第17話 救急

ぞく」と「おそわれた」という言葉に、甚右衛門じんえもんはさっと表情を引きめ、知らせに来た男に確認した。

「その賊はどうした?」

「どうにか、らえました。なわでしっかりしばってあります」

「それならひとまず、安心か。ええと……小十郎。あとはたのむぞ。お客人に、知りたがっておられることを教えて差し上げろ。私は、賊と怪我人けがにんの対応をせねばならんから」

 甚右衛門はそう小十郎にめいじ、俺にも「すまないが、急を要する事態じたいが起きてしまった」と断って出かけようとしたのだが、俺はそれを引き止め、申し出た。

「私も同行しましょう」

「え?」

「私は医者ですので。何か、お役に立てるかもしれません」

 甚右衛門は意表をかれた顔をしていたが、あれこれ問いただしているひまはないと判断してか、

「じゃあ、取りあえず一緒いっしょに来てくれ」

 と、同行を認めてくれた。


 俺たちは、里人さとびとが賊に襲われたという場所へ急いだ。

 たどり着いたのは、百姓家ひゃくしょうやのかたわらにある納屋なやの前だった。そこに大勢の人が集まっている。

 甚右衛門が人々の背後から、

「どの程度の怪我だ?」

 と問いかけると、みんな一斉に振り返り、

うでられた者や足を突かれた者がいて、いま手当てするところです」

「布がたくさん必要だから、あるだけ集めさせてます」

 などと答えつつ、道をあけて甚右衛門が通れるようにした。


 その途端とたん、どくどくと血を流しながら横たわっている人や、腕の傷を洗ってもらっている人、うめき声をあげている人の姿が見えるようになった。

 さらに、納屋のすぐ前には、縄でぐるぐる巻かれた上に、体格のいい若者に押さえつけられている男がいる。

 捕らえられてなお、するどい目つきで周囲の人間をねめつける姿は、ならず者の雰囲気ふんいきただよわせていた。あれが賊に違いない。


 俺は甚右衛門とともに怪我人たちのそばまで行った。ちょうどそこには、手当てに取り掛かろうとしている若い娘がいた。

 娘は怪我のひどさに怖気おじけづきつつも、どうにか役割を果たそうと、ややぎこちなく手を動かしている。

 俺は彼女のかたわらにひざをつき、声をかけた。

「私にせていただけませんか? 私は、医術の心得こころえがありますので」

 娘は困惑こんわくしつつ、「この人、誰なんですか? まかせて大丈夫なんですか?」と言いたげな目で甚右衛門のほうを見た。

 それに対して甚右衛門がうなずき、

「取りあえず、この人にまかせてみよう。おまえは、何か手伝えることがあったら手伝えばいい」

 と答えたので、娘は俺に場所をゆずってくれた。


 怪我人は全部で五人だ。俺はそれを一人一人ざっと診て、怪我の具合ぐあいを確認した。

 幸いにも、深手ふかでっている者はいなかった。とはいえ、実家から持ってきた薬だけでは足りそうもない。

 俺は集まっている人たちに呼びかけた。

「傷薬でなくてもいいので、薬をお持ちでしたら持ってきていただけませんか? 使えるかどうかは私が判断します」

 みんな一様いちように、戸惑とまどった表情を浮かべた。この状況で「傷薬でなくてもいい」などと言ったからだろう。


 落ち着いた口調で俺が、

「効能が多岐たきにわたる薬もありますから。『傷薬』とめい打ってなくても、役に立つ物もあるのです。それに怪我の場合は、けいれんや発熱が起きることもあるので、そういった万一にも備えておいたほうがいいと思うのです」

 と説明すると、

「腹痛の薬ぐらいならあるけど、そういうのでもいいの?」

 という、質問の声があがった。

「薬の正確な名前や、何を調合した薬なのかが分かるなら、まずはそれを教えてくださるだけで構いません。そのあたりが曖昧あいまいなら、実物を持ってきてくださったほうが判断しやすいです」

 そう伝えると、みんながわらわらと動き出した。


 一部の人間は俺のそばまで来て、持っている薬の名を告げ始めた。俺はそれを聞き、使えるかどうか判断しながら、同時に怪我の手当ても進めた。

 傷を洗い、薬をり、布を巻いていく。さらには、手伝ってくれている人たちに「この薬をまんべんなく塗ってください」「この方の腕を持ち上げていてください」と指示を出す。


 そうやって俺が淡々と、やるべきことをこなしていると、別の怪我人の傷を洗っていた女が、

「私たちとは巻き方が違うわね。あなたのほうが、きれいにしっかり巻けてる。さすがね」

 と、感心したように声をかけてきた。

 三十路みそじを少し過ぎたぐらいだろうか。柔和にゅうわな雰囲気を持っている。

 俺は微笑ほほえんで、

「それほど難しくありませんから、こつを覚えれば、みなさんでも出来るようになるだろうと思います。もし後で時間があれば、お教えしても構いません」

 と返した。


 手当てを行なっているかたわらに、次々と布や薬が運ばれてくる。それらも使って、俺は息もつかずに怪我を手当てした。

 そうこうしているうちに、捕らえられた賊のほうへ行って何やら話していた甚右衛門が、こちらへやって来て、

「どうやら賊は、納屋に忍び込んで物色ぶっしょくしていたようだ。何か金目かねめの物や、役に立ちそうな物がないか、とな。そこを人に見つかったものだから、問答無用で切りつけてきたらしい。名や出自を賊本人に問いただしてみたが、何も答えようとせん」

 と、俺だけでなく、その場にいた人たちにも向けて話した。

 俺は、怪我人の足に布を巻く手を止めずに、

「もしかすると、その賊は街道筋かいどうすじの町で捕まった野盗やとうの仲間かもしれません」

「何?」

 おどろいている甚右衛門に、俺は行商から聞いた話をそのまま語った。「賊」と聞いた時から、このことが頭のすみにちらついていたのだ。


 甚右衛門は目を細めて考え込み、

「役人に捕まらずに逃げていた奴がいた……ということか。同時期にこれほど近くで賊が、となると、充分あり得るな。もしそうなら、勝手に我々で処罰しょばつしたりすれば後々、もめることになりかねん。役人に引き渡したほうが無難ぶなんだろうな」

「ええ。いくら賊を処罰しただけだと言っても、役人がそれをどう受け止めるか分かりませんから。実は軽谷かるやと野盗につながりがあって、口封くちふうじをしたのではなどと疑われる可能性もあるかと」

 俺がそう言いえると、甚右衛門は腕組みし、

「よその村里には、武者むしゃりに精を出している百姓もいるらしいからな。そういう連中と一緒にされては、かなわんし。……よし。梶彦かじひこ、そいつを役人に引き渡してこい」

 と、やりを片手に賊を押さえつけていた若者に向かって命じた。

「梶彦」と呼ばれた、俺と同じぐらいの年齢のその男は、

「分かりました。……おまえら、荷車を持って来い。おそらく、無理やり歩かせるより、そっちのほうが早いし確実だ」

 と、他の若者に指示を出している。


 そんなこんなで、事態は着々と進展し、やがて怪我人の手当ても完了した。

 気がつけば、賊もすでに納屋の前からいなくなっている。役人に引き渡すために、連れて行かれたのだ。

 俺は深く、息をついた。

 疲れていないと言えばうそになるが、やるべきことをやりげた充実感もある。

 そして、集まって手当てに協力していた里人たちも、やや安堵あんどしたような様子を見せていた。

 取りあえず、いま出来ることはやった。あとは怪我人が順調に回復することを祈るしかない――そんな心持ちなのだろう。


 そこへ甚右衛門がやって来て、

「すまなかったな、客人にこんな労をかけさせてしまって。かたじけない」

「いえ。私にとっては自然なことでしかないので」

「私のような素人目しろうとめから見ても、見事な手際てぎわだ。医者と言われた時は、失礼ながら半信半疑だったが、今はもう、完全に納得している」

「それなのですが……」

「ん?」

 俺は苦笑しつつ、甚右衛門に告げた。

「私は確かに医者ですが、刀傷を専門に診る金創医きんそういではありません。金創についても、基礎的なことは一通り心得ていますし、大半のことには対処できますが、本当は金創医が診るのが一番よいのです」


 甚右衛門は呆気あっけに取られたような顔をしていたが、じきに我に返り、俺の言葉を否定ひていした。

「いや、そんなに卑下ひげせんでも。充分によくやってくれたし、やはり、我々のような素人が自己流で手当てするのとは違う」

「もちろん、私に出来る限りのことはしましたし、医術の知識のない方がやるより早く、きれいに治るという自信もあります。それでも、特定の分野に専心している人間には、かなうものではありません」

 自分は一定以上の腕を持っている。だが、まだ足りない。賞賛しょうさんの言葉は、うれしい半面、居心地が悪くなる。

 金創医並みの手当てが出来たら、きっと、もっと……と、体の奥底が渇望かつぼうしていた。


 俺の言葉を聞いて、甚右衛門は当惑とうわく気味ぎみに、

謙虚けんきょなのか、自負心じふしんがあるのか……医者というのは、そういうものなのかねえ」

 と、つぶやいていた。

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