三.ペテン師
加護山博士が亡くなった。
加護山博士は世界各地の天文台が受信した不思議な信号を宇宙からのメッセージだと考え、その解読に成功した偉大な科学者――となるはずだった。史上初めて未知の知的生命体からの言葉を聞いた人類となるはずだった。
加護山博士が解読したメッセージの内容は、世界中の科学者と共用され、検証が行われた。「単なる偶然に過ぎない。宇宙からの雑音を拾っただけだ」と加護山博士の説を一笑に付す学者もいたが、世界中のほとんどの科学者は加護山博士の説に刮目した。
加護山博士の盟友、アメリカのディアス博士は「宇宙の素は既に地球に飛来している」と考え、「一刻も早く宇宙の素を探し出して、ブラックホールに送り返さなければならない」と唱えた。
科学者たちが一斉に、各国政府の首脳に対応を迫った。
日本では高橋総理が積極的に各国首脳と会談を行い、宇宙の素の探索への協力を訴えた。アメリカやイギリスなど、世界中のほとんどの国が協力を申し出た。
地球規模の危機が発生したのだ。各国は協力して宇宙の素を探し求めた。
誰も宇宙の素を見たことがない。恐らく丸い形をしているであろうことは想像できたが、それがどんな大きさで、どんな色をしているのか分からなかった。
とにかく、地球に飛来した隕石を探し出して、それを分析する作業を続けるしかなかった。
宇宙の素の探索は困難を極めた。
一年経ち、二年経ち、五年経っても、宇宙の素は見つからなかった。
「宇宙の素はまだ地球に届いていないのでは?」という楽観論が広まった。
高名な科学者が「地球の表面の七割は海だ。宇宙の素が海に落ちたとすると、探索は難しい。それに、海に落ちたとすると、深海ではかなりの水圧がかかることになる。宇宙の素が破裂する可能性は低のではないか?」と唱えると、それに同調する意見が多かった。
そして、この頃から、「本当に宇宙の素なんてあるのか?」、「そもそも加護山博士が解読したと主張する宇宙からのメッセージは本当に宇宙人からのメッセージだったのか?」という問題が蒸し返され始めた。
巷では、宇宙の素として、怪しげなものが売買され始めた。宇宙の素と称して、石を丸く磨き上げて、研究機関に売りつけようとする者や、宇宙の素を我が物にしたいというコレクターまで現れる始末だった。
宇宙の素が見つかった!――というニュースが世界中を駆け巡ったことも、一度や二度ではなかった。その度に、綿密な化学分析が行われ、宇宙の素かどうかの検証が行われた。その結果、全てが地球上の鉱物か普通の隕石だという結論だった。
甚だしきに至っては、人工的につくられたものを「これが宇宙の素だ」と主張するものさえ現れた。何時しか、宇宙の素は怪しげで、いかがわしいものだというイメージがついてしまった。
加護山博士の解読から十年が経った。
この頃、加護山博士のことを、 “史上最大のペテン師”だと批難する者が現れた。
「博士は科学者としての名声を追い求めるあまり、ありもしない宇宙からのメッセージを作り上げ、世界中に広めたのだ!」
加護山博士は世論のパッシングを浴びた。
加護山博士の言葉に乗って、世界中を混乱に陥れたとして、当時の総理大臣だった高橋は選挙に落選し、政治生命を絶たれた。
博士の輝かしい業績は全て唾棄された。
加護山博士の一番弟子、神田博則は、「博士は間違ってなどいない。我々、人類がこの地球上で繁栄を続けたいのなら、宇宙の素を探し出さなければならない!」と主張した。
だが、加護山博士は「神田君。もう良い。私が間違っていたのなら、それで良い。むしろ、そうあってくれと今でも願い続けている。宇宙の素なんて、存在しない。その方が良い。心からそう願っている。だがもし、もし、本当に宇宙の素が存在するのなら、それを君たちが、いや、君の代で見つからなければ、君の後輩たちがブラックホールへと送り返すのだ」と言い残して、学会を去った。
あれから二十年、加護山博士がメッセージの解読に成功してから、三十年が経っている。今、神田は加護山の後継者として、科学技術庁で研究グループを率いていた。世間の関心は薄れてしまったが、宇宙の素を探索するプロジェクトは細々と続いていた。神田はそのリーダーなのだ。
加護山が亡くなったという知らせを受けた。
世間からのパッシングを浴び、晩年は人目を避けるように暮らしていたと言う。それでも、愛妻に見送られての静かな最期であったと聞いた。
葬式は身内だけで執り行われた。
神田は加護山の自宅に足を運んで、仏前で手を合わせた。
(加護山先生。申し訳ありません。私は先生のお説を未だに証明することができていません。全ては私の不徳の致すところです。あの世で先生に合わせる顔がない)
仏壇に飾られた加護山の写真は屈託のない笑顔を浮かべていた。その笑顔を見た時、(先生は、私たちがいつかきっと宇宙の素を見つけ出して、ブラックホールに送り返すことを信じて疑っていなかったんだ)と思った。
そして、一年後。
神田のもとに、驚愕の知らせが届く。
――香港で宇宙の素が見つかった。
という知らせだった。
香港科技大学に持ち込まれた丸い石のような物体を調査したところ、宇宙の素である可能性が高いと言うのだ。
神田は香港へ飛んだ。
レスリーはカーテンをいっぱいに開けると、ソファーに腰を降ろした。
窓から屯門の夜景が見える。
住み慣れたこのマンションを、今月いっぱいで出て行かなければならない。父親と二人で住んでいたのだが、その父、トニーが先月、亡くなったからだ。
レスリーには兄のアンディと姉のシンシアがいる。
出来の良い兄、姉で、アンディは香港政庁に勤める役人だ。シンシアは外資系の保険会社に勤務している。二人共、大学卒業と同時に家を出て、結婚し、家庭を築いている。
レスリーは兄や姉に似ず、問題児だった。
大学を卒業した年に、母親が亡くなった。病死だった。母親の死にショックを受けたレスリーは就職戦線に乗り遅れた。鬱々と母親を思って日々を過ごすレスリーを父は優しく見守ってくれた。
「父さんはレスリーに甘いんだよ!」
アンディはそう言って、父親を責めた。
トニーにとっても、最愛の連れ合いを亡くしたことはショックだった。「母さんなしでは、やって行けない」と二人で始めた乾物屋を畳んだ。
幸い、茘枝角と西貢にもマンションを持っていて、人に貸していて、家賃収入があった。二人で慎ましやかに生きて行くには困らなかった。
以来、二人は屯門のマンションで、時が止まったかのような生活を送っていた。
レスリーが働かないことに、父は「気にするな。アンディやシンシアは母さんに似たようだが、お前は父さんに似てしまったようだ。父さんは母さんがいたから、頑張れた。母さんがいなくなると、もうダメだ。何もする気が起きない。お前にも何時か、母さんみたいな女性が現れるさ」と言って理解を示してくれた。
そんな父が亡くなった。
父親が亡くなると、アンディとシンシアが乗り込んで来た。
「レスリー、父さんの遺産は三等分しましょう。このマンションと茘枝角、西貢のマンションを売って、そのお金を三人で分けるのよ」とシンシアが言った。
「レスリー。お前も良い年だ。働け。俺が仕事を探しておいてやった。アパートも探してやる。来月からそこで働くんだ。いいか、これからは俺が親代わりだ。俺に面倒を掛けるなよ」とアンディが言った。
レスリーに発言権はなかった。「父さんが大事にしていた黒曜石はどうなるの?」と聞くのがやっとだった。
「父さんが大金を払って買ってきたんだ。値打ちものだろう。あれも売り払う」とアンディが冷たく答えた。
トニーは若いころ、乾物屋に加え、マンションを転がすことで随分、羽振りが良かった時期がある。香港島や繁華街のある九龍にマンションを持っていたことがある。
その頃、タイに遊びに行った。そして、タイの華僑の間で話題になっていた真っ黒な石を買って持ち帰ってきた。
随分、値が張ったと言う。
「黒曜石の一種だ」とトニーは言っていた。
黒曜石はマグマが急速に冷えて固まってできた火山岩だ。宝石の一種だ。
トニーはリビングのソファーに座り、タイで買ってきた真っ黒な石を飽きもせずに磨いていた。レスリーが隣に座って見ていると、トニーが言った。「レスリー、この石はお前みたいなものだ。こうして磨けば磨くほど光る。それにほら、こうして太陽に翳してごらん。中で何かキラキラと光っているだろう。お前もそうだ。お前の中にはキラキラと光るものが詰まっているはずだ」
黒い石はレスリーにとって思い出の品なのだ。そのことを言うと、「甘えるな! 宝石が欲しければ、自分で働いて、稼いで買え!」とアンディに怒鳴られてしまった。
「お父さん、これ、タイで二万ドル払って買ったって言ってなかった? 今だったら、一体、いくらくらいするんだろう?鑑定してもらいましょう!」そう言ってシンシアは黒い石を持って行ってしまった。
こうなることは分かっていた。強欲な兄と姉が黒い石のことを忘れているはずがない。
トニーが亡くなった時、レスリーは黒い石をハンマーで打ち砕いてしまおうとした。父親の思い出と共に葬り去ってしまいたかった。
だが、できなかった。父親との思い出まで打ち砕いてしまうような気がしたからだ。
シンシアは黒い石を街中の宝飾店に持ち込んで、鑑定を頼んだ。
宝飾店は途方に暮れた。
今までに見たことがない石だったからだ。無論、黒曜石などではなかった。宝飾店は「この石は一体、何なのか?」と香港科技大学に鑑定を依頼した。香港科技大学で分析を行ったところ、「地球上の物体ではない。隕石とも思えないし、ひょっとして、この黒い石は宇宙の素なのではないか?」と疑念が湧いた。
香港科技大学で、更に詳細に分析調査が行われた。そして、この黒い石は一見、岩石に見えるが、原子で構成された物質ではなく、エネルギーが極度に圧縮されたものであるという分析結果が出た。
黒い石は宇宙の素であると確定された。
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