ドスピ男の末路

@Ascend55

彼の奇妙な成功法則

 全く持って奇妙な人生の展開だった。まずユウキの日課にしていたマスターベーションがピタリと止んだ。これまで密かに検索したポルノは、ありとあらゆる卑猥な言葉の羅列があった。ポルノだけではない。ユウキは性の満足を人生の目標として生きていた。快楽を求めて生きるという意味、カツラユツキという人間はこれからも変わらないようである。現に幸せな結婚や恋人たちとの充実した生活を夢見ることはユウキにとって変わらないようだ。結婚と恋人たちという矛盾に聞こえる話も、いずれ語ると思うが、ユウキはそんなセクシュアリティーの悦楽を夢見ながらも、ピタリと性の放出を辞めてしまった。


 代わりに、いつも頭の中では聖句やマントラと呼ばれる言葉を発するようになった。どんな思考やそれに伴う感情が上がってても、マントラを唱えている。何かに夢中になっているとき唱えていないが、ふと顕在意識に戻った瞬間には、いつもマントラを唱える。いつからだろうか、思考や感情を全てマントラが意図する人知を超えた神聖な意識に委ねてしまいたくなった。マントラの文言は、声に出しても書いてもいけないという決まりのもと、ある師匠と呼ぶ男から貰ったものだった。これを唱えるのは思い出したときいつもだった。気がついたら唱える。日に換算したら数百回だろうか。


 ユウキは作家であると名乗ってはいるが、物書きだけで食べてはいない。いわゆるフリーターと言われる人種だ。ゲストハウスというビルで、数十人が集まるコミニティーに住んでもう5、6年経っているであろうか。まだ名前が売れているというわけでもないし、何やら前に書いたという小説みたいなものもエッセイ集も売れているわけでもない。周囲の人間から格別尊敬されてもいないようだ。


 住居の共有スペースには、ユウキの集めた本が散乱している。宇宙との対話だとか、悟りの本質だとか、そんな精神世界系の本が多いが、海外の小説やら、自己啓発版やら、乱読している。


 もう一番長く住んでいる部類のようなものだから、多少でかい顔をしているユウキは、ある日年配の夫婦がゲストハウスにやってきたときに、率先して挨拶した。


 ゲストハウスは一番上の階がリビングルームになっていて、テーブルやソファーがいくつか並んでいるのだが、いかんせん人数が多い。どこに誰が座るか何となく決まってきたりして、いつも新しく入ってきた人は何かバツが悪そうに居心地の良い場所を探さなければならないようだ。


 メガネを掛けた60歳くらいの旦那さんと、ほっそりした奥さんの顔は最初暗かった。

「こんにちは、ユウキといいます。宜しくお願い致します」ユウキは挨拶した。

「こんにちは。徳間です。勝手がわからなくて色々教えてもらえれば嬉しいです」旦那さんは少々硬い感じだった。


 次の日、珍しくもゲストハウスの何人かで、ムーンヨガという一年に一度、夜の球場を貸し切ってヨガを体験するというイベントに行こうという誘いがあったらしい。そこに徳間の奥さんが参加してきたようだ。ユウキが帰ってきたとき、ちょうどムーンヨガに行ったグループとリビングルームで出くわした。奥さんは、ずいぶんと明るい表情をしている。

「はじめてこんな感じで皆で楽しめました。外国語ばかりのコミュニケーションが新鮮でした」

「そうですよね。日本人だけじゃない環境って珍しいし、なかなかなれるまでは大変ですよね」

「ユウキさんもヨガとか好きなんですか?」

「ヨガや瞑想やスピリチュアル系のもの大好物です」

「そうなんですか。私もそういうの好きで、どんなもの好きですか?」

「いろんなジャンル好きですね。キリストの意識から東洋仏教の教え、そして宇宙存在からのメッセージや、アセンションといった人類の目覚めに関することなど、幅広く興味ありました」

「それは、もうバリバリですね。夫もUFOにであったり、スピリチュアル系のことにゴリゴリですよ」

「そうなんですか、大変興味深いです」

ユウキはUFOの本で『アケミが旅したプレアデス』という本が好きであると語った。偶然にも彼女の名前はアケミだった。

「自分たちは、生命や魂の本質を伝えるワークを紹介しているんです。ユウキさんならそういうの興味あると思うのですけど。なかなかこういった魂のお話を他の人にすることってためらいがあって。費用も一万円かかります。生命の大元と直接つながる事のできるワークなんです」徳間アケミは軽やかに語る。

「はぁ、一万円ってそんなに大きな金額でもないですよね」

「はい、ただ私は一万円捻出するのも大変な時期もあったものですから、気軽に言えない気持ちもあるのですが、本当にすごいことだと思います」

ユウキは、話の流れで彼女と連絡先の交換をした。約一週間後にもそのワークがあるというので、ユウキは興味があると答えた。是非旦那とも話をしてほしいという彼女は言って、その日の会話は終わった。年齢よりはるかに若く見える素敵な女性だなと彼は思った。頭のなかでマントラが繰り返された。


 翌日からユウキは、書いている作品の取材を兼ねて青森の恐山に向かっていた。同行した編集者の葉山もいたが、会話は多くはなかった。何か話していても、すぐにマントラを唱えるユウキは、積極的に何かにのめり込むことに慎重だった。


 恐山は霊場として有名で、現地の人々も気軽に近寄る場所ではないようだった。窪地になっている現地に近づくにつれ、そのただならぬ雰囲気に圧倒された。多少観光も目的とした愉快な気分でいたが、到着するや直ぐに厳粛な気分となった。恐山は何かそうさせるエネルギーに溢れていた。硫黄の匂いが漂う境内のなかは、灰のような岩石が並び、ところどころに立つ仏像の沈黙も地獄を彷彿させる場所にピッタリであった。これまでは、マントラを唱えた後、生きとし生けるものが幸せになるように、と祈っていたが、これからは生死を問わず全ての御霊が幸せであるように祈ろう。ユウキは感じ、心を改めた。


 東京に戻ったユウキは、徳間夫妻との魂のワークをするためにある駅で待ち合わせた。その日は、もう一人参加者が増えたということで70歳位の白髪の男性が現れた。ヨガの講師を何十年やっているという。僕と同じようにざっくり話を聞いただけで参加を決めたとのことだった。彼は弟子を連れてインドに行った話をした。ユウキは愛想よくそれを聞いていた。


 駅から少し歩いたところに、木造のおそらく昭和からあるであろう築何十年と感じる家に来た。『源道』と古い看板が置かれてある。玄関から中に招かれると、にこやかな老女が迎えてくれた。すぐそこに神道のような神壇があり、横の階段から2階に上がるようだ。神壇に手を合わせて、全ての御霊が幸せでありますように願い、いつものマントラを唱えた。


 上の階には、他に3人の年配の男女がいた。メガネを掛けた男性は、80歳位だろうか。にこやかな人だ。笑顔が染み付いて目が輝いている。

「この度はよくおいで下さいました。どのように、伺っていますか?」

「ざっくりしか聞いていません。でも何か導きだと思いました」ユウキは応える。

「それでここに来られるのは、魂が清いのでしょうね」

「そうありたいものです」ユウキは応えた。

「この儀式は約五千年まえから伝えられているものです。最初は皇帝から皇帝に。そして聖人から聖人へと、一子相伝という形でした。老子や釈迦も含まれています。様々な宗教は救いや真の幸福といったものを伝えています。ここでは、儀式を受けたものが誰でも解脱の道を授かります。これで、輪廻からも解放されます」

解脱や輪廻からの解放というキーワードはユウキがずっと探求してきたことだった。こんな形でやってくるとは。しかし、これでは都合が良すぎやしないか。

「なぜ、受けただけで誰でも解脱できるのですか」

「正確には解脱を約束された人生となります。ここまでたどり着くのは、そういう人です。あなたは色々な状況を選び取ってここまで来たはずです」


 奥の部屋に通された。祭壇には、白黒の写真が2つ並んでいる。一つは坊主頭の男性、優しい目が輝いている。聞けば儀式を執り行う存在で、彼のエネルギーを降ろして儀式をするらしい。もう一つは観音様が生きているときのものだということで白黒写真のように見えたが絵画とのことだった。目の鋭い美女、いや美男子だろうか。


 人間は、現象界、地獄界、天界、をぐるぐると輪廻している。現象界の後たいていは地獄界で罪を精算する。天界も気持ち良いところだが、年月に限界があり、また現象界に降りてくる。この儀式にたどり着きソレを選ぶ魂は、この輪廻から解放されてこの人生を最後に神のもとに帰ってゆく。そのような説明が男性からあった。


 直ぐに、紺一色の丈の長い衣装に着替えた彼らが儀式を始めた。聖句を唱えて、ろうそくに火を付ける。しばらくしてから、自分も祭壇の前に呼ばれ、指示を貰い、解脱の道を受け取ることを誓った。


 シンプルだった。何回かお辞儀をして、儀式の中だけでしか伝えられない聖句を唱えた。ある手の組み方を教えてもらい、第三の目があるという正確な位置を伝えられた。意識は冴え渡っていた。マントラは唱えていなかった。ろうそくが消されたあと、全ての御霊の幸せを願った。マントラを唱えた。


 「今日の儀式の内容は忘れてしまってよいです。貴方は解脱を授かった人間ですので、どうぞその様に生きて下さい」男性は言う。

「その様にとは、どの様な生き方ですか?」

「それは、貴方がもう貴方なりに感じているのではないですか?でも、自殺だけはしないで下さい。数えきれない魂の運命を交差し、この道に辿り着いた貴方を祝福します」

「受け入れます。ありがとうございます」ユウキは答えた。


 その後に、短冊のように3つの木の板に願いを書く機会をもらった。後日、担当者たちがその願いを護摩焚きで成就させるそうである。全ての御霊が幸せであること。世界で活躍するアーティストになること。全ての人類が豊かに暮らせることに貢献できるよう自身も繁栄すること。ユウキは願いを書いて渡した。


 奇妙なことが起こった。それからちょうど3日後に、SNSを通じて初対面の女性から全く同じような魂のワークを受けないかという誘いがきたのだ。何度かやり取りをして分かったのは、『源道』と同じものを伝えるが、分派したグループらしい。後で聞いた徳間さんの話では、彼らに力はないが同じことをしているという。その後またSNSでその女性にメッセージでどちらが本物か聞いても、彼女も自分たちが本物だという。ユウキは、なぜ自分ににそのような連絡をしてきたの聞いた。たまたまSNSの勧めでユウキが上がってきたという返答だった。


「僕は、個人的な導きがあり今回の道を受け取りました。そこに因果を感じています。道を得た日には、個人的な願いも書きました。もし僕の願いがかなっていくなら、そのときは僕の得た道は真実だと思ってください」ユウキは丁寧な言葉で返信した。


 徳間夫妻からは、その後何度か源道の集会に誘われたが、ユウキはその度に、師匠から教わった瞑想と聖句を継続したいと伝えた。


 『禁欲はするな昇欲しろ -おかしな男の成功法則-』何やらテーマを見つけて、ユウキは新作の執筆に取り組んだ。俗な思考や感情は人一倍現れるが、聖句を唱えるとき、この世の全ては幻であり、この物質世界を超えた生き方をしたいと願うのだ。


 彼の解脱の証明されるのであろうか。全ての御霊が幸せでありますように。
























































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