幕間

花のように 美しくあれ



「こちらで、少々お待ちください。若旦那様をお呼びいたします」



 二人を椅子に座らせた従者はそう言って、恭しく礼をしてから部屋を後にした。

 椅子に座る二人のうち、一人は緊張を解すようにため息をつき、もう一人は落ち着きなく辺りを見渡していた。



「……エドワード長官様。僕、本当に同席しても良いのでしょうか?お話ししたと思いますが、僕、河田ナツメは河田家を追い出されていて……その名前に権力なんかはなく、もはや一般人なのですが」



 自らを一般人と称し、ナツメは「ここで家の者が仕えてたらどうしよう……」などと呟きながら、隣に座る男──エドワードへと不安を投げかけた。

 エドワードは「シッ」と不安そうに視界を泳がせているナツメに対して静粛を呼びかけてから言った。



「その時は悪いが耐えてくれ」


「ええ!?……せっかく新しい職に就いたのに、ですか!?僕、今のお仕事は気に入っているので、やめたくないのですが!……長官様、僕が居なくちゃいけない理由は何でしょう?」


「まあ……、オレが不安だから。許してくれ」



 ナツメは鳩が豆鉄砲を食らったようになっていた。

 ナツメにとって、エドワードは憧れの対象で、人として完璧な人物であった。"不安"とは無縁の存在だと思っていた。



「……長官様が不安に思うだなんて、僕信じられないです」



 以前は恐れ多くて言えなかったであろう感想をナツメが述べると、エドワードは「はっ」と吐き捨てるように笑った。



「オレが不安を感じないだなんて、道理で河田君が厨房で皿を割る回数が減らないわけだ。不安じゃないと思ってんだもんな。皿の数が減ったってさ」


「そ、そそそ、そんなことないですよう!それに今はお皿のことは関係ないです!……長官様、今からお話しする方は、長官様が不安になるほど恐ろしい相手なのですか?」


「……今から出てくるやつを、3つ想定している。1つは知人、1つは他人──その2つはまだ何とかなるが、あと1つ。それが出てくると、オレは一人じゃどうしようもなくなるかもしれない。どうしようもなくなった時のために君を用意した。もしその時が来たらオレを殴って、シャンドレット王!って叫んでくれ」



 真面目な顔をして話すエドワードに引きつつも「わかりました」と返事をした。


 その時、コンコンと応接室の扉がノックされる。

 ナツメが「はい」と答え、エドワードとともに声の主を迎えるべく椅子から立ち上がった。

 すると扉の向こうから「失礼しますよ」と男の声が聞こえ、まもなく扉が開かれた。15センチほど扉が開かれると、その隙間から何やら暗い色の物体が、カサカサと素早く床を這った。

 エドワードとナツメは、自らが持つ執事と家守の経験からその暗い色の物体が人々に忌み嫌われる害虫であるように錯覚して思わずギョッとした。



「おや、モジャコ。いけませんよ」



 暗い色の物体に続き、部屋に入ってきた長身の男がぽつりとつぶやく。

 暗い色の物体をエドワード達と同じように見つめ、注意を呼びかけたがソレは言うことを聞かず、「もじゃ!」と妙な声をあげて、テーブルセットの上にぴょんと飛び乗った。



「──ッ!」



 瞬間、エドワードが左目を両手で覆う。

 その突然の行動に「長官様!?」とナツメは声をあげた。


 エドワードは左目を覆いながら「大丈夫」と、適当なことを言った。特に、言葉の種類は何でも良かった。自分が冷静でいるための意味のない会話である。

 しかし、それも虚しく。目の前にいる暗い色の毛むくじゃらを目にしていると、目の奥がうぞうぞと畝るような感覚があった。魔法をかけられたとかそういう訳ではなく、この毛むくじゃらの大きな瞳を見ていると、その奥に過去の記憶が映っているような、そんな感じがしていた。



「……モジャコ、ほら、早くこちらへ。貴女はあまり歓迎されていないようですよ。貴女が人を気にするのも珍しいことですが」



 部屋に入ってきた男はエドワードとモジャコと呼んだ毛むくじゃらを交互に見つめながら言った。

 それから間も無く、エドワード達と向かい合うように椅子に座り、その拍子に肩に飛び乗ってきたモジャコの頭をゆっくりと撫でて、何故か「ほほほ」と笑った。



「……あ、あの、えっと?貴方様が、ご当主様、なのでしょうか?」



 ナツメは不安そうに問いかけると、男はモジャコを撫でながら「ええ、まあ」と歯切れの悪い答え方をした。

 先に、自分は一般人と称した手前、ナツメはそれ以上のことを聞いたり、話すことを控えようと思った。

 しかし、エドワードの様子が良くないようなところを見ると、目の前の人物こそが先にエドワードが話していた3人目の人物であることを理解し、その場合にはサポートするよう命じられたため、口を開きかけた。



「……あんたの、その毛玉。昔は何とも思わなかったが、すっごく気持ち悪いな」



 左目を押さえながら、エドワードは男を睨みつけていった。


 突然の暴言に、辺りが凍りつく。

 隣に座るナツメも、男の後ろに控えていた従者たちも、緊張した面持ちに変化した。

 一方、暴言を吐いたもの、そして暴言を吐かれたものは顔色ひとつ変えることなく、お互い顔を見合わせている。



「え、あの長官様……?」


「あの、若旦那様……?」



 堪りかねて、ナツメと従者が各々に対し同時に言葉を投げかけた。



「……ほほほ。本日のお客様の名前を聞いて、まさかとは思っていましたが、貴方が私の前に座るとは。正直、驚いていますよ。お久しぶりですね、エドワードさん。お元気でしたか」



 男は無表情のまま言った。

 エドワードの暴言に気分を害したが故の無表情というわけではなく、この男は以前からも、エドワードが知る頃からも変わっていなかった。

 変わったとすれば、お互い歳を重ねただけ、立場が変動しただけである。



「はい、お蔭様で。その節はどうもありがとうございました。貴方様のお言葉がなければ、あの場が収まることはなかった。王家と『アザレア』が対立し、シャンドレット王はより一層、翳に隠れるところであった。……今思えば、本当に無謀なことをしていただいたと、この身が震える思いです」


「──しかし、そうはならなかった。それは"ユリヌ様"の……『アザレア』養成学校長殿のお蔭でしょう。一時的ではありましたが、生徒として、貴方様の元で学べたことを誇りに思います」



 先の暴言を吐いた姿とはうってかわって、エドワードはこの男──ユリヌに対して丁寧な言葉をかけてから、直角の礼をした。



「え?『アザレア』養成学校って……長官様、ご当主様とはお知り合いだったのですか?……ん、生徒?え!?長官様、『アザレア』の学校の生徒!?の、能力者ってことですか!?」



 直角の礼をするエドワードをよそに、ナツメはエドワードを二度見し後退りした。



「……そういえば話してなかったっけか。そんなオレも悪いが、河田君、申し訳ない。オレにも色々ある。特にそういう対応はしないでいただけるとありがたい。それに、ご当主の御前だ。ここに直り、礼儀を尽くしなさい」



 エドワードに言われて、ナツメはハッとして「申し訳ありません!」と話してから、エドワードの隣に戻り、頭を深々と下げた。

 そして、ナツメはこれ以上の発言を控えることを決意した。あまり口を出すと、ナツメが今仕えている主人──須藤のことを話してしまいそうになったから。

 須藤はかつて『アザレア』養成学校の教師であったことをナツメは知っているが、それがいつのことなのか──例えばユリヌやエドワードが在籍していた頃で、この場の全員と関わりがあるのだとしたら……色々と、不味いことになりそうだと考えたためである。



「ほほほ、そのように畏まらずとも良いですよ。昔はともかく、今は立場が対等なのですから。……ともあれ、お二人ともお掛けになってください。そして、改めて自己紹介をさせていただきたい。少々誤解が生まれてしまっているようなので」



 ユリヌは変わらず、無表情で言った。

 そうして、エドワード達が「お言葉に甘えて」と言いながら椅子に腰掛けると、ユリヌは足組みを正し、まっすぐな姿勢で言った。



「落ち着いたところで、改めまして。本日はようこそお越しくださいました。ギルディアからはるばる、行政長官様直々にお見えになられるとは……魔物の森の方は、大変だったでしょう。……まあ、『アザレア』がいれば、国は安泰でしょう」


「──っと、無駄話をしてしまいましたね。先にも言いましたとおり、誤解を解くための自己紹介でもあります。……私は、ユリヌ。ユリヌ・ゼムノート。シャンドレット王から見て"おば"に当たるリタ・ゼムノートの息子になります。ああ、王から見れば、私は"いとこ"でしょうか」


「──さて、誤解と話したのは、お二人とも私のことを"当主"と言いましたので。厳密に言うと、この一家の当主は我が母リタであります。そこに断りなく、私が出てきたものですから勘違いなされたのでしょう。つまり、私は正式にはこの家の当主ではありません。いずれは、そうなるのですが、今はまだ、と言ったところなのです」



 目を伏せながら、ユリヌが言った。

 そこに食い入るように、エドワードが反応する。



「ああ、それは失礼をいたしました。私どもといたしましては、ひとまずお会いできれば良いと思っていたものですから……。シャンドレット陛下が亡くなられて間も無く、"塔の封印執行の時期"を迎えるなどありまして、本来すぐさま行うべき話を行う余裕が、私にはありませんでした。なので、お話が遅れてしまって……」


「……ああ、かの塔の儀式ですか。それは大変でしたね。しかし、ギルディア王国には心強い味方があるのでは?」


「恐れながら、『アザレア』は現在機能停止をしております。今日に至るまで、稼働が確認できていません」


「はあ。それはそれは、いけませんね。……黙っておかなければいけないことがまた増えてしまう」


「……え?あ、もしかしてご存知ないでしょうか。いや、同じ王家といえど、ここ日本はギルディアから遠く離れた地ですから、ご存知ないのは当然かもしれません。よろしければ、私めからただいまのギルディアの状況を──」



 ギルディアの状況をお話ししたい。

 この後の、王位継承に関わる話ですから──


 エドワードはそう発言し、本題を切り出そうとしたが、「行政長官殿」と、ユリヌが食い気味に言葉を発した。



「お話を遮るようで申し訳ありませんが、先に話しておきましょう。王位継承に関するお話をこれからされるのでしたら、我々──リタの一家は、それを辞退いたします。ですので、ギルディアの現況に関しては、機密事項となるでしょうから教えていただかなくて結構です。……もとより、母の意向で入手を拒否していた情報でもありますから」


「な……!」


「ですので、王位継承に関するお話をされるのでしたらお引き取りを。私は……これから仕事に行かねばなりません。笹野先生に朝礼を任せてしまったので、先ほどから不安で仕方がないのです。ほほほ」



 ユリヌは立ち上がり、エドワードとナツメに向かって一礼してから、この場を立ち去ろうとした。


 それを、エドワードが許すわけはない。

 エドワードは、亡きシャンドレット王が遺していった国と民を守るため、国を安定させるために新たな王を立てることを決めた。その思いは、並々ならぬものである。

「はいそうですか」と諦められるようなものでは決してなかった。



「……お、お待ちください!ユリヌ様、無礼を承知で言わせてもらう。シャンドレット王は、息を引き取るまでギルディアの行く末を案じられていたんだ。……あんた達、あんた達にそういう気持ちはないのか」


「──ああ、いいや。オレはここに来て、あんたと話をしにきたんじゃない。多分、あんたはあの時、最後の最後まで口を開かなかったからな。誰かが動かなきゃ、あんたは動かないだろうって、王家の家系図であんたの名前を見た時に思った」


「──護山 ハルと、ハルシア・ゼムノートと話がしたい。オレは、この場に彼女と話をしにきた。話したいことが、沢山ある。彼女は、ここにいるんだよな!それか、どこに行ったら会える?」



 乱暴で脅迫じみていることを言っているとは、エドワード自身もわかっていた。

 一度は座った椅子から立ち上がり、精一杯を叫んだ。


 しかしながら、ユリヌの表情は変わらない。

 相変わらずの無表情であり、それがさらにエドワードの不安を煽った。……けれども、何を思ったのか。

 ユリヌは踵を返し、今一度椅子に腰掛けた。それから肩に乗せた毛むくじゃらを撫でながら、足を組み、頬杖をつきシンプルに問いかけた。



「行政長官殿は、あの子を王にしたいのですか?」


「いや……ただ話をしたいと思っている。その後の話の内容によっては、彼女に会わせたい人がいる。王にするかは決めかねている。その人にも、良く考えて欲しいと言われたから」


「アルベ・グルワールさん、ですか?その人、というのは」


「……それは、お答えしかねます」


「そうですか。まあ、彼とはとても仲が良かったと笹野先生から聞いています。あとは、エドワードさんも。あの子とよく話していたそうですね」


「──『アザレア』の学校に入学すると決められた時は少々心配でしたが……お二人のようなお友達と一緒で、まあきっと、それなりに、良い思い出ができていたのだろうと思います」


「──なので、どうか。その思い出だけにしておいてくれませんか。あの子に関しては。私はともかく、母が気を病んでしまってダメなのです」


「は、はい……?リタ様は、ご健在ではないのですか?」



 エドワードの額に、嫌な汗が伝う。

 何気ない問いかけに、エドワードとナツメ以外の全ての者が、さっと視線を逸らした。



「母が健在であれば私はこの場に居ません。……療養中なのです。王家という立場からは少し離れたいと言い、今は父の家で生活をしています。ですので、我々を王位継承のアテにされては、色々と困るのですよ」


「そ、そうだったのですか。それは申し訳ありません。しかし一体、リタ様に何が──」


「ねえ、エドワードさん。シャンドレット君から聞いていませんか」


「……な、何を、でしょうか?」


「まあ、優しい彼のことですから。あえて言わなかったのでしょうね。……あの頃は、貴方もまだまだ不安定でしたから。けれど、今なら受け止めてくれるでしょうし、立場上は知っておくべきことでしょうから」


 ユリヌは一呼吸おいてさらに続けた。



 リタ一家の長女。

 歳は11と離れていますが、私の実の妹。

 護山ハルことハルシア・ゼムノートは、今から15年前に、その命を自ら断ちました。


 そして、その場に居合わせたのが当時の『アザレア』戦闘部総長──レオ・グルワールです。



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番外編【ナツメ・パルティータ】 京野 参 @K_mairi2102

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