(六)貞盛の泣きどころ

「良正より戦を求める書状が届いた。戦いの場所は常陸と下総の境、絹川(鬼怒川)沿いの川曲村かわむらとのことじゃ」

決戦状は平安時代の戦の常法である。

川曲村では将門軍と良正率いる常陸軍の間で激しい戦闘が展開された。下総の騎馬隊は騎射に優れ、将門の指示のもと良く統制も取れている。良正軍は六十騎以上を討ち取られ、敗走を余儀なくされた。

この一連の騒動で常陸源氏の威光は地に落ち、平将門の武名は坂東全域で一気に高まっていく。


「良兼兄、将門をこのまま放っておいて良いのか」

良正は上総国の良兼の館を訪ねていた。

「そうは言っても、此度の騒動は常陸と下総の領地争いであろう」

「兄者、そのようなことを申されては困りますな。国香兄が亡くなった今、良兼兄が我ら平一族の棟梁でございますぞ」

   ・・・・・ 将門は強い。良兼兄の加勢なくしては、とても単独で太刀打ち

   できる相手ではない

良正は何とか良兼を引きずり込もうと必死である。

「領地争いは私怨じゃ。私怨による戦は禁じられておる。我らが乗り出す理由が無いではないか」

良兼は温厚な性格で、戦はあまり好まない。

「では、国香兄の無念をお晴らしなされぬおつもりか」

「私からもお願い致します。将門は桔梗を奪っていった憎い男ではありませぬか」

この時、傍に控えていた良兼の妻が口を挟んだ。良兼の妻は源護の娘である。


良兼も娘を奪われた時には腹も立てた。しかし今では、幸せに暮らしているなら将門と戦うほどのことでもないと思っている。

「もしあなたがお立ちにならないのであれば、どうぞ私を離縁して下さいませ。年老いた父の傍で世話をしてやりとう存じます」

妻は源家の威光を傘に着て、気に入らないことがあれば高飛車な物言いをする。

「何も、捨て置くとは申しておらぬ。しばし待て、儂に考えがある」

「考え、とは」

良正がにじり寄る。

「うむ。国香兄が亡くなったと聞けば、息子の貞盛が京から戻って来よう。父の仇を討つ戦であれば大儀が立つというものじゃ」

「なるほど、さすがは良兼兄じゃ。では貞盛が戻れば直ぐに出陣できるよう準備しておきまする」

良正は足取りも軽く常陸へと戻っていった。


国香の死は貞盛のところへも届けられた。

貞盛は京で右大臣・藤原定方に仕え、その縁者の婿となって左馬允さまのじょうの役職に就いていた。上司や同僚から悔やみの言葉は頂戴するものの、父・国香についてはあまり良い評判は聞かない。当時、坂東の国司は道理も無く権力を振り回していたため、領民の多くは将門の方を支持していた。

「父上の死は残念なことであったが、これは常陸における源家と平真樹の争いに巻き込まれたものと理解している。よって将門殿を恨みに思うことはなく、貴殿は坂東で私は京で、共に手を携えて平一族を繁栄に導いていこうではないか」

坂東に下向するにあたり、無益な争いが生じぬよう貞盛は将門に和睦の書状を送っていた。貞盛はさすがに都で出世を遂げていただけのことはあって、坂東武者とは異なり公家的な思考の持ち主であった。


「お前が戻って来るのを待っておったぞ。良兼兄と相談して、将門を討つ段取りを

整えていたどころじゃ」

良正が意気込む。葬儀が終わり、将門を除く平の一族が集まっていた。

「お待ちください、叔父上。私は将門と争うつもりなどございませぬ。既に将門にもその旨の文を送っております」

「な、な、何と・・・」

思いもかけぬ貞盛の返答に良正は言葉を失う。

「お前は父の仇を討たぬと申すのか」

「私の聞き及ぶところでは、此度の戦は源扶ら常陸源氏と下総の平真樹の領地争い、

父上はその煽りを受けたものと理解しております。将門については、叔父上たちが

少しやり過ぎたのでは・・・」

貞盛が小さくため息を吐いた。

「何を言う、坂東武者の風上にも置けぬ奴。もう良い。将門如き、儂一人でも首を

搔き切って国香兄の墓前に備えてくれるわ」

痛いところを突かれて良正が平静を失う。


「良正、落ち着け。貞盛は話せば解る男じゃ」

いきり立つ良正を制して、良兼が訥々と語り始める。

「儂もな、一族の中で争うことは良いとは思っておらぬ。しかしな、国香兄が亡く

なって、儂はしかたなく一族を率いる立場になってしもうた。そこで難しい問題に

出くわした時にはな、国香兄ならどうするかを考えるようにしておる」

父を偲ぶ良兼の話に、思わず貞盛も引き込まれる。

「此度のことでもな、国香兄なら如何されるであろう。もし身内を殺されて何もで

きぬようなら、周りの国衆は今まで通り我らに従うであろうか。坂東における我ら

の権威は地に落ちてしまうに違いない。お前の父上もな、そういう重荷を背負って

一族を率いて参られたのであろうよ」

父のことをそのように讃えられては、貞盛には返す言葉が無い。

「それにな、お前も京で官位を賜り、いずれは国司として坂東に戻って来るであろう。その時に、父の仇も討てぬ腰抜けと侮られては、坂東の荒くれ者を治めること

などできるはずもあるまい」

「・・・・・」

温厚な良兼に諄々と諭されて、貞盛は首を縦に振るしかなかった。

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