第7話 電話
「烏有、電話」
起きあがると、母親が扉から顔をのぞかせていた。何故か困ったような顔をしている。
「誰から」
「例の、ほら、男の人」
「ああ、波多野さん」
ベッドから降り、部屋を出る。と、母親が呼び止めた。
「ねえ、あの人、どんな人なの? 職業は?」
答えに困って天井に視線を這わす。この前、事件のことでさんざん叱られたばかりだ。それなのに、探偵と連絡を取り合っているなんて言えない。
「うん。公務員ではない」
階段を駆け下り、外れていた受話器を取る。
「お待たせしました」
先程の話が聞こえていなかっただろうかと思いつつ、波多野の反応を待つ。
「烏有ちゃんか。何か質問はないか」
どうやら、聞かれていなかったらしい。
「質問ですか? ええ、あります。波多野さんが到着する以前のことなんですけれど」
「ああ、いなかった奴はいないかというんだろう」
自慢げな声に、烏有は眉をひそめる。
「ええ、いらっしゃったんですか?」
「いや。庄内以外は全員、着替えを済ませてすぐ楽屋を出たそうだ。白鳥は俺の来る前、少しの間、ロビーにいなかったようだが」
「いなかった?」
「そうは言っても、数分だぞ。俺に声を掛ける直前だ。トイレに行くと言って、集団を離れたそうだ」
烏有は無意味に視線を揺らす。波多野に「トイレ」などという単語をはっきり言われると、恥ずかしい。
「そうですか。それで他の方は」
「外していない」
ではやはり、誰も合い鍵を作ることはできない。
そう思ってから、気づく。
「川名さんは、どうしてあの日、舞台装飾をやることになったんですか」
「それか。彼女は元々、あのサークルの会員だったんだ。ソプラノでね」
追い出されたのか、と思いながら、白鳥園子の顔を想像する。
「川名さんは舞台装飾の経験があったんですか?」
「何回か、白鳥に頼まれてな。白鳥は大学時代、スキー部だった。川名さんはその後輩だ。断れなかったんだろうな。でも、あのホールでコンサートをするのは初めてだったから、本番前日、怒鳴られながら練習していたらしいよ。ライトの当て方をな」
だとすれば、舞台のどの位置にライトを当てやすいか、わかっていただろう。
彼女なら、合い鍵を作る余裕がある。波多野が会場に着いてからも、しばらくはロビーに現れなかった。それに、前日に機械室に入っているのなら、ブザーに細工をして、ある時間が来たら鳴るようにすることが出来るかも知れない。
「川名さんは運転免許をお持ちですか」
波多野が、免許? と繰り返した。
「どうしてだ」
「ええ、持っているんじゃないかと思って」
「いや、持っていない」
それでは、川名にも合い鍵を作る時間がない。
思わず、烏有は項垂れた。
「もしかして、今、項垂れてるのか」
余計なことに気づく人だと思いながら、壁を睨む。
「いいえ。ところで、波多野さんはどうして電話を?」
「別に。困っているんじゃないかと思ってさ。ほら、烏有ちゃんは携帯出ないし……というか、あれ、使ってる?」
「ああ」
烏有は天井を仰ぐ。どうせ家にいるのだからと、解約したのを言い忘れていた。
「電話代が負担なんで解約しました」
「そういうことは言ってよ。ほかにわからないことは?」
疑問に答えるために電話をくれたのだろうか。それだけ、波多野は同窓生に思い入れがあるということか。
一刻も早く解決しなければ。
そう思いながら、しっかり受話器を握る。
「質問ならあります。波多野さん、他の人の同窓会報も見ましたか」
「どうしてだ」
「予告文が載っていたんですよね。殺人を開催します、でしたっけ。そんな文章が簡単に同窓会報に載ってしまうとは思えないんです。もしかして、波多野さんに届いた分だけ、偽造したものかも知れないと思って」
波多野が、ああ、それ、と呑気な声で言った。
「それなら、上飯田や汐野の同窓会報も確かめたから大丈夫だろう。他の奴も見たって言っていたからな」
「同窓会報を作った人は、何か言っていませんでしたか。そんなメッセージを載せた理由について」
「卒業生のメッセージを載せる欄だったんだよ。メッセージは大学にある同窓会の担当者まで、手紙かはがきで送られて来る。数が少ないから、去年なんて、こんなメッセージが載っていたぞ。あけましておめでとうございます。皆様のますますのご活躍をお祈りします」
――年賀状じゃないか。
呆れながら、はあ、と曖昧な返事を返す。
「だから、来たものは何でも載せてしまうんだ。例のメッセージも確かめもせず載せたものだろう」
「殺人予告を、ですか? 印刷物なんでしょう? だったら、印刷屋さんが写植しているか、パソコンで打ちだしているはずですよね」
「同窓会の担当者がパソコンで編集して、卒業生がやっている業者に頼んで刷ってもらっているって話だ。業者にとっては、客からもらった原稿が大切だからな。変な内容の文章が載っているからって、削除することは出来ない。同窓会の担当者が考えもなしに、来た手紙を全て載せてしまったらそれまでだ」
少ないのなら、ちゃんと確かめて載せればいいのに、と思う。が、載せてしまったものは仕方ない。
「その手紙は、まだ担当者が持っているんですか?」
「もう警察に提出したはずだ」
それでは、烏有が見ることは難しいだろう。
溜息がてら、わかりました、と答える。
「何かわかったらこちらから電話します」
「どんなことでも俺に言ってくれ。何でも調べられるぞ」
明るい声に、烏有は眉をひそめた。
「波多野探偵」
低い声で呼びかけると、波多野が怪訝そうに、何だ、と言った。
「探偵の方に言うのもなんですけれど、気をつけてくださいね。犯人は密室の中に鍵を置いたり、面倒なことをしたりする性質の人です。波多野さんが調べていると気づけば、第二の殺人を犯すこともいとわないでしょうから」
受話器の向こうで、軽く唸る声がした。何かあったのかと思って呼びかけると、波多野が戸惑ったような声で、ああ、と言った。
「大丈夫。でも、君がそう言うのなら、気をつけるよ」
続いて、曖昧な挨拶が聞こえた。烏有が挨拶を返している途中で電話が切れる。
烏有は受話器を眺めた。
どうして、あんなに
受話器を置くと、天井を見上げて溜息をつく。
このままでは、波多野にも危険が及ぶおそれがある。いや、もう危険が迫っているのかも知れない。
気がつくと、手の平が汗ばんでいた。
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