第12話 いきさつ

 勘太かんたが処刑されたという話を聞いてからというもの、俺はしばしば、そのことを考えた。

 勘太に何があったのか、何を思っていたのか――今となっては、確かめるすべもない。

 俺が接した限りでは、「裏手」の住人の中ではむしろ温厚おんこうな人物で、蓮華れんげが言っていた通り、誰かをうらんでいた様子も見受けられなかった。

 人は、他人に対して何でもさらけ出すわけではない。知られぬように内にめておくことなど、いくらでもある――そう言ってしまえば、それまでだが。

 俺は何も教えてもらえず、気づくことも出来なかった――その事実は、そこはかとない無力感をもたらした。


 ただ、その反面、勘太を治療したことやむ気持ちは、少しもわいてこない。

 目の前にんでいる人間がいて、俺が医術のうでを持っていて、本人もやまいえてほしいと望んでいたから、治した――それだけだ。俺にとっては、迷う必要もない、当たり前の行為こういでしかない。

 病んでいる者がそこにいる――俺にとって重要なのはそれだけで、他はどうでもよかった。

 治療対象がどんな人物であろうと、治したことで何が起きようと、治療しない理由にはならない。

 たとえ、勘太が後々のちのち人を殺すことが分かっていたとしても、きっと俺は、ためらわずに治療したに違いない。


 そもそも俺は、自分が病人をることを、「いいこと」とも「人を助けている」とも思っていない。

 勘太に殺された本人や、その身内からしたら、俺は大悪人だろう。とんでもない悪事を働いた、と思われても仕方ない。

「助ける」なんていうだいそれたことは、俺には出来やしない。神でも仏でもないのだから。

 もしかすると、結果として誰かが助かっていることは、あるかもしれないが。


 俺は、医者としては正しくても、人としては間違っているのかもしれない。

 そうだとしても、どうでもよかった。




 俺は「裏手」に行って、道端みちばた権八ごんぱちに出くわした時、勘太がどういう経緯けいいでここで暮らすようになったのかを聞いてみた。

 しかし、その回答は、

「ここに来る前の勘太のことは、俺も知らねえ。二十年近く前にふらっとやって来て、住み着いた。その後は……おまえが見た暮らしぶりと、そう変わらねえ。たまにどこかで金や物を調達ちょうたつしてくるだけで、あとは何をするでもない、貧乏びんぼう暮らしだ」

 というものだった。

 ここの住人は他人の内情まではみ込まないから、おそらく権八以外も、勘太の過去など知らないのだろう。


 俺が落胆らくたんを押しかくして「そうですか」と答えると、権八は少し考え込んでから、

「あいつがやって来た頃だと、ちょうど雁岡かりおか関東府かんとうふで、関東の公方様くぼうさま管領様かんれいさまの争いがあったはずだ。他の守護家しゅごけも巻き込んで、沙南さなみふくめたこの東国一帯にいくさが広がって……ひょっとしたら勘太も、その影響を受けたのかもしれねえ」

師澤家もろさわけが雁岡を離れて、領国である沙南に在国するきっかけとなったという、あの戦ですか?」

「ああ。勘太が元は武士……というのは、さすがにちょっと考えにくいが、戦が起きれば、しがない庶民しょみんも影響を受けるからな。巻きえを食って親兄弟を失ったり、略奪りゃくだつにあったり」

 権八は遠く彼方かなたを見るような眼差まなざしで、そう語った。


 沙南のはるか西には都がある。

 その都を本拠とする幕府は、遠く離れた東国にも支配が行き届くよう、津萱国つがやのくにの中心地であり、東国の要衝でもある雁岡という所に役所を置いた。それが関東府だ。

 西国の守護家は、幕府におつかえするために都へ在住している。それと同様に、東国の守護家は雁岡に在住していた――かつては。


 関東府には公方様がいらっしゃって、関東管領の補佐を受けながら、東国の支配を行なっておられた。

 公方様は都の将軍家の血を引いておられる。にもかかわらず、公方様は以前から将軍家と折り合いがよくなかった。ご自分が将軍家からないがしろにされていると感じておられたようだ。

 管領様はそんな公方様をおいさめし、もっと友好的に振る舞うようにとかれたのだが、それによって逆に、お二人の間に亀裂きれつが入った。

 元々お二人は、そりが合わないところがあったため、関係はあっという間に修復不可能なものとなり――ついには、戦が始まった。


 やがて、幕府からも公方様を討伐とうばつする軍が送られてきて、東国の守護家は公方様か幕府か、どちらにつくか選ばざるを得なくなった。

 結局は、公方様の自害で一応の幕となったが――その後も比較的ひかくてき小規模しょうきぼな争いは起きているし、戦を生きのびられた公方様の御子おこが、勢力を挽回ばんかいしようと今もをうかがっておられる。


 七見家も元々は、師澤家とともに雁岡にきょかまえていた。

 しかし戦で関東府が実質的に機能しなくなると、他の守護家同様に、師澤家も領国にお住まいになられるようになったので、七見家ななみけもこちらに移り住んだのだ。

 俺が生まれたのは、それからほどなくのことなので、俺には直接的な戦乱の記憶はない。


 ただ、その後の各地での小競こぜり合いの話は時々伝わってくるし、師澤家が沙南の外まで兵を送ることもある。俺自身も、戦場から戻ってきた負傷兵ふしょうへいの手当ては経験している。

 そういった間接的な接触だけでも、戦の血生臭ちなまぐささは否応いやおうなく実感する。

 父親が俺を「いまだ修行中の身」としてあつかい続けるのも、一つには、俺が戦場にり出されるのをける目的があった。

 うちの流派は、金創きんそう――負傷の治療の技もいくらか心得こころえているから、万一を警戒したのだ。


 東国はいまだ、平穏へいおんとは言いがたい。もしかすると勘太も、そんな戦の余波よはを受けたんだろうか。そうだとしたら、勘太にしてみれば上の人間が勝手に起こした争いに巻き込まれただけだから、気の毒な話だが――と、思いをめぐらせていると。

 権八が感慨かんがいも込めず、

「『裏手』は、師澤家が家臣を守護代しゅごだいに任じて沙南を支配させておられた頃からあった。師澤家が直々じきじきに支配なさったら、少しは何か変わるかと思ったが……何も変わらなかったな。人の数も、昔と今とで、はたしてどっちが多いか」

 と言って、周囲に視線をやった。


 視線の先には、ぼろきれのような衣をまとった者もいれば、きらびやかな衣を着て、これ見よがしに派手はでな刀ややりたずさえて歩いている者もいる。

 力なく、うなだれている者もいれば、何の屈託くったくもなさそうに、けたたましい笑い声をあげている者もいる。


 いったい彼らは、何があって、ここで暮らすようになったのか。その風貌ふうぼうだけではまったく、うかがい知れない。

 戦などなかったとしても、はたして、勘太がここ以外で安穏あんのんと暮らしていたかどうか――そう考えたら、この世には底の見えない、深い深いやみが横たわっていることに、おぼろげながら気づかされた。

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