第5話 地下鉄

 冬の街というのは、どうして無意味に輝いているのだろうと思う。電飾が派手すぎる。まるで、道は恋人たちのためにあって、それ以外の人は端でじっとしていろと言っているようだ。

今朝も母親に、一緒に初詣に行く相手はいないのか、と問いかけられた。答えずに家を出てきたが、烏有にとっては、分かり合えない他人と一緒に神殿に向かって手を合わせるよりは、一人で祈った方がよっぽどマシだった。

烏有は二四歳だ。その歳になると、心の底にある漠然とした不安を、誰かに語ることもなくなる。その不安を解消するために年に一度、行事として祈る。この不安は何によるものか、生きているために不安を感じるというのなら、生きた人間として持っている欲を、私を生かしたまま、少し取り除いてください、と。


 デパートにも店にも寄らず、真っ直ぐ駅に向かう。

空気の悪い改札を抜け、地下鉄に乗り込む。座席に座ると、人の視線が気になった。立ち上がって車両を移動し、ドアにもたれて立つ。ドアのガラスに烏有の顔が映った。疲れた顔をしている。事件が終わってから一か月近く、同じ顔をしていた。


 ガラスから視線を逸らし、鞄から「スワン」のパンフレットを出す。動機の面からすれば、白鳥園子と矢田光が怪しい。が、事件当時、彼らはロビーにいた。

 見取り図に視線を落とし、舞台に描かれた人型を眺める。庄内佳美は座席から近いところに倒れていたようだ。庄内には、照明が当たっていた。


 気になっていることがある。

 ホールの中でブザーが鳴ったことだ。


 機械室がホール内からしか出入り出来ないとなると、犯人はその時点で中にいたことになる。ブザーを鳴らすことは、犯人自身、居場所を知らせるようなものだ。

 ブザーが鳴った時、楽屋の入り口には波多野たちがいた。残りの扉のうち一つはロビーに面していて、客から丸見えだ。もう一つは廊下に面しているから、人目を避けて出入り出来るかも知れない。

 そうなると、庄内の胸ポケットに鍵があった理由がわからない。波多野たちは、すぐに庄内に駆け寄り、鍵を発見している。しかも、鍵は服地から透けて見えていたという。誰もが庄内に触れる前から、鍵がそこにあったということだ。管理人が鍵を開けると同時に入ってきた誰かが、鍵をこっそりポケットに入れることは出来ない。


「じゃあ、ずっとホールの中にいたとか」


 つぶやいてから、慌てて辺りを見回す。地下鉄の乗客たちは誰もこちらを向いていなかったが、何となく視線を感じる。烏有は溜息をつくと、車両を移動した。


 一番端の席に座り、両手でパンフレットを持つ。

 しかし、犯人がホールの中に潜むのは不可能だ、と思考を事件に戻す。

 ホールの鍵は外からしか、かからないのだから。だが、ブザーが鳴った時点では中にいた。鍵の閉まったホールの中に。どうやって?

 何か方法はないだろうか。


 ――例えば、鍵や、遺体が瞬間移動したということは。


 思わず、額を押さえる。そんなことがあるわけがない。

 犯人を探す方法はもう一つある。同窓会報だ。予告文を送って来た人物を見つければ手がかりになる。この前の事件でそうしたように、手がかりを追って探し回れば。


 そこまで考えて、頭を振る。

 もう、嫌だ。


 ここ数週間、何度となく思った。事件から立ち直らなければならないのはわかっている。だが、身動きがとれない。一人になれば事件を思い出す。雑踏に出れば全てが面倒だ。

けっきょく部屋にこもって、既に読んだ本の頁を繰り返しめくることしかできない。結末を知っている物語をなぞることで、事件から意識を逸らす。それだけだ。


 繁華街から烏有の降りる駅までは、三〇分近くかかる。車内に揺れる吊り広告を眺めて、事件を頭から追い出す。

週刊誌の広告があった。センセーショナルな書き方をした見出しがゴシック体で並んでいる。どこの役所が不正をした。どの政治家がどんなことを言った。そんな記事だ。呑気なのは、今からでも間に合う正月の宿という記事くらいなものだ。

 ふと、温泉に行きたい、と思った。が、すぐに考え直す。他人と一緒に浴槽に入るなど、今の烏有に出来るはずがない。

 ぼんやりしていると、辺りが明るくなった。

 地下鉄東山線は、終点の藤が丘に着く前に地上に出る。急に日光を浴びると、人々は大抵、少し顔を上げる。同時に落ち着かない様子で、降りる準備を始める。

 烏有もせかされたように席を立ち、ドアの前に立った。

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