第9話 不眠

 豊九郎とよくろう殿に鷲之江わしのえを立ち去らせてから、数日後。

 兵衛尉ひょうえのじょう様のもとへ参上したら、「泊っていけ」と勧められた。

 お断りする理由もなかったので、俺はいつものごとく、やかたへ泊めていただいた。実家へは使いの者を送り、「話がはずんで遅くなりそうなので今夜は戻らない」むねを伝えた上で。


 兵衛尉様は半月ほど前まで、兵をひきいて反乱の鎮圧ちんあつに出向いておられた。国衆くにしゅう――沙南さなみで古くから勢力を張っていた有力領主が、師澤家もろさわけ反旗はんきひるがえしたのだ。

 鎮圧が成功し、兵衛尉様は無事にお戻りになったものの、反乱の後始末あとしまつ奔走ほんそうしておられて、俺はお会いする機会すら得られないままだった。

 その後始末も片付き、ようやく心置きなく、また二人で時を過ごせるのだ――それを実感し、俺の心はいつも以上に浮き立っていた。

 そしていつものごとく、枕をわし――たところまでは問題なかった。


 まぐわいもてて、兵衛尉様の隣で眠って、朝が来れば実家へ戻って――のはずが、一向に眠気が訪れない。

 それどころか、眠ろうとすればするほど、手が小刻こきざみにふるえ、背筋せすじがぞくぞくする。

 胸がめ付けられるような感覚におそわれ、落ち着かない。

 医者の仕事と、兵衛尉様とのまじわりとで、体は軽い疲労感に包まれている。

 明日も人をなければいけないのだから、休まなければ――そう分かっていても、とてもではないが、眠れそうもなかった。


 やがて、兵衛尉様の隣にいること自体が、がたくなってきた。

 ここには、いたくない。いられない。どこか、もっと別の場所に――。

「……どうした? 眠れぬのか?」

 目を覚まされた兵衛尉様にそう問われて、はっとした。

 じっとしていられず、もぞもぞと動いたから、そのせいで起こしてしまったようだ。

 俺はあわてておび申し上げた。

「申し訳ありません。疲れているのか、どうも気分がすぐれず……。少し風に当たってきてもよろしいですか?」

かまわん。好きにしろ。ここのところ、いそがしそうにしていたからな。無理もない」

「かたじけのう存じます」


 俺はそっととこを出て、縁側えんがわへ移動した。

 夜空を見上げると、月が皓々こうこうと照っている。それをながめつつ、つい先ほどまで寝ていた部屋から離れると――いつの間にか、手の震えが止まっていた。

 胸が締め付けられるような感覚もない。俺にのしかかっていたものが、すっかり消えせた――そう思いたくなるぐらい、心身が軽くなった。


 兵衛尉様そのものが、こわいわけでも嫌いなわけでもない。おしたいする気持ちは、前と何ら変わらない。

 では、先ほどまで俺に襲いかかっていたものは何か。

 答えは一つしか思いつかない――兵衛尉様の気配だ。

 いや。正確に言うなら、人の気配だろう。そばにいるのが兵衛尉様でなくても、あの状況なら――。


 俺は縁側にこしを下ろし、柱に体を預けた。

 あと数日で満月、という月は、ただ静かに空に浮かんでいる。その人為じんい超越ちょうえつしたかがやきに見守られていると、思わず安堵あんどのため息がれた。

 満ち足りたものだったはずの、兵衛尉様との共寝ともねで、なぜこんな逃げたくなるような苦痛に襲われるのか。原因は――。




 肩が軽くたたかれるとともに、

「おい。大丈夫か?」

 と呼びかけられている――ぼんやりとした頭でそれを感じ取り、俺はゆっくりと目を覚ました。

 俺のすぐ前にいて、呼びかけていたのは――兵衛尉様だった。

「よかった。具合が悪いわけではなさそうだな」

 兵衛尉様はそうおっしゃって、ほっとしておられる。


 俺は周囲を見回し、自分が縁側で寝ていたことをさとり――がばりと平伏へいふくした。

「申し訳ございません! このような無作法ぶさほうおかすとは、面目めんぼく次第しだいもございません!」

 俺の詫びに、兵衛尉様はおだやかに微笑ほほえまれ、

「疲れておったのだろう。そなたらしくもない失態しったいをしでかすぐらいだから。あまりこんめるな」

 となぐさめてくださったが――俺の心は、穏やかではなかった。

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