第2話 恋心

 おれが初めて人に恋心を抱いたのは、十一歳になった頃だった。

 相手は、父親の門弟もんていの一人――つまり、俺にとっては兄弟子あにでしだった。

 洲堂すどう六郎ろくろうという名のその兄弟子は、酒や娯楽ごらくにかまけることもなく、ひたむきに学んでいた。それでいて、誰に対しても温和に振る舞っていて、俺にも優しかった。

 俺は、もっとこの人に近づきたい、追いつきたいと思った。それで、よりいっそう意欲を持って医術を学んだ。

 子供らしい遊びには脇目わきめも振らず、学んで、学んで――学んでいたら。

 いつの間にか、六郎殿を追い越してしまった。


 俺の医術の腕が六郎殿より上なのが、六郎殿本人や他の兄弟子にも薄々うすうす分かり始めた頃から、次第しだいに状況が変わった。

 六郎殿の態度たいどが、冷たくなったのだ。

 俺は、何が起きたのか分からなかった。

 分からないまま、それでも懸命けんめいに笑顔で六郎殿に話しかけたが、つっけんどんな反応しか返ってこない。医術に関することをたずねても、冷淡れいたんな目で「他の奴に聞け」と言われるばかりだった。


 そんな俺たちの様子をはたで見ていた別の兄弟子が、そっと俺に言ってくれた。

「子供に負けたもんだから、自尊心じそんしんが傷ついて、あんな態度を取ってるんだろう。気にするな」

 俺は六郎殿ときそったつもりも負かしたつもりもないんだが――戸惑とまどう俺に、兄弟子が言った。

「どんな分野でも、同じ道に進んだ他人と比べて自分が上か下かは、気になるもんだ。特に六郎は、家格かかくはそれほど高くないとはいえ、武家のだからな。はじを嫌うし、ほこりや名誉めいよが重要なんだろう」


 そういうものなのだと、俺は理解した。

 理解はしたが――六郎殿への気持ちは、急速にしぼんでしまった。

 なんだ。こんな人だったのか。

 六郎殿が、少しも特別には見えなくなった。

 それまでは、俺よりもずっと大きく、立派りっぱな人に見えていたのに――小さな人に見えた。


 こうして、俺の初めての恋は終わった。




 やがて俺は段々と、父親の助手としてではなく、一人で病人をに行くようになった。十三の頃だった。

 と言っても、重病人や急病人を診るのはやはり父親だ。俺は軽い症状のかたや、日常の健康状態の確認をまかせてもらっただけだった。


 俺のそばから父親の目がなくなった途端とたんやまいのこと以外で声をかけてくる方が増えた。

 仮病けびょうを使って呼びつける方まで出てきた。老若男女を問わず。

 俺と仲になりたいと思っておられるのだということは、じきに分かった。

 ほどなくして、はっきりと自分の熱い思いを語ってくる方や、俺とちぎりを結びたいむねを明確に伝えてくる方も現れた。

 そのほとんどは、師澤家もろさわけに武士としてお仕えしておられる方たちだ。俺と最も年の近い方でも七つ上で、すでに妻をむかえておられる方も少なくなかった。


 俺はどれも、かたぱしから断った。

 断られると、みんな一様いちように「なぜだ」と問い詰めてきた。

 同じように望む方が他に何人もいることや、父親がきびしいことを、弱り切った顔で涙ながらに伝えると、大半の方がすんなり引き下がってくださった。完全にあきらめたわけではないようだったが。

 俺に無理をいれば、ほぼ確実に他の男たちから報復される。何より、どうにかして思いをげても、父親の柊斎しゅうさい殿との――右衛門督うえもんのかみ様にうったえでもしたらことだ。そんな計算が働いているのだろう。

 実際、父親は俺が医術以外のことにかまけるのをきらうし、誰もがそれを知っている。だから話は早かった。


 俺と同じ年頃の武家の子供だったら、同じようにはいかないのではないだろうか。

 断ること自体が難しいに違いない。引き下がってもらえそうな理由がないからというだけでなく、上の人間に物申ものもうせる胆力たんりょくのある子供など、そう多くはないから。

 そして、本当に断ったら――どんな目にあうか分からない。


 俺も、色恋に興味がないわけではなかったが、これでいい。

 誰か一人だけを選べば、血みどろの争いが起きるのが目に見えている。そんなものは望んでいないし、巻き込まれでもしたら、かなわない。

 俺がそういう仲になるしたら、誰も逆らえないような立場の方でなければ無理だろうな――漠然ばくぜんと、そんなことを思っていた。


 それに、どの方も、ある程度接していると、ふっと――なんだ、こんな方だったのか、と気づかされるのだ。

 自分の姉や妹に、

「女の分際ぶんざいで、差し出がましい口をきくな!」

 とののしっていたり。

 家臣に、

「遅い! もっと早く出来んのか!」

 と怒鳴どなりつけていたり。

 身分の低い者を見下みくだしていたり。

 同輩どうはいねたんで足を引っ張っていたり。

 そんな姿を垣間かいま見ると、気持ちがすっと冷えて、何の魅力みりょくも感じなくなる。


 そういうわけで、俺は誰に望まれても応じないまま、月日を過ごした。




 ある日。

 守護所へ行って蔵書ぞうしょをお借りし、あとは一人で大丈夫なのでと案内もお断りして、廊下ろうかを歩いていると――。

 まだ元服げんぷくを済ませていない、俺と年の変わらなさそうな少年が、このやかた端女はしためおぼしき娘に何か熱心に話しているのが、目に留まった。


 二人は庭にある蔵のかげに身をかくすようにして話していたのだが、少年は感情が高ぶったのか、声がやや大きくなっていた。俺が気づいたのは、そのためだ。

 あの少年は確か福王丸ふくおうまるという名で、師澤家もろさわけの三男の彦五郎ひこごろう様におつかえしているはず。

 俺ほどではないが、整った見目みめだ。大人の男の精悍せいかんさがわずかに垣間かいま見えるものの、まだまだ幼さのほうが勝っていた。

 そして、彦五郎様とは仲だと、話に聞いたが――。

 俺は、何となく不穏ふおんな予感がし、廊下の陰で気配をひそめ、耳をそばだてた。


 福王丸は娘に、

「私が真におもう相手は後にも先にも、そなただけだ。いずれ立身りっしん出世しゅっせしたあかつきには、そなたを妻にむかえる。彦五郎様も、その頃には私になどきてくださっているはずだ」

 と、切々せつせつと訴えている。

 娘はうれしさと困惑こんわくが入り混じった顔で、

「うれしゅうございますが……私とあなた様とでは、身分が違います。妻になどとは……」

「それは……確かに、親や周りの者が許してくれないかもしれん。しかし、側室としてなら何とかなるはずだ。父上にたのみ込んで、認めていただく。ここに約束する。私には、そなた以外の相手など考えられん」

 福王丸の力強い言葉に、娘は涙ぐみながら答えた。

「……はい。お待ちしております」

 俺はそっと、その場を離れた。


 廊下の途中で、福王丸とは別の少年が、急ぎ足でどこかへ向かうのがちらりと目に入った。

 あの少年もまた、彦五郎様の側近くに仕えている一人のはずだ。




 それから五日後。

 福王丸が彦五郎様に手討てうちにされたという話が伝わってきた。

 理由は、福王丸が彦五郎様を毒殺しようとしたから、とのことだった。

 だが、不審な点がある。

 福王丸がどこからどうやって毒を手に入れたのかが、まったく分からないのだ。

 さらに、福王丸自身には、毒に関する知識はほとんどなかったらしい。

 協力者がいるのなら、さがし出してらえねばならないが――彦五郎様は大して捜しもしないうちに、分からなかったという結論で終わらせてしまわれた。


 福王丸と話していた娘は、いつの間にか館から姿を消していた。

 自分からいとまいして実家に戻ったという話もあれば、上の人間からひまを出されたという話もある。


 何が本当なのかは分からない。

 彦五郎さまご本人にお聞きしても、おそらく、本当のことなどおっしゃらないだろう。

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