第5話 対立

「裏手」から自宅に戻ると、けわしい顔をした父親が待ちかまえていた。

 父親は俺を自室へ呼び、自分の正面に座らせた。そして前置きもなしで、いきなり、

「勝手なことをするな」

 と、すごみをかせた。

 治療のためには、家にある薬を使わざるを得ない。兵衛尉ひょうえのじょう様との逢瀬おうせと違って、こちらはいずれ気づかれるだろうと覚悟かくごしていたが――とうとう来たか。


 俺はおされるまいと、冷静さを保ったまま、はっきりと言い返した。

んでいる者がいたからて、治療した。それの何がいけないのですか?」

「私だけでなくおまえも、師澤家もろさわけにおつかえしているんだ。殿を始めとした師澤家の方々にくすことこそ本分」

「ご奉公も学びもおこたってはおりません。それに、領民の治療なのですから、ご領主様のためにもなるはずです」

「ならず者や乞食こじきなど、治療するにあたいせん! 七見家ななみけの格に傷がつく!」

 俺は白々しらじらとした気持ちになったが、顔には出さなかった。

 父親がこういう考え方の人なのは、薄々うすうす感じていたが――やはりそうか。


 せるのは、ほぼ不可能だろうな――何となくそう分かっていたが、俺は自分の思うところを述べた。

「貧しい者に慈善じぜんで治療を行なう医者は、いにしえの世からいます。特に、出家しゅっけの身で医術の心得こころえもある者には、そういう人物が多い」

「それは、善良な者が相応の事情があって困窮こんきゅうしているから、救っているんだろうが。あそこにいるのは、単に自堕落じだらくなだけの奴か、悪事を働くことしか考えんやからばかりだ」

「それでも、医術のうでを上げるには、彼らも診なくてはなりません」

 父親の視線が、するどさを増した。


 少しもひるまない俺に、父親は声をひくめて、

「なぜだ?」

「病が何に起因しているのかが、暮らしにゆとりのある方々とは異なっているからです。予想通り、食べ物や住処すみか劣悪れつあくさによるところが大きい。しかし不思議なことに、裕福な方に多い病が、あそこの住人には少ないという、逆の場合もあるのです」

 これは興味深いことです、と言いかけた俺を父親がさえぎり、

「もういい。そんな理由なら、診てやる必要はない。七見家は武家の方々をもっぱらに診るのだから、貧しい者の病など、知ったところで意味もない。すぐにやめろ――それと、おまえが他の流派りゅうはに足を運んでいる、という話も聞いたが?」

 と、さらに重々しい声で問いただしてきた。


 そっちも気づかれていたか――俺は、どうせ理解されないだろうと思い、わずらわしさをおぼえつつも、説明した。

「確かに、ご教授願えないかとたのみに行ったことは何度かありますが、ほとんどは断られました」

「当たり前だ。門弟もんていでないどころか、他の流派に属している者にわざわざ教える医者など、そうそういるはずがない。医術は相伝の財産のようなものなのだから」

「それでは医術そのものの発展はさまたげられ、いつまでたっても、今より多くの病人を治すことなど出来ません。様々な流派が持っている技術や知恵が合わさった時こそ、医術は大きく躍進やくしんし、治せる病も増える――私はそう確信しています」

 父親の目が、冷ややかなものに変わった。


 深々ふかぶかと息をついた父親は、それまでのきびしさや怒りを薄れさせ、どこか、あきらめのにじんだ口振りで、

「おまえは、うちの流派を守る気がないようだな。おまけに、私が教えたことだけでは不満だ、と」

「私は医者となり、病んだ者を治したい。ただそれだけです」

 父親はしばらくだまり込んでいたが、やがてぽつりと、冷淡な声で言った。

「……鷹一郎よういちろう。おまえに医術の才があるのは、私の子だからこそだと思っていたが。どうも、見込みが違ったようだな」

 その言葉に俺は、二重の意味を感じ取った。

 うちの跡取あととりとしてふさわしくない、という意味と。

 私の子ではない、という意味と。


 俺もまた、これまではあまり考えないようにしていたことを、強く意識した。

 俺の父親は、この人ではないのではないか、と。


 父親は姿勢を正し、厳然げんぜんとした眼差まなざしで、

「うちの流派を継ぎたいなら、貧民どもの治療をするのも、他流派から学ぶのもやめろ」

 と言い置いて、立ち上がり、部屋を出ていった。


 俺の中にもまた、父親へのあきらめが生まれつつあった。

 後戻りは出来ないし、しようとも思わなかった。

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