第13話 道ならぬ

 俺は父親から一任いちにんされて、師澤家もろさわけの次男である佐次郎さじろう様がお住まいのやかたへも、健康状態の確認や治療のために足を運ぶようになった。

 佐次郎様は鷲之江わしのえではなく、雛戸ひなとに住んでおられる。

 雛戸は鷲之江から北東へ半日ほど歩いた所にあり、沙南さなみの中でも交易こうえきにぎわってる、重要な拠点きょてんだ。

 おまけに、隣国が攻めてくる時は、まず雛戸を攻略しなくては鷲之江に到達できない。

 殿はそんな雛戸の守りを固めるために、佐次郎様に雛戸の館をおまかせになったのだ。

 そして俺がここ最近、よく雛戸の館でているのは、今は「雛戸のかた」と呼ばれている、佐次郎様の奥方様おくがたさまだった。


 雛戸のお方様かたさまが「時折めまいをおぼえる」とおっしゃるので、定期的に館を訪れてお体を拝見し、薬を処方し、暮らしで留意しなくてはならない点をご指導し――ということを何度かり返し、めまいが起きる頻度ひんどもずいぶん減ってきた、ある日。

 いつものごとく、館でお方様に薬をお出しし終わると、お方様はそばにひかえていた侍女じじょに「下がっていなさい」と指示された。


 二人だけになった部屋で、俺はお方様から問いかけられた。

「なぜ、館がいつもより賑やかなのか、そなたも知っているのでしょう?」

 俺はちょっと間を置いてから、あえて感情は込めず、

「はい」

 と、うなずいた。

 お方様は、おなげきになるでもなく、お怒りになるでもなく、ただ、あきらめにも似た面持おももちで、

「そう……。なら私のことを、『気の毒に』と内心では思っているのでしょう?」

 と、お聞きになった。

 俺はゆっくりと首を横に振り、はっきりとお答えした。

「いいえ」

 それでもお方様の目は、疑いの色をびていた。


 つい先頃さきごろ、佐次郎様の御子おこがお生まれになった――お方様ではなく、側室との間の子だ。

 お方様との間には、まだ御子は一人も出来ていない。隣国の守護家からとついで来られて、すでに四年近くたとうとしているのに。

 佐次郎様や家臣たちが初めての御子にわき立つのも、分からなくはない。

 だが、少しくらいはお方様のことも気にかけて差し上げられないものなのかと、無防備な笑顔を振りまく方たちを見るたびに、俺は心の片隅かたすみで感じていた。


 お方様は佐次郎様との仲があまり良好ではない、といううわさも耳にしたことがある。

 お方様は、館の中で一人取り残されたような気持ちを抱えていらっしゃるのだろう。さびしさのにじむ眼差まなざしを見ていると、そう思わずにいられなかった。


 俺は真っすぐにお方様と向き合って、自分の中にある真情をお伝えした。

「私が『気の毒』などと思い、そのような目で見ては、お方様は本当に『気の毒な方』になってしまいます。それゆえ私は、気の毒などとは思いません。私にとってお方様は、賢明で思いやりもおありになる、うやまうにあたいする方です」

 お方様は真意をさぐるような目で、じっと俺のほうをごらんになっている。

 まだ二十一のお若さなのに、周りの人間の態度を信じ切れなくなっておられるのだと思うと、せつなさを覚えた。


 俺は小さく苦笑して、

「私はお追従ついしょうでこのようなことを申し上げられるほど、器用ではありません。むしろ、じつのない言葉なら言わぬほうがまし……そう思っております。どうか、私の申し上げたことを胸に留めておいてください」

「そなたを疑っているわけではない。ただ……みずからに対して自信が持てぬだけです」

「自信なら私も、さほど持ち合わせておりません。これで本当によいのかと、迷ってばかりです。世の大半の人間は、そんなものでしょう。何度も迷いを繰り返しながら、少しずつ歩み続ける……それだけでよいのだと思います」

 俺がそう申し上げると、ようやくお方様の顔に、かすかなみが浮かんだ。


 お方様は、軽く目を伏せ、

「そなたと話していると、心が軽くなる……」

「それは私にとっても、ありがたきことです。幸いに存じます」

 感激の意を述べた俺に、お方様は、つと体を寄せてこられると――右手をそっと、俺の右手に重ねられた。


 そうして、ひたと俺の目をご覧になり、

「この先もずっと、私を支えてくれますね?」

 と、お聞きになった。

 こちらの心中を確かめるような言葉や眼差まなざしが、俺に「医者として」以上のものを求めているのは――分かりたくなくても、分かった。


 俺の頭の中を、数え切れないほどの感情が飛びった。混乱と切迫感せっぱくかんおそわれ、むねめ付けられる。

 お方様は返答を待っておられる。どうすればいいのか。このままでは――。


 俺はお方様の手をやや強引ごういんにどけて、がばりとその場に平伏した。

「申し訳ございません! 私にはお方様の望みにおこたえすることは出来ません! どうか、ご容赦ようしゃください!」

 必死の思いでそうおび申し上げると、ふっとお方様の気配が変わった。


 お方様は、懸命けんめい動揺どうようおさえておられる様子で、

「なぜ……。まさか誰ぞ他に、いた女子おなごでも……? そなたはいた話もなく、医術の修行に打ち込んでいると聞いているが」

「そうでは……そういうことではないのです」

「ならば、なぜ……初めて会った時から変わらず、私に親身しんみになってくれているのは……」

 ああ、誤解させてしまったか、と俺はやんだ。もっと慎重しんちょうに接するべきだったか。


 俺は覚悟を決め、平伏したまま申し上げた。

「そもそも私は、女人にょにんをそのような相手とは見られぬのです」

「え?」

「お方様に、敬慕けいぼや親愛の情は抱いております。お方様には幸福にお暮らしになっていただきたいと、願ってもおります。ですが……それ以上の感情を私に求められても、お方様が女人である限り、お応えできる日が来ることはありません」

 お方様の反応はなく、部屋は静まり返っている。

 分かっていただけるだろうか。無礼ぶれいと言われ、ばつを受けることになっても仕方ない。あるいは、信じていただけないかもしれない。

 それでも――こうするしかない。


 やがてお方様は、声をひくめて、

柊斎しゅうさいは、そなたを七見家ななみけ跡取あととりと決めているはずでは?」

「ただいま申し上げたことは、親もふくめて誰も知りません。人に話すのは、お方様が初めてです」

 俺の答えに、お方様は再びだまり込まれた。


 しんとした時間が、長かったのか短かったのか、よく分からない。

 俺がひたすら頭を下げ続けていると、お方様が毅然きぜんとした口調でおっしゃった。

「私はそなたに、何も申さなかった。そなたも私に、何も申さなかった――それでよいですね?」

 俺は思わず顔を上げ――再び平伏した。

「はい。かたじけのう存じます」

 礼を述べると、お方様は、

「今日もわざわざ鷲之江から、ご苦労であった。感謝しております」

 と、ねぎらってくださったので、それを頃合ころあいに俺は退出した。




「どうかされましたか?」

 半歩前を歩く男が、こちらを振り向いて声をかけてきたので、俺は思わずどきりとした。

 あわてずに、落ち着いた声音で、

「いえ、どうもしませんが? ここのところいそがしかったので、少々ぼんやりしていたかもしれませんが、他に何かおかしく見えるところがありましたか?」

 と返すと、男は「そうですか。ならいいんです」と、納得なっとくしたようだった。


 男は、最近うちに入門してきた門弟もんていだ。父親に命じられて、護衛ごえいも兼ねた供人ともびととして、今日も俺に付きってきていた。

 俺の様子がおかしかったなどと父親に報告されては、かなわない。平静に振る舞わなくてはと、気を引きめた。


 俺たちが歩いているのは、雛戸から鷲之江に戻る道だ。歩きながら俺は、つい先ほどあったばかりのことを考え続けていた。

 いや、考えようとしなくても、頭が勝手に考えてしまう。よもや、お方様があのように思っておられたとは、と。

 病人を診に行って、これほどあせったのは初めてだ。


 納得して、引き下がっていただけて、ほっとしたが――本当は、あの方法ではいけなかったのではないかと、後悔こうかいする気持ちがわいていた。

 あなた様は、佐次郎様の妻なのですから。

 あなた様は、私とは身分が違うのですから。

 本来は、そう説得するべきだったのだ。

 だが、それでは引き下がっていただけないのではないかとおそれ、手っ取り早く、俺が女をそういう相手として見ていないことを、たてのように使ってしまった。

 すがりついてくるような目に、こわさを感じたからとはいえ。


 あのままならお方様は、いずれ、別の男にすがろうとするのではないか――そんな予感が消えなかった。

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