――奇獣流転前日譚―― その魚は水を求める

里内和也

第1話 生誕

 物心ものごころがついた時には、毎日のように父親から医術の知識を教え込まれていた。

 自分は将来、父親のあといで医者になる。そのために学んでいるのだと分かっていて、何の疑問も抱いていなかった。

 教わったことは少しの抵抗もなく、すんなりとおれの中に吸収され、血肉ちにくの一部となる。そんな感覚があったから、医術そのものが俺にとって当たり前の存在だった。

 どんどん医術を習得していく俺を見て、父親――七見ななみ柊斎しゅうさいは、うれしそうに、

「よしよし。さすがは我が息子だ、鷹一郎よういちろう

 と、ほめる。俺はそれがうれしいから、さらに医術の習得に精を出す――そのり返しだった。


 父親は病人をに行くさいに、俺を同行させた。確か、俺が七歳になった頃からだ。

 七見家は代々医者として続く家系だが、同時に、武家の師澤家もろさわけにおつかえしていた。

 師澤家は幕府から沙南国さなみのくに守護しゅごに任じられ、広大な領域を支配下に置いておられる。その支配の拠点となる守護所が、沙南の南部に位置する鷲之江わしのえのしょうにあり、七見家も守護所に近くに、小規模ながら屋敷を構えていた。

 そんな身の上なので、診に行く先も多くは武家だった。

 中でも、門弟もんていにまかせずに当主である父親が診ていたのは、師澤家のご当主の右衛門督うえもんのかみ様や、その奥方おくがた若君わかぎみ姫君ひめぎみ、あるいは重臣のかたが中心だ。

 そういったお歴々れきれきを父親が診察する様子を、俺はそばで見、時に治療の補助をして学んだ。


 医術を身につけるのも、書物を読んだり話を聞いたりするだけでは限界がある。父親は実地で学ぶ重要性を考えて同行させたのだが、さすがに行く先々でおどろかれた。こんな幼いうちから、と。

 そのたびに父親は、

「私の目の黒いうちに、我が流派の跡を継ぐにる腕に育てねばなりませんから。悠長ゆうちょうなことは言っていられません」

 と説明していた。

 それを聞くと、大抵たいていの人は納得なっとくするのだが――俺の幼さに対してとはまた別の好奇の目が、俺の顔に向けられた。


 好奇の目は、俺が成長するにつれて強くなった。そして、かげでひそひそ話しているのが耳に入ったことも、何度かある。

「本当に親子なのか?」

「養子ではないのか?」

 そう言われる理由は、俺も分かっていた。

 父親とは、顔立ちがまるで似ていないのだ。

 父親だけではない。母親もまた、似ているとは言いがたかった。

 祖父母にすら、似ていないらしい。


 俺の容姿ようしは、明らかに整っていた。そこらの役者なんかより、はるかに。成長すればするほど、それがはっきりした。

 では、両親はと言えば――どう見ても、なみ以下だった。

 のみならず、顔の輪郭りんかくや目元などを比べても、似通にかよっている部分がない。

 血のつながった親子に見えないのだと気づくのに、そう時間はかからなかった。


 俺でも、こんな「親子」がいたら――養子ではないかと疑いを抱くだろう。

 不躾ぶしつけな視線や心ない言葉に、父親は苛立いらだちや不快感をあらわにしていた。

 だが、父親も母親も、俺に何の説明もしてこない。本当は血がつながってないとも、おまえは確かに実の子だとも。

 俺が血のつながりに疑問を抱いている素振そぶりを見せたら、おそらく父親の機嫌きげんそこねる。それが何となく分かっていたから、俺は気に留めてない振りをした。




 父親と母親の間に俺が生まれるまでの経緯けいいは、兄弟子あにでしを始めとした周囲の人間がいろいろと教えてくれた。

 それによって俺は、自分の立場や、両親にとって俺がどんな存在なのかを理解した。


 俺の父親である七見柊斎は、七見家の当主だが、いわゆる婿むこだ。先代である、今はき祖父の血を継いでいるのは、母親のほうだった。

 祖父の子供は、俺の母親――七見ななみせつ一人しかいなかった。それもあって、祖父は門弟の中から優秀な者――柊斎を婿にむかえて後を継がせた。


 うちの家に限らず、医者は実の子ではなく、門弟に後を継がせることが割とある。

 医者という仕事自体が、一定以上の医術の腕を必須ひっすとするからだ。そして腕の良し悪しが世間せけんの評判を左右し、それが一門の盛衰せいすいにも影響する。

 出来れば実子に継がせたいという気持ちも、ないわけではないだろう。

 だがそれよりも、己の流派の維持いじ繁栄はんえいが優先されるから、折衷策せっちゅうさくとして門弟を養子や入り婿にする場合が少なくない。


 武家ならば、当主が才覚にとぼしくても、優秀な家臣などが支えれば家をかたむかせなくて済む。医者はそうはいかない。

 七見家は武家に仕えているが、そういった点では考え方が根本的に違うと、武家の方々に接しているうちに段々と気がついた。

 それでいて、庶民しょみんを相手にしている医者ともどこか違うのも、俺は薄々うすうす感じていた。


 父親と母親が縁組えんぐみしてから一年とたたないうちに、祖父は亡くなったらしい。

 祖母も、当時すでに亡くなっていた。祖父が三十代なかばの時に母親が生まれているので、祖父も祖母も、若死にとは言えない年齢ではあったが。

 両の親が亡くなったのだから、家は婿の柊斎が大手おおでを振って切り盛りし、家付いえつき娘である節はそれに従う――かと周囲から思われていたが、そうはならなかった。


 母親は気丈夫きじょうぶで、か弱さとは無縁だった。

 おまけに、縁組した後も自分の夫を「うちの門弟」として見ているようなところがあった。

 そのため、家のことに関しては、母親は祖父の代わりのようにあれこれと積極的に意見していたという。

 それでも、父親と母親はむつまじく、協力し合って家を盛り立てていた――最初のうちは。


 二人がぎくしゃくするようになったのは、子が一向に出来なかったからだ。

 縁組して二年たち、三年たち――それでも懐妊かいにんきざしがまったくないため、父親はあせり始めた。

 跡取りをどうするかが問題になってくるから、というだけではない。子が出来さえすれば、七見家の入り婿である己の立場がもっと確かなものになる、と目算もくさんしていたのだろう。それが、もろくもくずれようとしていた。

 そんな父親に、母親の一言が追い打ちをかけた。

「別の婿を迎えたほうがいいかしら」

 父親と母親の間に、深い亀裂きれつが入った。


 その後の二人は、対立と和解のかえしだったそうだ。

 形だけの夫婦のように見える時もあれば、なごやかに会話しているのを見かけることもあったと、兄弟子の一人は語っていた。

 そうして、跡取りのことを棚上たなあげしたまま数年が過ぎた、ある日――母親が懐妊した。


 神仏の姿でも見たかのごとく、父親は有頂天うちょうてんになった。

 周囲の人間も、奇跡的なことだと驚き、喜び、祝った。

 母親は順調に臨月りんげつを迎え――俺が生まれた。


 生まれたのが男子だったことを、父親は喜んだ。

 それのみならず、うまくすれば我が子に跡を継がせることが出来ると思い、早々に医術を教え始めた。

 俺が利発りはつさや物覚ものおぼえのよさを見せるたびに、父親は「自分の血を引いているからだ」と感じていたに違いない。

 だが、俺と向き合って医術を教えることは――自分と似ていない容姿をの当たりにすることでもある。

 父親の胸中きょうちゅうは、あっちへこっちへと大きくれ動いている――そう気づいた俺は、何も言わずにただ、ひたむきに医術を学んだ。

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