第10話 画策

 兵衛尉ひょうえのじょう様との共寝ともねで異変に気づいた後、しばらくしてから。

 風邪かぜを引いて寝付いたことがあった。


 幼児期をだっして以降の俺は、体調をくずすこと自体が滅多めったになかった。それもあって、あんじた母親はずっと枕元まくらもとについていようとしたのだが――俺はえきれず、寝所しんじょを出ていってくれるようたのんだ。

「私ももう、子供ではありませんから。重病ならまだしも、これしきで親に時間をかせては申し訳なくて、かえってゆっくり寝ていられません。一人で大丈夫です。寝てさえいれば治るのは、自分で分かりますから」

 寝床ねどこで横になったまま、苦笑しつつそう説得すると、母親はようやく納得なっとくし、

「そうまで言うなら、そうしましょう。ちゃんと休んで、何かあったら、すぐに人を呼ぶのですよ」

 と言い置いて、寝所から去っていった。


 母親の気配が消えると、俺はほっと息をついた。

 胸苦むなぐるしさが一気に消え、しばっていたひもがほどけたかのごとく、体が弛緩しかんする。

 つい先ほどまで、手がふるえていたのは――決して、風邪による悪寒おかんのせいではない。


 眠っている時に、寝所のほうへ人がやって来て、それで目が覚めたこともある。

 人が来たと言っても、寝所の中まで入ってきたわけではなく、部屋の前を通りかかっただけだし、足音も立てていなかった。以前なら、あれぐらい離れていたら、そのまま寝ていたはずだ。

 人の気配がある所では、眠れない――そう確信せざるを得なかった。


 起きている時は、何の問題もないのだ。どれほど人がいようと、おそろしいとは思わない。

 それは俺が元々、常に周囲の人の様子に注意を払う性質たちだからかもしれない。おかしな奴がいても、対処できる自信がそれなりにある。

 だが、休もう、眠ろうとする、無防備な時――気配に対する感覚が、急激に鋭敏えいびんになるのだ。


 原因など、一つしか思い当たらない。豊九郎とよくろう殿におそわれたあの時の記憶が、体にこんな反応を起こさせているのだろう。

 兵衛尉様に「泊っていけ」と求められても、お断りするようになった。父親が俺の行動をあやしんでいるからと、言い訳して。さすがに、あんな失態しったいはもうおかせない。


 誰もいない寝所で、俺は悠々ゆうゆうと寝返りを打ち、全身の力を抜いた。

 つい先ほどまでは、眠りたがっている自分の心身と、母親の気配とが反発しあって、休むどころか、何かに圧迫あっぱくされているようだった。

 眠る時に一人になれさえすれば、何の問題もないのだ。人がいる状況を徹底てっていしてける――そう難しいことではないだろう。

 俺は、ねつっぽい体を回復させるため、だるさに身をまかせて眠った。




 その数日後。

 すっかり風邪の治った俺は、父親と母親が部屋で話し込んでいるのを偶然ぐうぜん、耳にしてしまった。


 父親が、やや重々しい口調で、

「そろそろ、鷹一郎よういちろう嫁取よめとりをどうするかも考えねばならんな」

 と切り出したのに対して、母親は、

「確かに、鷹一郎ももう十七になりましたが……それでも、さすがにまだ早いのでは?」

 と疑問をていしたのだが、父親はその反応を予想していたかのように、きっぱりと、

「いやいや。生まれた子が一年とたたずにくなることも珍しくないのに、今まで大病もせずすこやかでいられただけでも、幸運だ。それがこの先も長く続く保証などないし、人生は何が起きるか分からん。悠長ゆうちょうかまえていては後悔こうかいする」

「まあ、私も、少しでも早く孫の顔が見られたほうが安心ですが。七見家ななみけ安泰あんたいは、私にされた使命でもありますし」

「そうだろう? それに、選んだ嫁が実際に七見家で暮らしてみたら、どうにも合わない、などということがあっても、若いうちならいくらでもやり直しがきく。少しでも相性のいい嫁を見つけるためにも、早めに手を打ったほうがいい」

「言われてみれば、その通りですね。世間せけんでも、家風かふうに合わないから離縁りえん、なんていう話も、ちらほら聞きますし。武家の方々なら、もっと幼いうちに許婚いいなずけを決めてしまうこともあるんですから、さっそく探しはじめましょう」

 俺はそっと、その場を離れた。


 自分が妻をむかえて、ともに暮らしているところを想像してみた。

 まったく、ぴんと来ないのは――自分はまだ若いからとか、そんな理由ではない。

 もっと根本的に、それは無理だと、直感が告げている。

 どうするか――俺は深く、深く、息をついた。

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