第16話 西へ

 俺は家に戻ると、手早く荷物をまとめ、それをたずさえて誰にも告げずに裏口から出た。

 そして急ぎ足で鷲之江わしのえも出て、一路いちろ、西を目指した。

 振り返らず、脇目わきめも振らず、ただただ前を見つめ、前進する。寄り道など、もってのほか――というより、無用だ。


 そうやって歩き続け、沙南さなみを脱すると、ようやく少し気が楽になった。

 ひょっとしたらが差し向けられるかもしれないと思ったが、杞憂きゆうだったようだ。

 兵衛尉ひょうえのじょう様にしてみれば、下手へたことを大きくすれば、自分の行状ぎょうじょうまで明るみに出かねない。実害がなかったのだから、藪蛇やぶへびになるようなことはやめておこうと考えたのだろう。

 もちろん、まだ完全には気を抜けない。警戒をくのは、もっと遠くまで行って、しばらくたっても何の動きもなければだ。


 父親と母親には、ふみを残し、七見家ななみけの跡取りにふさわしいと思う兄弟子あにでしの名も記しておいた。

 それで納得なっとくしてくれたのか。あるいは、俺は「ふさわしくない」と見切りをつけたのか。

 何とも分からないが、あきらめてくれたのなら、どちらでもいい。


 すべてを振り捨てて、身軽になり――全身が安堵あんどで満ちていた。

 たよれるものが何もないのに、不思議と、心細さもない。

 これで存分に、うでを生かせる。

 いや。七見家という後ろだてがないのだから、何もかも一から自分できずいていかなければならないのか。

 七見家の跡取りだったからこそ出来たことも、これからは出来なくなる。おそらく、すんなりとは行かないことも山ほど出てくるに違いない。それでも――。

 やるしかない。己のすべてをそそぎ込んででも。




 俺は街道かいどうを、ひたすら西に向かって歩いた。

 出来るだけ沙南から離れたいから、というのがまず第一だが、なぜ他の方角ではなく西なのかと言えば、都があるからだ。

 都なら、最も進んだ医術の知が集積しているはず。諸国しょこくの様々な流派だけでなく、海の向こうにある異国の医術にも、接する機会が得られる。人脈じんみゃくも築ける。


 本音を言えば、繁華はんかでいくらでも医者がいるような所ではなく、医者そのものがいない土地で人をたい。そのほうがきっと、俺の内奥ないおうにある欲求を満たせるし、医術の腕もみがけるという確信があった。

 とは言うものの、いきなりそんな所に乗り込んで医者の仕事を始めようとしても、簡単に受け入れてもらえるとは思えない。そもそも、どこにそういう土地があるのかも分からない。

 取りあえず都へ行って、医者として働けるような土台を作って、それからまた考えよう――鷲之江にいた頃から、そんな計画を漠然ばくぜんと思い描いていた。


 路銀ろぎんと、この先の暮らしのための資金として、これまでに働いて得た分の金をいくらか持ってきた。それを使って宿に泊まったりも出来たので、旅はこれといった支障ししょうもなく、順調に運んだ。

 ところが、あと一日か二日歩けば都、という所で――。

野盗やとう?」

 俺がおどろいて聞き返すと、街道で行き合った行商ぎょうしょうの男は、深々ふかぶかとうなずいて、

「この近辺の村里むらざとを荒らしていた一味いちみだ。そいつらが追捕ついぶの手をのがれようと、街道沿いの町に逃げ込んだんだが、とうとうそれも見つかって、大捕おおとものになってな。たぶん、まだ騒然そうぜんとしてるだろう。怪我人けがにんが出てたし、取り調べも行なわれてたから」

 と、さらにくわしい話を教えてくれた。

 そんなことになっているとは知らずに町に足をみ入れた行商も、役人から取り調べを受ける破目はめになったらしい。「問い詰められるし、余計な時間を食ったし、参った参った」と、苦々にがにがしい顔でぼやいている。


 あまりにも思いがけない事態じたいに、俺は肩を落とした。

 捕り物のあった町は、ここからあと少し先の、都からも近い所にある。町の中でも寺社の門前は特ににぎわい、たびたびいちも開かれているらしい。よりによって、そんな場所で。

 いや。都の近くだからこそ役人も、厳重げんじゅうな取り調べをして一人も逃すまいと躍起やっきになっているのだろう。そう考えると、文句も言えない。


 行商に礼を言って別れ、俺は再び歩き出したが、進路は変更した。

 そんなさわぎになってる所に、のこのこと無警戒に行くより、迂回うかいしたほうが無難ぶなんだろう。俺も一応、後ろ暗さのある身の上だ。用心するに越したことはない。

 迂回できる道のりとして行商は、街道をそれて、軽谷かるやという里を通れば、そこから都へ行けると教えてくれた。

 少しばかり遠回りという程度だし、迷うこともないような分かりやすい道だそうだ。


 言われたとおりに歩くと、やがて村里が見えてきた。あれこそが軽谷だろう。

 俺は里で最も大きな家を探し、そこを訪ねた。こういう時は、村里の有力者をたよるのが最も確実だからだ。

 おりよく、前庭で垣根かきね修繕しゅうぜんしている男がいたので、「おそれ入りますが、道を教えていただけませんか?」と声をかけてみた。

 男はいやな顔一つせず、「どこへ行く道だ?」と応じてくれた。

 身なりなどからして、おそらくこの男は、家の主や子供などではなく、雑役ぞうやくとして使われている人間だ。それでもまあ、これほど大きな家で働いているぐらいだから、大丈夫だろうと考えて話していると、

「誰か来たのか? 小十郎こじゅうろう

 と言いながら、家の中からこちらへやってくる人物がいた。

 年齢は四十になるかならないか、という感じだ。中肉ちゅうにく中背ちゅうぜいの、人のよさそうな男だった。


 小十郎と呼ばれたほうの男は、

「はい。旅のお方に、道を聞かれましたもので」

 と答えている。

 家から出てきた男は、俺の風体ふうていにさっと一通り視線を走らせると、

「私はこの家の主で、甚右衛門じんえもんと申す。どこへ行こうと思っておられるのかな?」

 と、愛想あいそよく話を聞いてくれた。


 俺は苦笑を浮かべ、

「実は、行商の者から道を教わってこの里まで来たのですが、念のために改めて確認しておこうと思って、こちらへ参ったのです。何せ、西国自体が初めてなので」

 と断って、ここが軽谷の里なのかや、都へ行くための道を聞いた。

「ああ。それならここから……」

 と、甚右衛門は丁寧ていねいに説明してくれた――のだが、そこへ。

「おーい! た、大変だ!」

 とさけびながら、こちらにけてくる者がいた。

 甚右衛門に比べるとまだ若いその男は、息を切らせながら俺たちのそばまでたどり着くと、

「ぞ……ぞくです。賊に、里の者がおそわれました」

 と告げた。

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