第19話 受け入れ

 甚右衛門じんえもん小十郎こじゅうろうめいじて、里の有力者である乙名衆おとなしゅうに知らせに行かせた。

 奥方は、赤ん坊が目を覚まして泣きだしたので、あやすために庭へ出ている。

 乙名衆が集まってくるのを待っている間に、ふと甚右衛門が、

「そう言えば、おまえさんがどこから来たのかすら聞いてなかったな。まあ、私としては、どこでもいいと言えばいいんだが。気にする者もいるだろうからな」

 と、何か頭の中で思いめぐらせているような様子で俺に言った。


 俺は、ためらうことなく、

沙南さなみから来ました」

「あんな遠い所からか。ここまで来るだけでも、ずいぶんな長旅だな。……何だか、あと少しで目的地というところを我々が引き止めてしまったような感じも、しなくはないな」

「いえ。最終的な目的地は、ここのような土地だったのですから。……ええと、私が実家を出奔しゅっぽんしたのは」

 と俺が言いかけると、甚右衛門は「ああ、それは聞かないでおく」とやめさせて、

「おまえさんが、何かつみでもおかして追われているとか、そういう身の上でさえなければ、それでいい。内情にまで立ち入ろうとは思わん――ただし、追捕ついぶめいくだされている沙南の医者がいないかどうか、その点だけはこちらで確かめさせてもらう」

 と、きっぱり告げた。


 俺は微笑ほほえみながら、

「どうぞ。納得なっとくいくまで調べてください」

 と、うなずいた。

 かえってこれで、師澤家もろさわけがどう動いているのか、あるいは動いていないのかがはっきりする。

 俺を追う気がないと分かれば、その時こそしんに心置きなく、医者の仕事に打ち込める――そう考えたら、調べられることに抵抗はわかなかった。


 甚右衛門は複雑な面持おももちで息をつき、

「すまんな。おまえさんを疑ってるわけではないが、里を取りまとめる立場上、こればかりは確かめざるを得ん」

 と、自分自身に言っているようにも聞こえる口調でびた。




 そうこうしているうちに、ぞろぞろと乙名衆の男たちが集まってきた。多くは甚右衛門と同じぐらいの年齢で、最も若く見える者も三十路みそじを過ぎていそうだった。

 その面々を前に、甚右衛門は大まかに事情を説明した。

 話が進むにつれて、みんな一様いちようおどろいた顔に変わっていった。中の一人が、

「まだ医者がここにいるのを見た時は、てっきり、あれだけの働きをしてくれた礼に、もてなさねばならんから引き留めたんだと思ってたが……まさか、本気でここで医者をやる気か?」

「そのまさかだ。それと、やる気か、じゃない。我々がそれを望んでいるから、やってもらうんだ」

 真面目まじめな顔でそう訂正ていせいする甚右衛門に、俺は苦笑を浮かべつつ、言いえた。

「私は、元々やる気があったからこそ、お引き受けしたのです。望んでいないことだったら、たのまれてもお断りしたかもしれません」

 甚右衛門はちらりと俺を見、

「まあ、そういうことだから、あとは里のみんなが了承するかどうかだ。そのために、こうして集まってもらった」

 と言って、居並いならぶ者たちを見回した。


 乙名衆たちは、しばしだまり込んでいたが、やがて、

「確かに、医者がいてくれたらとは、前々から思ってたが……いざ現実にとなると、ここで医者をやって、生業なりわいとして成立するか?」

「俺らはともかく、金のない奴らは、薬代をしんだり、ためらったりで、てもらおうなんて思わないだろうな」

「都会なら、そもそも人が多いから、うでさえよければ自然と人が診てもらいに来るだろうし、うまくすれば武家ぶけ公家くげ贔屓ひいきにしてもらえる。だが、軽谷かるやだと……もし身を立てていけなくなりでもしたら、気の毒というか、申し訳ないしな」

 と、不安そうな意見が次々に出てきた。俺の隣に座っている甚右衛門も、おされ気味ぎみだった。


 なまじっか、軽谷が都から近い所にあって、都会もそれなりに知っている人たちだから、比べてしまうのだろう。

 そういう意味での不安なら、俺には無用なのだが――そこからしっかり話さないと、分かってもらえないか。

「医者の仕事だけでなどと、こだわる気はありません。別の仕事を兼ねるぐらいは、覚悟してます。人に読み書きや算術を教えられますし、田畑のお手伝いでも人足にんそくでも、何でもやります。それに、私は華やかな暮らしには興味がありませんから」

 真っすぐに乙名衆たちを見てそう伝えると、甚右衛門も、

「食う物やら住む所やら、そういう、暮らすのに最低限必要な物なら、我々で支えられるだろう。そして何より、ここにいる者の多くは、燎玄りょうげんが怪我人を手当てした時の手際てぎわを見ているはずだ。あれは、里にいてもらうだけの価値がある」

 と、明瞭めいりょうな口振りで説得してくれた。


 俺たちの言葉に、みんな考え込んでいたが、

「取りあえず……どこまで出来るか分からんが、こころみにでも、やってみるか」

 と、一人が口にすると、

「急病とかの時にすぐに診てもらえるようになるなら、これほどありがたいことはないしな」

「軽谷でうまく行かなかったら、その時こそ都に行ってもらえばいいか」

「衣食住を我々で支援して……それなら、まあ、どうにかなるだろう」

 と、続々と応じる声があがった。


 これで受け入れてもらえる、と俺がむねをなでおろしていると、

「じゃあ、差し当たってはやっぱり、里の誰かの家に身を寄せて……か?」

 と、確認する者がいた。

 それに対して甚右衛門が、

「そのほうが、食事とかも世話せわしやすいしな。ひとまず、うちにいてもらおうかと思ってる。納戸なんどを整理すれば、寝起きする部屋ぐらいは確保できるし……」

 と言いかけたところに、俺は遠慮えんりょがちに割って入った。

「あの……世話になる身で、あまりあれこれ要求したくはないのですが……医者の仕事をするとなると、薬や道具を置く場所も必要になるのです」

「あ」

 甚右衛門は、はっとした顔を浮かべた。完全に、その辺りは考えてなかったのだろう。


 さらに俺が、

「そして、こちらから病人を診に行くだけでなく、家でも病人を診ようと思ったら、家の住人が普段の暮らしで使うことのないような部屋が必要になります。そうでないと、治療のために私を訪ねるのを、ためらう人が多くなるでしょうから」

 と指摘してきすると、乙名衆の中から、

「その都度つど、いちいち部屋をあけて、家の者が入らないようにして……というのでは、診てもらう側も落ち着かんな。家の来客と、かち合うこともあるだろうし。病人を診るためだけの部屋があるのが、一番いいのか」

 と意見する者がいた。


 甚右衛門は、腕組みしながら考え込んでいる。どうにかして部屋を確保できないか、思案しあんしているのだろう。他の乙名衆も同様に、自分の家の様子を思い返しているようだった。

 甚右衛門の家には、係累けいるいこそ妻一人子一人しかいないものの、住み込みで下働きや田畑の仕事をやっている者は、小十郎以外にも何人かいる。軽谷の中では広い家であっても、部屋にそれほど余裕はないに違いない。


 実家の七見家では、病人の治療や弟子でしの指導といった医術に関する場と、俺や両親が暮らす場が完全に分かれていて、別棟べつむねになっていた。そのほうが、誰にとっても気が楽なのだ。

 もっとも、七見家にいたのは、大半が医術の心得こころえのある者だった。医術の場と暮らしの場が多少混在していても、診てもらう側の抵抗は少なかったかもしれないが。


 あらかじめ伝えておかないと、結局あとで問題が起きてくるから話したが、かと言って「やっぱり無理だな」と思われては、かなわない。

 助け舟というわけではないが、俺は、

「ここで診るのはこの日のこの時間、と決めておく方法もありますが……当面は、こちらから病人を診に行く往診の形を主にしましょう」

 と提案した。


 甚右衛門がそっと息をつきながら、

「今のところは、そうするしかないか……」

 と首肯しゅこうしたので、俺が、

「一番いいのは、多少せまくても、古びた建物でもいいから、独立した一棟で診ることです。仕事がうまく回るようになって、いずれそういった場所が使えるようになれたら、それで充分です」

 と、漠然ばくぜんと思い描いていたことを告げると。

 何やら、甚右衛門は真剣な顔で考え込み始めた。

 どうしたのかと思っていると、気持ちの高ぶりをおさえているような声音で、甚右衛門が言った。

「それなら……田鶴たずが残した家が、使えるかもしれん」

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