王子様がやってくる? 〜無形の身体

 昼下がりの自室で、俺は数冊の恋愛漫画をディジーに見せていた。トラブルの元になった「恋のガーベラ」は、あの後すぐに読み終えて、数日は読み返しながらお互いに感想を言い合った。内容に特別さを感じることはなかったが、ディジーの満足いくものではあったらしい。

 本を読む時は、考え事をするにはうってつけの時間だ。ちゃんと本を見ておかないと感想が言えずディジーに怒られてしまうので、一応目を通してはいる。が、それでも俺は俺のことを考える必要がある。


 あの日、少しの時間だが町へ散歩に出かけ、様々なことがわかった。ジーナの花占いは遺物を用いたものというのもあって、かなり的を得ている。俺は既に過去の存在で、現代にとっての異物……なぜここに存在しているのか、いささか疑問ではある。もちろん、すべてに意味を求めているわけじゃないが、こうして起きた事象について、どうしても答えが欲しくなってしまう。気が抜けていたのか、ふうん、と声が漏れた。


 あら、何か気になる描写でもあった? 確かにこの主人公は意志がちょっと弱いけど、グイグイ来る世間知らずのお兄さんとの組み合わせは――


 だあもう、漫画の内容じゃないんだ。少しぼーっとしていただけ。考え事だ。俺自身のこと、この時代に残された遺物とか、昔のことを考えててな。


 何よ、この漫画と全然関係ないじゃない。でも意外、あなたもそういう「自分について」みたいなことで悩むのね。てっきり大人だから、そういうのは過ぎたものだと思っていたわ。


 別に俺は大人っていうわけじゃない。長く生きて、たまたまお前の身体に乗り移っただけだ。それに、立場が変われば悩みもまた形を変えてついてくる。悩んでない生き物なんて、俺からしたらいないと思うがな。


 そう。そういえば気になってたんだけど、私の身体に入るまでは何をしていたの? 他の身体に乗り移ったりしていたのかしら。


 それがな、全く覚えてないんだ。多分ずっと眠っていて、記憶が飛んでいるだけだとは思うが。ただまあ、この近くには俺の身体があるし、近くにはいたんじゃないか。そうしないと、お前を助けることもできなかったし。


 それよそれ。あなたの元々の身体ってこと? 何か自分のことについて思い出したなら、どんどん喋ってちょうだい。単純に気になるから。


 元々のものじゃない。そうなる予定のものはあくまで遺物であって、俺の元々の身体はとうになくなってる。そうだな……何か手がかりが見つかるかもしれないし、行ってみてもいいかもしれない。ちょうどこの指輪があった遺跡にあるはずだしな。それに、そこの空気を吸えば、何かまた思い出すかもしれない。


 何よ、まさか今から行くつもりじゃないでしょうね。


 いいじゃないか、どうせ暇だろ? 独り身で貴族の末娘、仕事もなければ学業もないんだから、この際動けるだけ動いてしまった方がいいと思うが。


 私は! こうやって自分の部屋で紅茶を飲みながら漫画を読んだりするのも有意義だと思うわよ! ……はぁ、言い分に腹は立つけど、興味はあるわ。ハナを連れて出発しましょ。でも、ハナだけじゃ危ないかもしれないわね。そんなに危険はないと思うけど、どうしようかしら。――そうだ、いいこと思いついた。


 ディジーのアイデアとやらは、武芸に長けた兄を連れていくことだった。ちょうど暇をしていたのと、遺跡に興味があるらしく、快く引き受けてくれた。貴族の長男としてそれでいいのかと思うが、そうそう危険なことは起きないだろうし、勉強の一環として見ているのかもしれない。万が一何かがあったら……まあ、俺がどうにかしてやると決めている。


 目的地は町より少々離れた場所にあるため、もう一度馬車を使って移動することに。この程度の距離なら別に歩いてでもいいと感じたが、それは貴族の感覚とは違うのだろう。今回はハナに加えて、ディジーの兄であるリダン・ベリーロンドも同行しているのが前回との違いか。


「こうしてディジーとお出かけできる日が来て嬉しいよ。最近の君はいきいきしているように見えて、とても喜ばしい限りだ」

「私もお兄様とお出かけできてとっても嬉しいわ。兄妹でこうして外に出るのは、お兄様も忙しくない今でないとできないもの」

「……本当に突然口調が変わるんだね。声は一緒なのに、別人が話しているように聞こえるよ。まさにディジーが二人いるみたいで興味深い」

「うふふ、やっぱりお兄様が学者気質なのは変わらないのね。気になるものができるとそういう目をするんだから」


 確か、騎士学校を卒業した今は、少しの間家にいられるという話だったような。将来のことは聞いていないが、俺が気にすることじゃないか。それより、この二人の時間を長く続けてやりたいところだ。恋愛小説を読んでいる時のように、今のディジーは華やかな表情をしているに違いない。

 しかしまあ、一番俺のことを懐疑的な目で見ているのは、この兄だ。どいつもこいつも家族想いのベリーロンド家だが、俺という存在の考え方は様々。そして、俺のことを“知ろう”という考えが強いのは、リダンだと思っている。


「あくまで護衛だし、あんたの期待するようなものはないぞ。いやまあ、遺物がいくらか残っているかもしれんが、凡人には無用の長物だ」

「あれ、切り替わった。心なしかいつもより妹と長く話せていた気がするけど、それは君のおかげかい?」

「さあな。町に出て喜びの波動が結構集まったし、魂が戻ってきてるんだろう」

「不思議だな。魂という目に見えない概念を、君は深く認識しているようだ。一般人にはがらくたやただの装飾にしか見えない遺物といい、驚かされてばかりだね」


 知ったところで世の中が変わるわけじゃない。ただ、そういう一面もある、というだけなのだが、それを説明するのも大変だ。それから俺やディジーとのたわいもないやり取りを楽しむのかと思ったが、こほん、とリダンが咳払いをした後に、表情がやや硬くなった。


「ここには僕とディジー、それと信頼できる使用人であるハナしかいない。だから、今これを伝えておくべきだと思ってね。クラリアの婚約を」

「お姉様が!? 本当なの!? お相手は? いつになるの?」

「今度エリアスの町で行うパーティで発表することになっているよ。相手はアルベル・エクサドーラ伯爵子息。ここ一帯でかなりの力を持っている貴族だけど、正直どうして婚約を申し込まれたのかよくわかっていなくてね」


「どこかで聞いたことがあるような、ないような」

「ディジーが幼い頃、一度婚約を申し込んできたこともあったね。君の体調が崩れて破談になったけど、今度はクラリアを狙って、か……。おっと、狙ってというのは語弊があるか」


 手を合わせて驚くハナと一緒に、嬉しいような、複雑な感情になる。ついにお姉様がお嫁に行く日が来たのね。エクサドーラ伯爵子息というと、やっぱりつい最近聞いたことがあるような気がするわ。


 多分、雑誌を目当てに絡んできたあの貴族が同じ名前だったはずだ。話から聞くに兄なんだろう。イブリースのことを考えると、そいつも遺物を使って地位を築いている可能性があるな。向こうから持ち掛けた話なんだろ? いい予感はしないな。


 せっかくおめでたい雰囲気なのに、あなたは相変わらずね。けどまあ、あの令嬢さんの家族だったら、ちょっと不安が残るかも。ううん、小説や漫画に出てくるかっこいい貴族とは全然違うかもしれないわね。家の幸せも大事だけど、お姉様の幸せの方が大事ですもの。


「ディジー令嬢はたいそう喜んでらっしゃるよ。俺は人間の結婚がめでたいことだと本の知識でしか知らんが、うまくいくといいな」

「おや、君の記憶では人間は結婚しなかったのかい? それに、なにか言いたげだ」

「……知らん。俺は別に人の文化なんてどうだっていい。身体を持ち主に返せたらそれで終わりだ」

「本来の身体を手に入れた後も、その考えでこの社会を過ごすつもりなのかな」

「えらく踏み込むな。文化のありかたについてはどうだっていいが、学ぶことは嫌いじゃない。適当でいいんだよ」


 本音を言ってしまえば、何も考えていない、というところだ。遥か過去の記憶や知識に興味があるのか、俺に色々と質問してきたリダンだったが、こう答えてからは馬車での移動中に話しかけてはこなくなった。移動はもう少し続くんだし、適当に喋ってくれたら退屈はしないんだがな。

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野郎令嬢は子爵令嬢 根っ子 @root_root_nekko

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