(十)興世王と源経基

「貞盛の行方が知れましたぞ。昨夜、郎党四十騎ほどに護られて常陸を立ち、碓氷峠を超えて京に向かったとのこと」

弟の将平が駆け込んできた。

承平八年(938)二月、常陸掾を継いでいた平貞盛は、坂東に身の置き所が無くなり

東山道を京へと向かう。貞盛としてはここらで坂東の争いとは距離を置き、自らは

都での出世に専念しようと考えていた。

「何としても貞盛を捕縛せよ」

   ・・・・・ 彼奴のことだ、京に戻れば再び有ること無いこと撒き散らすに

   違いない

貞盛の讒訴を恐れた将門は百騎を率いてこれを追撃する。


「何ぃ、将門が追ってきただと」

「はい。昨日は佐久高原から小県ちいさがた辺りを捜索していたとの報せがございました」

「彼奴に追いつかれてはこの身の終わりじゃ。急ぎ善光寺平を抜けようぞ」

貞盛らが信濃国千曲川の畔にさしかかった時、不運にも将門と遭遇してしまう。

「これはいかん、あの者どもをくい止めよ」

矢戦が始まる中、貞盛は浅瀬を探して千曲川の中へと駆け入った。

貞盛に気付いた将門が鬼の形相で迫ってくる。味方の多くが討たれるも、貞盛は

命からがら山中に逃げ込んで何とか追撃をかわした。


承平八年(938)太政大臣・藤原忠平の治世下、京に大地震が発生した。

厄災を祓うため『天慶』と改元がなされる。

飢饉が起こり徴税の減少に苦しむ朝廷は国司の取り立てに拍車をかけるため、朝廷に収めた残りの稲穀は各々の蓄財として認める旨の方針を打ち出した。

武蔵国では、新たに赴任してきた権守ごんのかみ興世王おきよおうや介・源経基が、在地の豪族である足立郡司の武蔵武芝と税を巡って争っていた。

「早々に税の取り立てを行うとしよう」

興世王は着任早々、源経基に検注を実施するよう求めた。検中とは徴税のための土地調査のことである。

「正官の国守が着任するのを待つべきかと」

経基は躊躇する。

「来てからでは遅い。その前に我々で余った米を頂こうではないか」

権守とは国守が任命されるまでの仮の権官のこと、興世王は国守が着任する前に自ら徴税を行って私腹を肥やそうと企んでいた。


「慣例では、国司着任前には検注を行わないことになっているはず」

武蔵武芝が異議を申し立てると、興世王と経基は兵を繰り出して武芝の郡家を襲撃し略奪を行う。

「権守らが軍兵を率いて不動倉の稲穀を略奪した」

天慶二年(939)二月、山野に逃走していた武芝が将門に助けを求めてきた。

不動倉とは租として徴収された稲穀が正倉に満杯となった時、飢饉などに備えて貯蔵しておく倉のことである。

「興世王と経基の行為は、未だ噴火の弊害に苦しむ百姓平民の生活を損なうもので

ある」

将門は武芝の訴えに応じて紛争の平定に乗り出した。


「えらいことになった。将門と武芝が軍勢を率いて国府に向かってくるらしい」

武蔵国府に衝撃が走る。この頃には将門は、下総一国のみならず、坂東の棟梁をも

自認しつつあった。

「将門はめっぽう戦に強いと聞くぞ。残忍な男でな、捕まると八つ裂きにされる

そうじゃ」

「まずは館に籠って奴らの出方を見るとしよう」

経基らは妻子を伴い、武装して比企郡の狭服山へ立て籠もった。経基の館は荒川の

東岸、北西に向かって突き出した台地に位置しており、高い土塁と深い堀で周りを

囲まれた要害である。


「将門より書状が届いた。和睦の調停をしたいので国府に来られたし、とのこと

じゃ」

興世王が経基に書状を手渡した。

「和睦とあらば、国守(興世王)が行かれぬわけにはまいりますまい」

それに軽く目を通すと、経基は冷たく書状を突き返す。

「其方は行かぬつもりか」

興世王が経基を睨みつける。

「私はここに残って万一に備えまする。二人雁首揃えて出向くよりは、その方が宜しいかと」

   ・・・・・ 元々は貴様の強欲が招いたことではないか。こんな奴の巻き添え

   など真っ平御免じゃ

経基には不満があった。自らは清和天皇の第六皇子・貞純親王の子でありながら、

臣籍降下させられて桓武天皇より三世以遠の興世王などの配下に置かれるとは屈辱

以外の何物でもない。

「万一とは何のことか」

「万一とは万に一つのこと、予測などできませぬ。事に合わせて対処致す所存にござ

いまする」

経基は我関せずといった風でそっぽを向いた。


武蔵国府では将門が興世王と武芝、双方の言い分を聞いて何とか和解に至らせ、和睦の酒宴を開いていた。

この時、山に籠った経基に不信を抱いた武蔵武芝の兵が狭服山の館を囲んだ。

経基が酒宴の席にいる将門や主の武芝を襲撃するのではないか、との懸念を抱いた

ためである。

一方、狭服山の館では、

   ・・・・・ 興世王の奴、将門や武芝をたぶらかして儂を襲ってきたに違いない

小心者の経基は、館を放棄して一目散に京へと逃げ帰った。

「将門が興世王や武芝と共謀して謀反を企てている」

京に戻った経基は鼻息も荒く朝廷に訴え出る。

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