第15話 決別

 年が改まって、俺が十八になると、俺の行動に対する父親の目は再びきびしくなった。

「裏手」へ行くのも、他流派から学ぼうとするのも、監視されて口うるさくとがめられる。

 せまわくの中に納めようとするその圧力に、俺は段々と、うんざりするようになった。


 俺の医術のうでは、とうに父親をえている――そのことに気づいてしまうと、なおさら、父親の存在は俺にとって「さまたげ」だと感じずにいられなかった。

 もっとも、気づいているのは俺だけで、父親自身は今も俺を「未熟者」「若輩じゃくはいもの」として下に見ている。

 だから、いくら話しても平行線で、分かりあえる日など来そうもない。


 七見家に留まったまま、父親が認める範囲はんいで医術を学んでいても、本当に治したい病は治せない――そんな焦燥しょうそうと、もっと学びたい、腕を振るいたいという渇望かつぼうが、日増ひましに強くなっていった。


 そして同時に、縁組の話がひそやかに進んでいることもまた、決断せよと俺をき立てていた。

 父親の目が厳しくなったのも、おそらく縁組と無関係ではないのだろう。

 跡取あととりとしてふさわしく――そういう意識が、あらためてしょうじたのではないか。

 母親は母親で、時折、俺の将来や、さらにみ込んで縁組の話題をちらつかせる。

 ここまで来ると、悠長ゆうちょうに構えてもいられない。


 どうするか――医者の仕事をこなしながら、考え続けた。

 俺がこのまま七見家にいたところで、誰にとっても、いいことなどない。

 両親には跡取り息子むすこが必要なのだろうが、だからと言って、ずるずると問題を先送りすれば、かえって悲惨ひさんな結末になるかもしれない。

 早い段階であきらめさせて、方針を転換してもらったほうが――と、思いはするのだが。

 七見家を離れてしまえば、兵衛尉ひょうえのじょう様との関係も、終わらせざるを得なくなる――その一点が頑健がんけんくさびとなって、俺を迷わせた。




 そうして。ようやく、いくらか冬の寒さがやわらいできた、ある日。

 いそがしい日々の合間あいまって、俺は久しぶりに兵衛尉様の館を訪れた。

 いや、顔を合わせる機会自体は何度かあったのだ。あったが大抵たいてい、別の用事を抱えている時で、ゆっくりとお話しするひまもなかった。それゆえ、「久しぶり」という感が強い。

 館に泊まっていくことが出来ない分、せめて、お会いして二人で過ごす時間ぐらいは、こまめに確保したいところだが。それすらままならないのが、もどかしい。


 俺は浮き立つ気持ちをおさえながら、兵衛尉様が待っておられる部屋に向かって廊下ろうかを歩いていた。

 その途中で――。

「あ!」

 という声とともに、何かが倒れるような音がした。

 庭のほうだ。そう思って庭を見ると、子供が地面に倒れていた。

 十二、三歳ぐらいの少年だった。身なりからして、この館の下働きだろう。

 そばには手桶ておけが二つころがっており、土がれている。水を運んでいたようだ。


 草履ぞうりを取りに行く時間がしくて、俺は素足すあしのままひょいと庭に下り、少年のもとへ駆け寄った。

「どこか、怪我けがをしているところはあるか?」

 そうたずねてみると、少年はあわてて体を起こしながら、

「いえ、大丈夫です」

 と返事をした。

 実際、血が出ているような箇所かしょも見当たらなかった。だがその代わり、少年の目は手桶にそそがれ、落胆らくたんした表情を浮かべている。


 俺は苦笑しつつ、

「無理して一度に運ぼうとするより、二回に分けたほうが確実だし、かえって早い。次からはそうしたらいい」

「……はい」

「見かけない顔だな? 最近、ここで働くようになったのか?」

「はい。父がこの館で雑役ぞうやくを務めていたのですが、病でしばらく働けそうもないので、私が代わりに。父が休む間、人手ひとでりなくなっては申し訳ありませんので」

 真面目まじめな顔つきで答える少年には、不器用ぶきようさと利発りはつさが混在していた。


 俺は微笑ほほえみ、少年のひざについた土を手で払ってやりながら、

「名前は?」

仙吉せんきちと申します」

「そうか。私は七見ななみ鷹一郎よういちろうだ。仙吉。何か困ったことがあったら、いつでも言ってくれ。出来る限り、力になる」

 と伝えた。




 兵衛尉様との短い逢瀬おうせを終え、館を去ろうと廊下を歩いていた時。

「あ」

 去りぎわに、次にまたお会いできる日を兵衛尉様にお約束してきたが、よくよく考えたらその日には別の用事が入っている――今になって、それを思い出した。

 俺は瞬時に方向転換して、廊下を引き返した。


 こんな失態しったいをするとは、疲れているのかもしれない。

 とにもかくにも、このむねを兵衛尉様に申し上げに戻ろう。こういったことは、遅くなるほど印象が悪くなる。早いうちなら、大してお気になさらないだろう。

 とはいえ、兵衛尉様はどこから耳にされたのか、

「また柊斎しゅうさいが、そなたを閉じ込めようとしているようだな。柊斎さえ、そなたに対してもっとおおらかにかまえていてくれれば、もっとゆるりと過ごせるものを」

 と、うんざりした顔でおっしゃっていた。

 次の逢瀬が先に延びると分かったら、いっそう不満をつのらせられるかもしれない。

 それでも――お分かりいただくしかない。


 兵衛尉様がいらっしゃる部屋が近づくにつれ、何やら、声が聞こえてきた。

 部屋に誰かをお呼びになって、話していらっしゃるんだろうか。相手によっては、お邪魔するわけにもいかないが――。

 誰とお話しになっているのか知りたくて、足を止めて会話の内容を聞き取ろうとしていると、

「父親にわってそなたが来て以来、ずっと目をつけ、機会をうかがっていたのだ。そなたは気づいてなかったかもしれんが」

 という、兵衛尉様の声がした。

 何か、とてつもなくいやな予感がした。


 俺はそっと部屋の前まで行き、耳をませた。

 兵衛尉様は、悠然ゆうぜんと、

「そなたは、身分こそいやしいが、なかなかの見目みめだ。もっと身ぎれいにして、着る物も上等な物を身につければ、さぞかし見映みばえがするに違いない」

「あ、あの……あ、わ、私は……」

 この声は――ほんの少し前にも、よく似た声を聞いた。

 仙吉だ。


 困惑こんわく畏怖いふでうまくしゃべれない様子の仙吉を、兵衛尉様はまったく気にも留めず、

「そなたはもう、あのような下働したばたらきなどせずともよい。私のそばにおれば、ぜいくした暮らしが出来るぞ」

「いえ、あの……そ、その……」

「ん? まさか、私と鷹一郎のことを知っていて、それを気にしておるのか? ならば心配無用。鷹一郎は、見目はともかく、もう年増としまだ。上背うわぜいも私と変わらなくなったし、どうもな。そこへ行くと、そなたは何とも初々ういういしいし、うるさい親もいない」

 なめてるのか、こいつは。


 完全に迷いが吹き飛んだ俺は、すっと部屋の障子しょうじを開けた。

 部屋の中では兵衛尉様が、仙吉を抱きかかえるようにして膝の上に乗せて、顔を近寄せていた。

 兵衛尉様は俺を見た途端とたん、「あ」という表情のまま固まった。


 俺は、にこやかに微笑みながら、

「用事を思い出したので、戻ってまいりました」

 と、言ってやった。

 仙吉は、すがるような目でこちらを見ている。俺は顔を廊下に向かって小さく振り、

「大丈夫だ。行け」

 とうながした。

 仙吉は足をもつれさせながらも、脱兎だっとのごとく、兵衛尉様のうでをすり抜けて膝をのがれ、部屋から飛び出していった。


 俺は兵衛尉様をしっかりと見据みすえながら、ゆっくりと部屋の中へ進み出た。

 兵衛尉様はと言えば、気が動転しているのか、あるいは単におされているのか、こしが引けて立ち上がることも出来ずにいる。ここが戦場なら、とうに敵にちとられていそうな無様ぶざまさだ。

 逢瀬のために人払いがされているのだろう。他に人の気配がない。

 それでも声をあげれば人が駆けつけてくるのだろうが、今の兵衛尉様は、その声も出ないようだ。

 俺は部屋のすみに置かれている刀掛けに目をやり、そちらへ向かった。


 刀掛けから、ざやに納まった立派りっぱがたなを一振り手に取ると、兵衛尉様の前まで行って足を止め、

宦官かんがんって、知ってます?」

 と、聞いてみた。

 返事はない。


 構わずに俺は、

「海の向こうの国じゃ、またぐらにくっついてるものを切り落とした男が後宮こうきゅうで働いているらしいですね。その昔は、刑罰けいばつとして行われていたこともあったとか」

 と語ると、手の中の刀を兵衛尉様の眼前に突き付け、

「これ、悪い奴を切るもんですよね?」

 と確認した。

 そして、返事も待たずにすらりと刀を鞘から抜き、さきを兵衛尉様の股間こかんに向け、優雅に笑って、

「切っちゃいましょう」

 と宣告してやった。


 兵衛尉様の顔は恐怖で引きつっているが、知ったことではない。

 俺は刀を振り上げ――突き立てた。


 兵衛尉様は失神し、そのまま後ろに倒れてしまった。

 刀は、股間の手前の床に真っすぐに突き立っている。

「やってられん」

 俺は兵衛尉様に背を向け、館を後にした。

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