第3話 虚像

 十五になる頃には、父親の助手を務めることもなくなり、もっぱら一人で病人をるようになるとともに、重病人の治療をまかされることも増えた。

 それだけでなく、師澤家もろさわけの末の姫君である鴇姫ときひめ様の健康状態の確認や治療も、俺が行なうようになった。


 そして――師澤家の嫡男ちゃくなんである兵衛尉ひょうえのじょう様からお声がかかり、逢瀬おうせを重ねるようになった。

 もちろん、「仕方なく」などではない。兵衛尉様には以前から、ひかかれるものは感じていた。

 兵衛尉様は二十六のお若さだが、家臣からの信望しんぼうが厚く、殿も師澤家の後継者としてたのみにしておられる。おおらかで思いやりのある方だった。下の者に対しても、無理むり無体むたいなことはなさらない。


 医術の習得にはおこたりがないようにしていたし、兵衛尉様にも、「父が知ったら、殿にうったえてでも引き離そうとするかもしれません」とお伝えして、ご配慮はいりょいただいていたので、父親が気づいている様子はまったくなかった。

 そもそも父親は、色恋にはうとい。自分に縁のないものだからだ。

 根本的に異なる俺の変化に、たとえ何か感じ取ったところで、意味が分かるまい。




 そんなある日。

 のどが少し痛いと鴇姫様がおっしゃっている、という知らせが届いた。俺はさっそく守護所へ向かい、少し奥まった所にある、姫様がおられるやかたさんじた。

 一通り診て、安静にしていればじきに治る軽い症状だと分かり、薬の処方しょほうも終えて――その時、鴇姫様が俺にお聞きになった。

鷹一郎よういちろう。これからもずっと、私の具合が悪い時は、そなたが診に来てくれるのか?」

 まだ十歳の鴇姫様は、表情も話し方も、あどけない。まるで、俺が姫様と遊びに来たかのような、わくわくとした聞き方だった。

 かたわらには姫様の母君ははぎみが付きっておられたのだが、ちょっと困ったように苦笑しておられる。


 俺は軽く微笑ほほえんでお答えした。

「はい。父から姫様のお体のことを一任いちにんされましたから。この先も、何事もなければ私が参上いたします」

「そうか。それはよかった。私はそなたの父の柊斎しゅうさいより、そなたのほうがよい」

 邪気のない姫様の言葉に、母君がやんわりと、

「これ。人をり好みなどするものではありません」

 と、たしなめられた。


 俺は、姫様のおっしゃったことが何となく引っかかり、

「なぜ、私のほうがよいとお思いになるのですか?」

 と、お聞きしてみた。

 姫様は、なおも無邪気におっしゃった。

「そなたの父はこわい。顔も、話し方も」

 その場に、冷ややかな空気が流れた。


 母君も、姫様の側仕そばづかえの侍女じじょも、顔を強張こわばらせておられる。母君はあわてて、

「これ。そのようなことを言うものでは……」

「いえ、よろしいのですよ。私は気にしておりませんし、父に告げる気もありませんから」

 俺が笑顔でそうお伝えすると、母君は申し訳なさそうにしておられた。

 俺は姫様に、

「姫様は、やさしい顔で、やさしく話してほしいのですね」

「もちろん。だから、そなたのほうがよい。そなたの父が来ていた時は、早く終わってほしいから、言われたことにも適当にうなずいていた。だが、そなたは違う。もっとそなたの話を聞きたいし、私もいろいろ話したい」

 素直すなおすぎるほど素直な姫様の言葉に――俺は内心で、愕然がくぜんとした。


「適当にうなずいていた」ということは――姫様は俺の父親に、診察や話が早く終わりそうな無難ぶなんなことしかおっしゃらなかったのだろう。本心など告げずに。

 その程度のいい加減な問診もんしんにもとづいた治療でも、特段の不具合ふぐあいが起きなかったのは、たまたま姫様が大したやまいにかかられなかったからというだけの話だ。つまり、運がよかったに過ぎない。

 もしも父親が、姫様の言葉を信じて病の見立てをあやまっていたらと思うと、背筋せすじが寒くなる。


 俺は、父親の診察の様子を思い返した。

 威厳いげんがあると言えば聞こえはいいが、それは人によっては、威圧感でしかない。

 おまけに、父親はうえかたにも割ときっぱりと意見していた。「そのようなことをしていては、病は治りません」「今すぐ酒をたねば命をちぢめます」という感じで。

 大人の武家の男からは、「たよりがいがある」と思われているようだったが――誰もがそう思うわけではない、ということか。


 俺は姫様に、

「そうですか。姫様が私をそのように思ってくださること、恐悦きょうえつ至極しごくにございます。今後も何かあれば私が参りますので、遠慮えんりょなくお呼びください」

 と申し上げて、その場を後にした。




 家に帰るまでの間、俺の頭には父親のことばかりが浮かんでいた。

 七見家ななみけいだ後の父親は、医術で大きな失態しったいはしていないはずだが――それもたまたま、運がよかっただけかもしれない。

 あるいは、実際には見落としや誤りがあって、本来なら治せた病人を「治る見込みがない」と判断していた可能性も、ないわけではない。


 親としてだけでなく、師匠ししょうとしてもそれなりに尊敬していた父親の像が、一気にくずれ去った。


 あんなやり方では――治せない。

 俺の胸の奥深くで、小さな炎が静かに、だが確かに燃えていた。

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