのものにれていない里の人にも、なじんでもらえるようにと考えた結果だった。


 有力者である乙名衆ならば、都へ出かけた時に医者へ寄って体の不調をてもらったり、家の誰かが重病の時によそから医者を呼んだり、といった経験のある人もいる。

 だが、里の半数ほどは、医者をの当たりにしたこと自体がなかった。

 そんな状況なので最初のうちは、いくらこちらが「どこか具合の悪いこところがあれば、何でも気軽に相談してください」と言っても、なかなか「診てくれ」と望む者が現れなかった。


 ある時。たまたま、田のあぜにうずくまっている男を見かけたので、介抱かいほうしたことがあった。

 幸いにも、しばらくしたら症状がやわらいだし、薬も処方しておいたのだが、本人の話をよく聞くと「数日前から、時々体調がおかしい時があった」という。

 なぜ俺に相談しなかったのかの理由が「この程度で医者に診てもらってはいけないと思ったから」だと分かり――俺は、やり方を根本的に変える決意をした。


 病は症状が軽いうちに対処したほうが治りやすいこと、俺は相談を受けただけで金を取ったりしないということ、病の治療に必ずしも薬が必要なわけではないこと……そういった諸々もろもろを、積極的に伝えるようにした。

 そして話し方も。丁寧ていねいに対応することは医者にとって重要だという考えは今でも変わらないが、かしこまった印象は、取っ付きにくさや距離の遠さにもつながる。ここの人たちに向かないのなら……と、思い切って変えた。

 そうした工夫でようやく少しずつ、相談に来る人や、体調不良で呼ぶ人が増えた。


 ひょっとすると鷲之江わしのえの「裏手」でも、体に不調を抱えていながら、俺に話しかけることすらしなかった者が、いたのかもしれない。

 今となっては遠い過去のようになってしまった地のことを、久し振りに思い出しつつ、俺は都へ行く仕度したくのために、家路いえじを急いだ。

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