第4話 依頼
「庄内佳美は、舞台の上に仰向けに倒れていた。俺たちは彼女に駆け寄った。まず、目に付いたのは、シャツのポケットに入っていた鍵だ。薄い生地だったんで、透けて見えたんだよ。取り出してみると、ホールの鍵だった」
「何故、ホールの鍵だとわかったんですか? キーホルダーでもついていたとか」
「いや、『ホール』と書いた古い手書きのシールが貼ってあるんだ。ともかく、俺たちはすぐ、彼女の容態を確かめた。首に、しっかりと手形がついていた。かなり酷く絞められたようだったが、まだ息があったんで、俺と上飯田で彼女を運び出すことになったんだ」
烏有はうなずきながら、波多野の首筋を眺める。確か、上飯田という人も筋肉質な男だったはずだ。
「亀島が扉を開け、汐野が野次馬をどかせた。混乱した中浜が、庄内に駆け寄ってな。白鳥が中浜を引き戻す隙に、俺たちは慌てて庄内の体を持ち上げた。その瞬間に、彼女のポケットから鍵が落ちた。俺は、それを拾い上げて、庄内をロビーに運んだ後、試してみたんだ。扉を開け閉めしてみたが、やはり、ホールの鍵だった」
波多野がマグカップの中のコーヒーを飲み干した。
「ホールを開けられる鍵は、マスターキーとホールの鍵だけだ。それらの鍵は、管理人が肌身離さず持ち歩いている。ホールを借りる人は当日、開演一時間前に管理室に取りに行く。前日にリハーサルがあるが、この時は管理人が開け閉めする」
それでは、事前に合い鍵を作るのは難しそうだ。
内心溜息をついていると、波多野が身を乗り出した。
「謎を解いてみてくれないか。この前の事件みたいに」
「警察が捜査しているんでしょう?」
「彼女が鍵を持っていたんで、自殺じゃないかって言っている。首に手の形をした痕があって、外からしか閉まらないホールの鍵がかかっていたにもかかわらず、だ」
もし、それが本当ならば怠慢だ。しかし、誰がいくら隠したところで、真相というのは自分から浮かび上がってくる。先日までかかわってきた事件のように。
それに、今回のように大勢の目の前で起こった犯罪ならば、全員が事件に対して口を閉じてしまうこともないだろう。警察が最終的に自殺と判断するとも思えない。関係のない烏有が事件に首を突っ込む必要はなかった。
「済みません、今日は、この辺で」
アイスティーを飲み干し、立ち上がる。
「待て」
腕をつかまれ、引き下ろされる。
「おまえ、近頃、新聞もテレビも見ていないだろう」
思わず眉を寄せる。確かに、近頃そういったものは見ていない。事件以降、何をする気にもなれなかった。
「それが、何だって言うんです」
「そうだろうと聞いただけだ。とりあえずこれを見ろ」
目の前に出された白い紙を、少し体を反らして眺める。
二つ折りにしたA4の紙だった。紙には八角形が描かれていた。八角形には扉らしきものが三つあり、中には「舞台」と書かれた部分がある。舞台は八角形をしているようだったが、図では楽屋に続く部分がつないで描いてあった。まるで逆さまにした照る照る坊主のようだ。
舞台の南端には、人の形が描かれている。
「会場の見取り図だ。八角形の内側にある線は座席だと思ってくれ。ホールを囲うように廊下がある。北側には駐車場があって、そばに搬入口がある。ロビーはホールの東側だ。その北側に管理室とトイレがある。汐野が座っていたのはロビーの南側にある喫煙所の椅子だ。舞台を見てくれ。人の形が描いてあるだろう。そこに、庄内佳美は倒れていた」
波多野は様子をうかがうように、烏有を見た。
「事件以前に楽屋に入ったのは、サークルの会員だけだ。着替えのために一度入ったんだ。その後、雑用を任されていた庄内を残して、皆、外に出た。開演中の舞台装飾を頼まれていた川名さんが、会場一〇分前に楽屋を訪れた時には、既に鍵がしまっていた」
それだけ言うと、テーブルに見取り図を置いて立ち上がった。途端、風が起こって紙が飛ばされそうになる。烏有が慌てて押さえているうちに、波多野は伝票を持って店を出ていってしまった。
烏有は溜息をつくと、見取り図が描かれた紙を手に取った。見取り図の上には、矢田光や白鳥園子の名前が書かれている。紙を表に返すと、凝った字体で「スワン」と書かれていた。
パンフレットを鞄にしまい、席を立つ。
後悔していた。家に閉じこもっているつもりだったのに、外に出たことを。半年以上、何だかわからないややこしくて不快なもの、つまり事件にかかわって来た。事件は終わっても、烏有の中に残った重たい気持ちは消えない。今日も、波多野の誘いでなければ外に出なかった。
波多野とは事件で知り合った。事件の記憶を共有する唯一の人でもある。そして、彼に対する借りもある。
「仕方ないか」
軽く頭を振ると、烏有は鞄を肩に掛け、店を出た。
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