第18話 好機

 怪我人けがにんたちも自宅に運ばれ、ひとまず解散となった後、俺は甚右衛門じんえもんの家に招かれた。

 そこで出迎でむかえてくれたのは、まだ二十代なかばか、せいぜい後半ぐらいの、乳飲ちのみ子を抱いた女だった。

 甚右衛門は俺に、二人を紹介してくれたのだが、

「私の妻と子だ。依瀬いせと、辰吉たつきちという。依瀬。こちらは……ああ、そう言えば、まだ名前も聞いてなかったな」

 と、途中で言葉にまった。

 俺は簡単に自己紹介した。

燎玄りょうげんと申します。医者を生業なりわいとしております」

 もはや、七見家ななみけ跡取あととりとしての名を使う気はなかった。たとえ、師澤家もろさわけや父親が俺を探してなくても。


 甚右衛門の奥方おくがたは、にこやかな表情で礼を告げてきた。

「怪我人の手当てで、力になってくれたと聞きました。感謝してます。出来るものなら、私も手伝いに行きたかったんだけど」

 幼い子を放り出して、というわけにもいかなかったのだろう。彼女のうでの中の赤ん坊は、すやすやと眠っている。

 俺は「たのまれたわけでもなく、私がそうしたかったからご助力したまでなので、礼にはおよびません」と断った上で、二人の前に、薬をいくつか差し出した。

「もしも、怪我をした方が高熱を出すことがあれば、この薬を飲ませてください。そして、こちらの薬は……」

 と、一つ一つ説明していくと、二人とも真剣な顔で耳をかたむけていた。


 怪我をした後に起こり得る症状は、ある程度想定できる。それに対処するための薬や方法を伝えておけば、俺もいくらか気が楽になる。

 本当は、しばらく俺がこの里に留まって、何かあった時にすぐに対応するのが一番いい。

 だがそれは、「この里に泊めてくれ」と要求するも同然だ。そこまでは望めない。こういった村里むらざとが、よその人間に宿を貸すのを敬遠けいえんするのは、俺でも知っている。


 一通り説明が終わると、奥方は感嘆かんたんのため息をつき、

「あり合わせの薬をかき集めて、ここまで対策をっておくなんて、さすがお医者様ね。……立ちったことを聞くけれど、あなた、一人で旅をしているのよね?」

「え? はい。そうですが」

「そういうこともあるのね。私は、修行しゅぎょうも終えて医術だけで身を立てているようなお医者様は、出かける時は弟子でしを引きれているものだと思っていたのよ。でもあなたは、供人ともびとも連れずに旅をしていらっしゃるから、意外に感じたの」

 奥方の指摘してきは、まんざら、間違っているとも言いがたかった。俺の父親は、病人をに行く時はもとより、他の用事でも、たいてい供人を連れていた。


 医者もいろいろですので……と答えるだけでもよかったのだが、俺はなぜか、

「私は……まだ修行中と言えば修行中ですので。供人を引き連れて旅をするような身の上ではないのです」

 と答えていた。

 それを聞いて甚右衛門は、

「そう言えば、都へ行くために、その道を確認しにうちへ寄ったのだったな。修行中に都へとなると、師匠ししょうに用事でもたのまれなさったか?」

 と、俺の事情を推測した。

 そんなところです、と答えて済ますことも出来たのだが、

「実は、師匠のもとを……正確には実家を、飛び出してきたので。都へは、新たな地盤じばんきずくために行こうと思っているのです」

 と、本当のことをぽろりと口にしていた。


 なぜなのか、自分でもはっきりとは分からない。

 これまで誰にも、何も打ち明けず、自分の中に留めるばかりだったから、少しばかり疲れていたのかもしれない。

 後ろ暗いことをしているわけでもないのに、いちいち誤魔化ごまかすのも、何だかうっとうしかった。

 おそらく、行きずりの、後腐あとくされのない相手なのが、俺の口を軽くさせたのだろう。


 甚右衛門はおどろいた顔で、

「それはまた……。医者の家の子だったのか。手際てぎわがいいはずだ。しかし、何があったか知らんが、そんな境遇きょうぐうを捨てて一から始めるとなると、これからが大変だな」

覚悟かくごの上です。私にはその道しかありませんから」

 俺がそう断言すると、奥方は明るい声で、

「医者をこころざすのなら、都は打ってつけの所よ。学ぶのに向いているし、病を診てほしい人はいくらでもいるだろうし。お医者様も大勢いるから、新たに師匠を見つけて門弟になるのだって、選択の余地が広いはずよ」

「ええ。だからこそ私も、都へ行こうと考えたのです。……もっとも、いずれは、医者そのものがいないような土地で人を診たいので、ずっと都に留まる気はありませんが」

「え?」

 甚右衛門も奥方も、きょとんとしている。


 俺は率直そっちょくな思いを語った。

「これまで、都会とかいの人間も、裕福な暮らしをしている人間も、数え切れないぐらい診ました。まだみ込んでいない領域を知りたい気持ちが、私の中にあるのです。それに元々、かせぐことや世間せけんの評判には関心が向かない性質たちなので」

 上等な衣食住も、人からの評価も、東国にいた頃に充分に得た。それらへの欲求は昔から薄かったが、今はさらに薄まり、もはや俺を動かす要因にはならない。


 二人とも、俺の話をじっと聞いている。

 どうせもうすぐ別れて、あとは会わない相手とはいえ、さすがにちょっとしゃべり過ぎたか、と自戒じかいの念がわき始めた時。

 甚右衛門が、ちょっとためらいつつも切り出した。

「それなら……どうせなら、この軽谷かるやで医者をやってみる気はないか?」

 俺のほうが驚かされた。


 思いがけない提案に返答できずにいると、甚右衛門はあわてて言いえた。

「いや、無理にとは言わん。都会のほうがいろいろと便利だし、仕事もしやすいだろうし……何より、そっちのほうが安定した稼ぎが得られるだろうしな。ただ、軽谷に医者はいないし、医者に診てもらったこと自体がない者も大勢いる」

 奥方も、顔を輝かせて、

「ここで医者をやってくれるのなら、出来る限りあなたを支えるわ。里のみんなも、きっとあなたを歓迎かんげいするはずよ。お武家衆ぶけしゅうやお公家衆くげしゅうみたいに、大金払ってかかえるなんていうのは無理だけど、衣食住の支援しえんならどうにかなるから」

 と、俺をさそった。


 唐突とうとつに道が開けたことに、俺はむねの奥がじわりと熱くなるのを感じた。

 こののがせば、いつまためぐってくるか分からない。

 迷いはまったく起きなかった。むしろ、手を伸ばしてつかまなければ、逃げてしまう――そんなあせりすらあった。


 俺はあれこれ考える前に、何かに突き動かされるように、

「私で構わないのなら……ぜひとも、ここでやらせてください!」

 と頼んで、頭を下げていた。

 甚右衛門はそれを制して、

「いやいや、頭を下げるのはこちらのほうだ。この里にも医者がいたら……という話は、前々から乙名衆おとなしゅうの間では出ていた。それに、今回の件の謝礼をどうするか、ずっと思案しあんしていたが、これで少しはおんむくいることが出来たなら幸いだ」

「そんな。元より私は、礼などわずかも期待してはおりませんでしたから」

 俺が本心からそう伝えると、奥方は、

「話は決まったわね。じゃあ早速さっそく、里のみんなにも紹介しないと。あの手当ての様子を見た後なら、反対する者もいないでしょうけれど、私たちだけで勝手にというわけにもいかないし」

 と、どこかきしたような口振りで言った。


 こうして俺の、「燎玄」としての第一歩が始まった。

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