第13話 道ならぬ
俺は父親から
佐次郎様は
雛戸は鷲之江から北東へ半日ほど歩いた所にあり、
おまけに、隣国が攻めてくる時は、まず雛戸を攻略しなくては鷲之江に到達できない。
殿はそんな雛戸の守りを固めるために、佐次郎様に雛戸の館をおまかせになったのだ。
そして俺がここ最近、よく雛戸の館で
雛戸のお
いつものごとく、館でお方様に薬をお出しし終わると、お方様はそばに
二人だけになった部屋で、俺はお方様から問いかけられた。
「なぜ、館がいつもより賑やかなのか、そなたも知っているのでしょう?」
俺はちょっと間を置いてから、あえて感情は込めず、
「はい」
と、うなずいた。
お方様は、お
「そう……。なら私のことを、『気の毒に』と内心では思っているのでしょう?」
と、お聞きになった。
俺はゆっくりと首を横に振り、はっきりとお答えした。
「いいえ」
それでもお方様の目は、疑いの色を
つい
お方様との間には、まだ御子は一人も出来ていない。隣国の守護家から
佐次郎様や家臣たちが初めての御子にわき立つのも、分からなくはない。
だが、少しくらいはお方様のことも気にかけて差し上げられないものなのかと、無防備な笑顔を振りまく方たちを見るたびに、俺は心の
お方様は佐次郎様との仲があまり良好ではない、という
お方様は、館の中で一人取り残されたような気持ちを抱えていらっしゃるのだろう。
俺は真っすぐにお方様と向き合って、自分の中にある真情をお伝えした。
「私が『気の毒』などと思い、そのような目で見ては、お方様は本当に『気の毒な方』になってしまいます。それゆえ私は、気の毒などとは思いません。私にとってお方様は、賢明で思いやりもおありになる、
お方様は真意を
まだ二十一のお若さなのに、周りの人間の態度を信じ切れなくなっておられるのだと思うと、
俺は小さく苦笑して、
「私はお
「そなたを疑っているわけではない。ただ……
「自信なら私も、さほど持ち合わせておりません。これで本当によいのかと、迷ってばかりです。世の大半の人間は、そんなものでしょう。何度も迷いを繰り返しながら、少しずつ歩み続ける……それだけでよいのだと思います」
俺がそう申し上げると、ようやくお方様の顔に、かすかな
お方様は、軽く目を伏せ、
「そなたと話していると、心が軽くなる……」
「それは私にとっても、ありがたきことです。幸いに存じます」
感激の意を述べた俺に、お方様は、つと体を寄せてこられると――右手をそっと、俺の右手に重ねられた。
そうして、ひたと俺の目をご覧になり、
「この先もずっと、私を支えてくれますね?」
と、お聞きになった。
こちらの心中を確かめるような言葉や
俺の頭の中を、数え切れないほどの感情が飛び
お方様は返答を待っておられる。どうすればいいのか。このままでは――。
俺はお方様の手をやや
「申し訳ございません! 私にはお方様の望みにお
必死の思いでそうお
お方様は、
「なぜ……。まさか誰ぞ他に、
「そうでは……そういうことではないのです」
「ならば、なぜ……初めて会った時から変わらず、私に
ああ、誤解させてしまったか、と俺は
俺は覚悟を決め、平伏したまま申し上げた。
「そもそも私は、
「え?」
「お方様に、
お方様の反応はなく、部屋は静まり返っている。
分かっていただけるだろうか。
それでも――こうするしかない。
やがてお方様は、声を
「
「ただいま申し上げたことは、親も
俺の答えに、お方様は再び
しんとした時間が、長かったのか短かったのか、よく分からない。
俺がひたすら頭を下げ続けていると、お方様が
「私はそなたに、何も申さなかった。そなたも私に、何も申さなかった――それでよいですね?」
俺は思わず顔を上げ――再び平伏した。
「はい。かたじけのう存じます」
礼を述べると、お方様は、
「今日もわざわざ鷲之江から、ご苦労であった。感謝しております」
と、ねぎらってくださったので、それを
「どうかされましたか?」
半歩前を歩く男が、こちらを振り向いて声をかけてきたので、俺は思わずどきりとした。
「いえ、どうもしませんが? ここのところ
と返すと、男は「そうですか。ならいいんです」と、
男は、最近うちに入門してきた
俺の様子がおかしかったなどと父親に報告されては、かなわない。平静に振る舞わなくてはと、気を引き
俺たちが歩いているのは、雛戸から鷲之江に戻る道だ。歩きながら俺は、つい先ほどあったばかりのことを考え続けていた。
いや、考えようとしなくても、頭が勝手に考えてしまう。よもや、お方様があのように思っておられたとは、と。
病人を診に行って、これほど
納得して、引き下がっていただけて、ほっとしたが――本当は、あの方法ではいけなかったのではないかと、
あなた様は、佐次郎様の妻なのですから。
あなた様は、私とは身分が違うのですから。
本来は、そう説得するべきだったのだ。
だが、それでは引き下がっていただけないのではないかと
すがりついてくるような目に、
あのままならお方様は、いずれ、別の男にすがろうとするのではないか――そんな予感が消えなかった。
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