第11話 凶報

「裏手」に足をみ入れると、いつものごとく、蓮華れんげが目ざとく俺を見つけて寄ってきた。相変わらず自己主張の強い、目の覚めるような格好や化粧をしている。

 蓮華は好奇の眼差まなざしで俺をながめ、

「あんた、本当に真面目まじめだね。ここに来ても、医者の仕事しかしないんだから」

「医者の仕事のために来てるんだから、それで当然だ」

「たまには息抜きも必要でしょ」

 そう言って蓮華は、俺のうでに自分の腕をからめ、体を密着みっちゃくさせてきた。

「何のつもりだ?」

 何となく意味は分かっていたが、あえて俺がそう問うと、

「あたしを買う気はないの?」

 という、直截ちょくさいな問いで返された。


 ごく普通の男なら、こういう女に対して――感情や感覚が自然とわいてくるものなのだろうか、やはり。

 俺には、まるっきり分からない。どうやったら女をそんな風に見ることが出来るのかが。

 蓮華の顔立ちを見て、かわいらしいとは思う。思うが、それ以上いったい、何を思えばいいのか。気性きしょうなども、決してきらいなわけではないのだが――。


 俺は蓮華の腕を、そっと自分の腕からはずし、

「申し訳ないが、そういうことに金を使ってられるような身の上じゃないんだ。それに、時間もしい」

「あんた、名のある医者の家の跡取あととり息子なんでしょ? だったら、お金ぐらい持ってるんじゃないの?」

「そういう家だからこそ、何でも好きに金を使うというわけにはいかないんだ」

 単なる言い訳ではない。実際、父親は俺の金の使い方に対しても目を光らせている。

 俺がここに来るようになってからは、それがさらにきびしくなり、今も変わらず続いていた。跡取りとしての理想から外れた行動をしていないか、いちいち確認していないと気が済まないのだろう。


 蓮華はきょとんとした顔で、

「めんどくさいね、それは。……あれ? ちょっと待って。あんたが自分の仕事でかせいだ分のお金だってあるはずだよね? それなのに?」

「医者として治療はやってるが、まだ修行中の身でもある。それに、ひとで親の庇護ひごを受けてるから、そんなに自由には出来ない」

「そうだとしても、あんたの働きで稼いだお金の使い方にまで、他の人間が文句もんくを言うなんて、変だよ。親って、そういうもんなの?」

 蓮華の問いに、俺は――考え込んでしまった。

 これまで、自分の暮らしを他人と比べたこと自体があまりなかったが、確かに、うちの親は「普通」とは言いがたいかもしれない。


 一方、蓮華自身はと言えば、物心ものごころがついた頃には親がいなくて、気がつけば「裏手」の男の一人が親代わりとなっていたらしい。「蓮華」という名も、その男が「坊主がとなえていたお経の中に出てきたから」という理由で付けたという話だ。

 そしてその男は、ある日ふらっと、いなくなったという。

 そんな身の上の蓮華から見たら、家にがんじがらめな暮らしなど、奇妙に感じるのも当然か。


 俺は他に言葉が出てこなくて、ただ一言、つぶやいた。

「変、か……」

「あたしから見たら、変だよ。ここでは誰も、他人のお金の使い道になんて口を出さないし、もしそういうことする奴がいたら敬遠される。まあ、人から『こういうことに使え』って言われてめぐんでもらったお金なら、話は別だろうけれど」

 蓮華の言うとおり、ここの住人は、他人の行動にあれこれ干渉かんしょうしない。自分がどうするかは自分で決め、その結果として何が起きても、責任はすべて自分がう。

 働くも働かないも、稼いだ金を散財さんざいするもめるも、自分次第。そういう世界だ。必ずしも、そのおかげで自由に気楽に生きられるなどとは言えないのだろうけれど。


 物思いにふけっていると、蓮華は再び、しなだれかかってきて、

「どう? 少しは好きなことにお金を使ってみない?」

「……たとえ好きに金を使えても、そういうことには使わないから」

 そう断って、蓮華の体をそっと押しのけると、彼女はどこか不服ふふくそうに、

「やっぱり、あんた変わってるね」

 と言って、あきれた顔をした。

 そこへ――。

「来たか。ちょっと、話しておきてえことがある」

 と、俺に向かって言ってくる人物がいた。

 権八ごんぱちだ。

 相変わらず、物々ものものしい野太刀のだち背負せおい、手下を引き連れている。ただ――様子が、以前に会った時と違った。どこがどうとも言いがたいが。

 何事かと思っていると、権八は感情を込めずに告げた。


「ひょっとしたら、おまえもすでに知ってるかもしれねえが……勘太かんたが武家の人間を切り殺して、つかまって、処刑された」


 何か、聞き間違えたのかと思った。


 勘太というのは……昨年、熱病にかかっていたところを俺が治療した男だ。

 今はすっかりよくなって、貧しいながらも、この「裏手」でそれなりの暮らしをしていた――はずなのに。

 どうして、という気持ちがわくのと同時に、十日前、師澤家もろさわけの家臣の一人が切り殺される事件があったのを思い出した。

 犯人がどんな人間だったのかまでは気にかけなかったので、ろくに調べもせずにいたが、死罪に処されたことだけは聞いていた。

 あれは勘太だったのか――そう気づいたものの、どこか遠い所の話のようで、実感がともなわない。

 頭の中で、勘太、殺人、死罪……といった単語だけが、ひしめきあっていた。


 それでも俺は、取り乱しそうになる心をしずめながら、どうにか口を開き、

「犯人は、気がれた奴で、計画性も何もなさそうだった……と、そんな話も耳にしましたが」

「事件を起こす前日も、勘太はまともだった。くるってなんかいねえ。おそらく、狂った振りでもしたんだろう」

「なぜ……」

「さあな。もしかすると、根掘ねほ葉掘はほり聞かれたくなくて、早く終わらせてもらえるように、そうしたのかもしれねえ」

 権八の口調は、どこまでも淡々としている。冷酷れいこくなわけではなく、単に勘太が選んだ道を尊重そんちょうしているような、そんな感じだった。


 横で聞いていた蓮華が、不思議そうに権八に、

「勘太が誰かにうらみを持ってるような様子なんて、なかったと思うけど。それに殺した相手って、武家の人間でしょ? そんな人と勘太が、どんな関わりがあったの?」

「そこまでは分からねえ。所詮しょせん、人の心なんか他人には、うかがい知れねえもんだ。あいつなりの理由があったんだろう」

 二人がそんなことを語っているかたわらで、俺はただただ、呆然ぼうぜんと立ちくしていた。

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