後編

家に帰り一番に今日のことを美琴に伝える。


「え!追い払えたの!しかも友達できたのもすごいじゃん!」


まるで自分のことのようにぴょんぴょん跳ねながら喜んでくれたので穂乃香も嬉しくなった。



その日の夕飯の時間、食卓で共に食事をとる穂乃香の母親に「なんだか嬉しそうね」と言われ、グッドサインをする穂乃香。


穂乃香も、毎日を二階で過ごす美琴もルンルン気分でいたその晩の事だった。



青白い月が夜道を照らす静かな夜。

美琴と穂乃香はいつものようにベットに二人で寝ていた。



数センチ開けた窓の外、夜中近くの時間帯に、家の近くの裏山から狐らしき声が


「────ギャン!ギャン、ギャン、ギャン!キャ……ッ」


と吠える音が聞こえてきた。





穂乃香はすやすや寝ているが美琴の耳がぴくりと反応する。


「お母さんの声だ……」



すぐさま立ち上がり、ベッドを降りたとき


「パンッ、パンッパンッ」


乾いた音が辺りに響いた。






嫌な予感がした。美琴のお母さんの声は『威嚇』の鳴き声──────。


血の気が引いて、鼓動が早くなるのがわかる。

変わらず寝ている穂乃香を置いて美琴は裏山に向かった。



四足で思い切り地面を蹴って必死に山を目指す。

「……はぁ、はぁ、はぁ、」






裏山の神社の近く、自分たちの巣穴。

弟と妹が「お姉ちゃん!」と震える小声で木の影から出てくる。


美琴の弟妹は両親と同じ黄色い毛をまとっているが美琴だけ違って薄紫色の毛皮。




「お母さんが、お父さんが……!」


近くの木にあかい液体がこびりついていた。




くりくりとした四つの目がすがるように美琴を見上げる。


「と、とりあえずこっちに……!」


あまり獣道の後が見えない雑草の地を三匹が連なって移動する。




お母さんもお父さんの気配もない。


「何処にいるの……」





「しめたしめたぜ」

急に開けた山道に出て聞こえた声に美琴たちは慌てて身を隠す。


暗めの色のジャケットに長靴を吐いた中年の人間の小太りの男。

片手には猟銃。




─────そしてもう片方の手にはぐったりした美琴の母親。

抵抗したのか全身の毛が乱れていた。





「お母さ……!」

喋ろうとする弟妹の目と口を慌てて尾で塞ぐ。


「静かにして」


鼻歌を歌って前を通り過ぎる狩人。

離れなければこちらの命も危ない。



近くに道路と電灯があり、少し明るい逃げ道しか無かった。



「いいって私が言ったらあっちへ逃げるのよ」

「「うん」」




「3…2…1、行って!」



ダッと一斉に駆け出す三匹。



ガサガサガサガサガサガサ……




もう少しで向こう側の草むらへ着く時、人間の男が口笛を吹くのをやめて振り返った。

「っ……!」



「早く行って!」


人間の男はあかりに照らされた藤色の尾を見た。


慌てて猟銃を構えて撃つ。




「パンッ」




取り逃し、慌てて消えた草むらに駆け寄って見るも狐の気配はなかった。


「なんだあの色…………」



・ ・ ・



「はぁっはぁっはぁっ……」

「お姉ちゃん……」

「大丈夫、大丈夫だからね」




息を整えながら歩くと、お父さんが見えた。

父親は足を怪我していたが、逃げ切っていた。


「この山に狩人が来るなんて初めてだ」


どこか遠くを見て背中を子に向けて言った。




「私、多分あの人に見られた。もう、一緒に居られない、一緒にいたら皆危険だから。弟と妹のこと、よろしくねお父さん」


「お姉ちゃん……?お姉ちゃんもどっか行かないよね……?」


美琴に寄り添う妹が言う。



「私は……、私はみんなに生きてて欲しいから。…………じゃあね」



走り出す美琴。


「お、おい!」

父が振り返って引き留めようとする。



「行かないで!」

追ってくる弟妹を振り切って美琴は走った。




走って走って走って走って、穂乃香の家へ戻った。


・ ・ ・



翌朝、いつものように接してくる穂乃香に言う。

「あ、あのさ…、学校から帰ったらちょっと話したいことあるの」



穂乃香はキョトンとした顔で美琴を見るも何も怪しがる様子もなく


「いいよ、早めに帰ってくるね」


と制服を着替えながら言った。





─────どうせ忘れてしまうなら、言っても言わなくても変わらない。自分の心の中の重いものが少しでも軽くなるなら……。






その日、夜ご飯を食べたあと二階の部屋。


「あの、朝言ってたこと言っていいかな」

「うん、いいよ」


穂乃香が体育座りで準備したので美琴も正座の姿勢になる。



「私が家出した理由はお母さんと喧嘩したからなのは知ってるよね。

私の住んでた所ではね、突然変異でいつもとは違う毛色の子が生まれるとその子が死ぬ時に、今まで関わったみんなの記憶からその子についての記憶だけ消えてしまうっていう言い伝えがあるの。そのことを親が話し合ってる時に偶然知って、八つ当たりしちゃってさ……」


と美琴は半分乾いた笑いを浮かべながらきまり悪そうに頭をかく。





「そう、なんだ」

穂乃香は暫く考えた後、気まずい沈黙をこれ以上重くしないように言葉を選んで声に出した。



「そうなんだね…でも言い伝えでしょ?大丈夫。私は美琴のこと、ずっと覚えているから」



穂乃香は美琴のふわふわの耳を撫でる。


「穂乃香~」

夜中の出来事と合わせて苦しさが込み上げ、うっうっと嗚咽しながら泣き出す美琴に穂乃香はずっと寄り添っていた。




「そんな悲しい言い伝えなんか信じない方がいいよ。たくさん二人でこの先も思い出つくろうよ」



出会った頃の穂乃香より今の彼女の方がポジティブになっていた。


微笑む穂乃香に美琴は少し救われた。


・ ・ ・


数日がたち、学校の休み時間につむぎが少し食い気味に噂を共有しに来た。


「穂乃香!最近ここらへんで薄紫色の狐が出現してるんだって!珍しい色だから、見かけたらご利益あるかも~!

捕まえたら報酬が貰えるとか噂で聞いたよ」



「紫色の……?」



初めて聞いた感じを装ったが、間違いなくその狐は美琴のことだと思った。



「へ、へぇ~……その狐どこで見れるのかな」



「近所の人に『山の麓に走ってく薄紫色の狐を見た』って知り合いのおじさんが興奮気味に言ってたのを聞いたよ」

と紬。



「山……そうなんだ~……」



はははと笑って悟られないようにしながら内心、冷や汗を垂らしていた。



・ ・ ・



「美琴ー」

「んーどうしたー?」


「美琴指名手配されてるよ」


"どういうことかな"と言わんばかりの表情を顔に張りつけた穂乃香に美琴は苦笑する。



「ちょっと実家に用事があってね」


誤魔化すように、にこにこする美琴。



「捕まえられたらどうされるか分かんないんだよ!?解剖されるかもしれないんだよ、もう少し気をつけてよ」



美琴の肩を掴んで前後に振る穂乃香と「あ゛あ゛あ゛」と勢いのまま揺さぶられる美琴。



「分かってる、山に行ったのはその一回だけだから……もう行かないよ」



「本当に気をつけてよね」

ぷぅと頬を膨らませる穂乃香。




翌日の登校中に『薄紫色の狐 情報求む!』と書かれた貼り紙をあちこちの電信柱で見かけた。


一人だけその狐を知っている身としてはとてもソワソワする思いだった。





それから数ヶ月の間は、日々の穂乃香の学校生活の様子を美琴と話したり、出かける時には大きめのトートバッグに入れるなど、美琴と穂乃香はいつでも一緒に行動していた。




「あ、毛が付いてるよ。穂乃香って犬飼ってるの?」と紬が言ってきた時は焦って言い訳を必死に考えた。





美琴と出会ってから半年が過ぎようとしていた。


穂乃香へのいじめは無くなり、紬と穂乃香は互いに名前で呼ぶようになった。





ある日、それは一瞬の出来事だった。



紬と穂乃香はいつも通り一緒に学校へ行こうと待ち合わせをしていた。



「あっ、補聴器忘れた!」



穂乃香はスマホの紬とのLINEに

『ごめん、補聴器忘れたから戻る!先行ってて( ˊᵕˋ ;)』

と素早く送り、きびすを返して家に戻ろうとした。




「青信号点滅してるけど急がないと」


チカチカし始めた横断歩道を走り抜けようと渡り始めたとき、横からトラックが猛スピードで走ってきた。



補聴器をしていない穂乃香の耳にはトラックの迫り来る音は聞こえず、トラックの存在にも気づいていなかった。



あともう少しで衝突しそうなその時。



──────ドンッ



突然背中を押され、勢いのまま前方へ放り出された穂乃香。



びっくりして振り向くと、目の前すれすれをトラックが通過して行った。




トラックが通った後の地面には、人間姿の美琴が倒れていた。



「美琴っ!!」


穂乃香は慌てて駆け寄った。


「美琴っ、しっかりして!!」



美琴は苦しそうにうめき、

「穂乃香、補聴器忘れてたでしょ……。」

と彼女に忘れ物を渡した。



穂乃香は以前、美琴に聞いた言い伝えを思い出した。



「私、美琴のこと、忘れちゃうの……?」



「私は穂乃香といられて幸せだったよ。……空からずっと見守っているから、穂乃香のこと。」



「なんで、なんでそんな事言うの、死なないでよ、忘れたくないから……!」




穂乃香の涙が地面にこぼれると同時に美琴の身体が透けてきた。


「やだ、美琴、私を置いていかないで!」



美琴の透けた身体をみて、『言い伝えは本物』だと悟った。


流れる涙をそのままに穂乃香は美琴の手を握って泣き叫んだ。



言い伝えを気にしていなかったこと、軽々しく大丈夫だと言ったこと、この先もずっと大人になっても一緒だと勘違いしたことを考え穂乃香の胸の奥がズキリと痛んだ。




「穂乃香はもう、ひとりじゃないよ」




美琴が無理矢理笑顔をつくってそう言うと、

ふわりと空気に溶けるように消えていった。



「美琴っ……!みこ……と……!」



穂乃香は嗚咽しながらぐすぐすと泣いていた。


もう既に穂乃香の記憶の中の美琴の笑顔は消えかかっていた。




数分後、トラックの運転手が穂乃香へ駆け寄って心配する一方で、穂乃香は何事も無かったようにピタリと泣き止んだ。




「あれ……私、なんで泣いてたんだっけ…」




すっと立ち上がり、周りの人の視線を気にすることもなくフラフラとした足取りで学校へ戻る。


「行かなきゃ、遅刻しちゃう…………」






学校へ行く道中の電信柱に貼ってあった紫色の狐の張り紙は全て消えていた。



穂乃香の記憶からも、美琴を見た狩人の記憶からも、噂を広めた人たちの記憶からも………



全世界から、美琴だけが消えた。






その日の授業に穂乃香は集中出来なかった。


まだ頭がぼーっとしている。


なんだか長い夢を見ていた気がして、大切なことを忘れている気がして。


心にぽっかり空いた寂しさの正体が分からない。





放課後、紬に「ちょっと探し物あるから先帰るね」と言い、自分の部屋の中を隅々まであてもなく手当り次第探し回った。



自分で何を探しているのかも分からない、けどどこかにヒントがある気がしていた。




机の引き出しを開けると、そこに見知らぬ一通の手紙がしまってあった。


「なに……これ……」



手に取って開いてみるとそこには描きなれない様子の、でも一生懸命書いたのが伝わる文字がずらりと並んでいた。



──────これを書いた人は誰なの?



何枚か重なっている手紙の最後を探してみる。


その場所には名前ではなく、


『穂乃香の大切な、ともだち。』


と書いてあり無意識に穂乃香の目から一粒の涙がぽつりとこぼれた。



「あれ、なんで涙が出てくるの………」



涙を拭いながら力の抜けた笑いをする穂乃香。


「これじゃあ、誰か分からないじゃん……」



手紙の差出人が誰なのか全く分からないのに何故か『その人らしいな』と感じた。




次の日、穂乃香は紬に「探し物、見つかった?」と聞かれた。


「見つかったよ」満足気に応える穂乃香。


「何を探していたの?」




穂乃香はふふっと笑って言った。





「私の……大切な、ともだち。」



空を見上げると雲が狐の形に見えて、その雲からコーンと鳴く声が聞こえた気がした。





—————ずっと忘れない、私を変えてくれた大切な友達も、今目の前にいる大切な友達のことも————。




美琴が消えた世界は今日も何事も無かったかのように時を刻んでいる。

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大切な、ともだち。 衣都葉雫 @itohazuku_

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