第3話 下山
「洞窟をでたらまっすぐ進んで、大きな岩が見えたら斜め左方向に進むといい」
銀髪の神の使徒、シルヴァの言葉を思い出し、エヴァンは新雪に覆われた山脈を下山する。嵐が治まり、まだ生物の気配も少ないため、行きよりは危険が少ないだろうが気は抜けない。ふもとまで20日はかかるのだから。
***
その日、北の大山脈の唯一の入り口を管理する国、白の北壁は慌ただしかった。突然の嵐に襲われた大山脈であったが、ついに嵐が治まったのだ。
「では、捜索隊は組織しないと?」
白の北壁のある一室、会議用の大きな部屋に設置された大きな円卓を力強く叩き、声を大にする者がいた。主に水辺を生息地とする亜人の
「そうではありません。山脈の天気は気まぐれ。すぐに捜索隊を送ってまた天候が崩れてしまってはミイラ取りがミイラになりかねません。数日様子を見ると言っているのです」
反論したのはクレアという胸元が大胆に開いた白と黒を基調とした着物を着ている蛇人の女性である。蛇人は魔術に長け、体がしなやかな亜人であるが、見た目は人間と大差ない。
「でも遭難したのは帝国の辺境伯なんでしょ?迅速に動かないと帝国からの印象もあるし」
口をはさんだのは国内外の情報を統括、管理する情報部の長のエルフの男、フレイスコール・コンヴェル。軽薄そうな口調の彼は羊皮紙を見ている。それには議題に上がっている大山脈で行方知れずになっている帝国辺境伯、エヴァン・アルスターノのプロフィールが書かれていた。
「帝国の辺境伯領では兵士の訓練が盛んにおこなわれていて、辺境伯の私兵もレベルが高い。優秀な帝国兵のほとんどは辺境伯領で鍛錬を積んでいるらしいね。エヴァン辺境伯も剣術と魔術を扱う魔術剣士としてそれなりの名をあげていたらしい」
「やはり寒さに強い種族で捜索隊を組織するべきだ。初動が遅れれば結局は帝国に情報が伝わってしまう。"10年ぶりに嵐が治まったのにすぐには捜索隊を出さなかった"とな」
クレアの隣に座る内政を司る男、トラモンドが言った言葉が決め手となり、白の北壁ではエヴァンを探す捜索隊が編成された。
***
下山を始めて10日が経っただろうか。無心で歩き続けて来たが、エヴァンの精神は限界が来ていた。行きは雪山とはいえ様々な動植物やその痕跡などがあったが、帰りはそれがない。すべて新雪によって埋もれており、夜は得体のしれない生き物の遠吠えが聞こえて気が気ではない。
しかし、遺跡で彼を助けてくれた銀髪の使徒への祈りは欠かさなかった。いや、それくらいしか体を休める夜にはやることがなかった。それに、欠かさず祈れば使徒が助けてくれるような気もした。藁にも縋る思いというやつだ。
「......い」
「おーい!」
下山の途中、声が聞こえた。
「さ、むい」
口から出たのはそれだった。ふもとの方を見やると防寒具を身にまとった登山隊らしき人影が見えた。
思わず杖代わりにしていた直剣を握る手に力が入る。
「おい、あんたもしかして」
駆け寄ってきた人の1人は大山脈にアタックする前に白の北壁で知り合った狼型の獣人だった。確か名前はシグムント・オースルンドだったか。メイスや直剣、大斧などを背負った腕の立つ兵士だ。
「......」
エヴァンは何も言わずに懐から小さなピンバッジを取り出した。それは帝国辺境伯の関係者であることを示すアセビの花と剣が描かれた紋章が象られていた。
「しっかりしろ!おい!俺の荷物を頼む!コイツを背負って下山するぞ!」
その言葉を聞き終えるか否かといったところでエヴァンの意識は途切れた。
***
次に目が覚めたのは北壁の城内の一室であった。四肢に力を入れるが、特に問題はなさそうだった。両手両足の感覚はある。声を出してみる。
「あ、ああ。声も......出る」
少々かすれた声で言葉も発することができた。すると、近くにいた人影が気づいたのか顔を向けた。
「エヴァンさん、お気づきになられましたか」
その女性は優しく笑うと、付近にいた別の女性に誰かを呼んでくるよう指示をした。彼女は長い黒髪に白衣のいかにも医療関係者を連想させるいでたちであった。
「私は桐花と申します。ご気分はいかがですか。どこか痛みますか」
エヴァンに体に異常がないか確認する桐花。彼女は問診をしながらもいくつか自身のことを教えてくれた。彼女は蛇人という珍しい亜人なのだそうだ。魔術に長けた者が多く、体がしなやかでありながら人間と相違ない外見の種族らしい。彼女は蛇人の中でも由緒正しい家の血筋のものらしく、治癒の術を得意としているとのことだ。
しばらくすると何人か、様々な種族の人がエヴァンのいる部屋へと集まった。いずれも見た顔だ。
一人はエヴァンを助けた獣人、シグムント。
一人はカニ系の
一人は右目に傷跡のある人間にしては体格が良すぎる大男、フリードヘルム・エルツベルガー。北壁から大山脈に挑む者の腕試しを担当する騎士だ。
「よく生きていたな、エヴァン殿。また会えてうれしいぞ」
そう言った甲殻人のダンテは仮面の下でカチカチと音を立ててその大きな鋏でエヴァンの肩を叩いた。甲殻人の寿命は分からないが、幾分かその甲殻に年季が入ったように見える。そしてダンテは続ける。
「問題なく喋れるようになったら、悪いが貴公の身に起きたことを教えてほしい。大山脈から生きて帰っただけならいざ知らず、十年も遭難したにも関わらず生きて帰ってこれたのは異例中の異例なのだから」
「ま、待っていただきたい。......数か月ではなく、十年と今言ったのか?」
ダンテから想像もしなかった言葉に心臓の鼓動が早くなる。視界がゆっくりと歪んでいき、ついにはブラックアウトした。
「貴公、エヴァン殿!しっかりされよ!」
エヴァンはダンテの声をぼんやりと聞きながら、意識を保とうとするが遂には意識を手放してしまった。
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