日常怪談

つきかげ

第1話 ラーメン屋にて

 ラーメン屋に行った。

 カウンター席に案内されると、隣の席には、80過ぎくらいのおじいさんが座っていた。


 ここのラーメンは長い時間をかけて煮出したとんこつの匂いが強烈で、さらにスープの表面がガラスみたいな厚いラードの層で覆われているのが特徴だ。

 そういうわけで、人気店であるものの、万人に受け入れられる味ではなかった。好きな人には強烈に刺さる感じだ。


 おじいさんの目の前には、すでにラーメンが置かれていた。

 よく見ると、スープを吸い込みすぎた麺はすっかりぶよぶよになっていて、かなりの時間が経過しているのがわかる。おじいさんの好みに合わなかったのかもしれない。

 彼はもはや少しも箸を動かすことはなく、カウンターの上に用意されたつまようじで、ずっと歯の間を掃除していた。


 やがてぼくが注文したラーメンが運ばれてきた。

 おじいさんは相変わらず眼の前のどんぶりに手をつけることなく、ただ黙々とつまようじで歯の間を掃除していた。


 ぼくが食べているあいだ、おじいさんはやはり目の前の伸び切ったラーメンに目を向けることなく、つまようじで歯の間を掃除していた。時々、セルフサービスの水に口をつけたりしながら。


 人気店らしく店内はたいへん混雑していて、順番待ちの客が数多く並んでいたが、店員もほかの客も、誰ひとりそのおじいさんに注意を向けることはない。


 当然、ぼくもおじいさんになにか話しかけたりすることはない。


 やがてぼくは完食して、スープまで全部飲みきって店を出た。


 おじいさんは相変わらず、歯の間を掃除していた。


 もしかすると、おじいさんの姿はみんなに見えていなかったのではないだろうか。


 そう思うと、なんだか悲しみに似た感情が胸に湧いてきた。

 どうしてだろう。

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日常怪談 つきかげ @serpentium

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