四.カントリーロード計画
三十年以上も前に計画され、その後、凍結されていた“カントリーロード計画”が再稼働することになった。
カントリーロード計画――それは、宇宙の素をブラックホールへと送り返す計画だ。
神田は香港へ飛んだ。
その目で宇宙の素を確認しておきたかった。
香港科技大学に着くと、既にアメリカからディアス博士が来ていた。齢八十を超えているはずだ。車椅子に乗った博士は神田の顔を見ると、相好を崩して言った。「ああ、神田博士。ついに、ついに我々は宇宙の素を見つけだしましたぞ。加護山博士の説は間違いなかった。我々は間違えてなどいなかった。ああ~加護山博士が生きている内に、宇宙の素を発見したかった。加護山博士に一目、宇宙の素を見せてあげたかった」
加護山の盟友、ディアス博士も「インチキ学者」として、世間から激しいパッシングを浴びた科学者の一人だ。加護山の胸の内を最も理解している人物と言えた。
早速、二人は香港科技大学のアーロン教授の研究室を訪ねた。アーロン教授が責任者となって宇宙の素の分析、研究を行っている。
アーロン教授は「ディアス博士、神田博士。ようこそいらっしゃいました。先ず、宇宙の素をご覧ください」と二人を大学の外にある建物の地下にある研究室へと案内した。
巨大な金庫のような場所だった。
実際、銀行の地下金庫として使われていた場所だと言う。
「もし、宇宙の素が膨張を始めてしまった場合、この金庫に閉じ込めてしまおうと考えたのです」とアーロンは言う。
「そんなことが可能なのかね?」
ディアスが尋ねると、「無理でしょう。宇宙の素はダークマターとダークエネルギーが極度に圧縮された状態にありです。太陽系がすっぽり入るくらいの宇宙がゴルフボールの大きさに圧縮されているようなものです。もし、宇宙の素が膨張を始めてしまったら、こんな施設、ひとたまりもありません。いや、地球でさえ、膨張に巻き込まれ、粉々になってしまうでしょう」と答えた。
研究室の中央、透明の強化プラスチックの箱の中に宇宙の素はあった。
「手に取っても構わないかね?」
「放射線や有害なエネルギーは確認されませんでした。宇宙の素は完全に安定した状態にあります。今時点で危険はありません。外ならぬお二人です。特別に許可しましょう」
アーロン教授は箱の中から宇宙の素を取り出すと、卵でも扱うかのように、宇宙の素をそっとディアス博士の手のひらの上に置いた。
「おうっ!これが――」ディアス博士が叫ぶ。
博士は万感の思いを込めて、宇宙の素を見つめていた。やがて、「神田博士。これが宇宙の素です。加護山さんが探し求めていた宇宙の素なのです」と言って、神田に宇宙の素を差し出した。
神田が手に取る。
思っていたより、ずっと小さかった。そして、固かった。
アーロン教授が言った。「カントリーロード計画の実行を急がなければなりません。何時、宇宙の素が崩壊を始めるのか、誰にも予測がつかないのです。今日かもしれないし、一万年後かもしれない。とにかく、宇宙の素を一刻も早くブラックホールに送り返す必要があります」
アメリカ、ロシア、中国が協力して宇宙ロケットを作り上げた。ロケットは「希望の光(ライト・オブ・ホープ)一号」と名付けられた。
宇宙は広大だ。地球から一番、近いブラックホールでさえ、太陽系から千光年離れたところにある。光の速度で千年かかる。その場所を正確に把握し、宇宙の素を送り届なければならない。
更に問題なのは、宇宙の素が何時、崩壊を始めるか分からないことだった。最新鋭のロケットを使用したとしても、地球からブラックホールに到着するまで、二千万年かかる計算になる。その間、宇宙の素が崩壊を始めないと言い切れない。
宇宙の素がブラックホールに到着する前に、崩壊を始めてしまうと、宇宙内部で膨張が始まり、その歪が生じてしまう。太陽系内で宇宙の素が崩壊を始めてしまった場合、太陽系の星々は膨張に巻き込まれ、散り散りになってしまうかもしれない。
エステノイザの知的生命体が宇宙の素の放出に失敗し、住み慣れた星を捨てることになったことが頷けた。
希望の光一号の内部には、宇宙の光を安定化させる為、高圧の部屋がつくられた。宇宙の素は宇宙が圧縮されたものだ。高圧の部屋に入れておいた方が、崩壊を遅らせることができると考えられたからだ。
「残念ではあります。もう少し、宇宙の素を研究してみたかった」
アーロン教授の言葉に、神田も同意見だった。
許されるものなら、あらゆる角度から宇宙の素を分析、研究してみたかった。エステノイザの知的生命体も同じことを考えたのかもしれない。それが宇宙の素の崩壊を招いてしまった。
希望の光一号がアメリカのケネディ宇宙センターから打ち上げられた。
打ち上げは成功し、希望の光一号はブラックホールに向けて航行を始めた。管制センターに集まった世界中の科学者や技術者から歓声が上がった。だが、計画が成功したかどうか分かるのは二千万年後だ。
心の底から喜べないことは、誰もが分かっていた。
(加護山先生。先生の言葉通り、私たちは宇宙の素をブラックホールへと送り出しました。人事を尽くして天命を待つ。先生、どこからか希望の光一号を見守っていてください)
希望の光一号の打ち上げを見守る為に、管制センターに招待された神田は天に祈った。加護山は後事を託して逝ってしまった。加護山が見守ってくれるような気がした。
ディアス博士は体調を崩して、ロケットの打ち上げを見ることができなかった。神田は打ち上げの成功を祝うべく、ディアスに電話をかけた。
やるべきことはやった。皆、そう思った。
エステノイザの天文台がメッセージを受信した。
「はあ、はあ。メスター総統。宇宙の素が見つかりました!」
ハイラ天文省長が息を切らしながら、総統室に駆け込んで来た。
「何! 宇宙の素が見つかったと言うのか‼」メスター総統は椅子から飛び上がった。
「我々が送ったメッセージに返事があったのです」
「なんと。それで解読は?」
「メッセージは我々の言語で送られて来ました。どうやら文明の進んだ星の住人のようです。宇宙の素を積んだロケットがブラックホールに向けて航行中です」
「そうか。直ぐに回収船を送れ」
「既に手配済です」
「でかした。これで、我がエステノイザは連邦の宗主国として君臨できるぞ!」
「はい。我がエステノイザに栄光あれ!」
「エステノイザに栄光あれ!」
メスター総統とハイラ天文省庁は拳を突き上げながら叫んだ。
メスター総統がにやりと笑いながら言った。「しかし、馬鹿なやつらだ」
「宇宙の素について、何も知らないのでしょう。あんな、でたらめな我々のメッセージを鵜呑みにしたようです。ふふふ。嘘ばかりを書いた訳ではありませんが」ハイラ天文省庁は不適に笑った。
ブラックホールは星をつくる。そして、時に宇宙の素をつくってしまう――それは嘘ではない。ブラックホールは宇宙の素をつくると、それを吐き出して、跡形もなく消えてしまう。エステノイザの科学を以てしても、何時、宇宙の素が出来上がり、何時、吐き出されるのか予測することは不可能だった。
ブラックホールに近づくことなど出来ない。遠くから見守るしかないのだ。
そして、ある時、ブラックホールが消えてしまったことに気がついた。エステノイザの天文省は焦った。宇宙の素を吐き出したのだ。吐き出された宇宙の素は光の数万倍の速度で進む。既に遥かかなたに飛び去ってしまったはずだ。
エステノイザの天文省は宇宙の素を追った。この広大な宇宙でゴルフボール大のものを探そうと言うのだ。干し草の中から針を探すどころではない。天文省の総力を結集しても見つけ出すことは不可能に近かった。
だが、宇宙の素の進路を予測することは出来た。進路を予測し、探索船を派遣した。
――宇宙の素を有するものは宇宙を制す。
そう言われていた。
「ついに我々は絶対にして最強、最悪の究極武器を手に入れるのだ」メスター総統は感無量の様子だった。
そう宇宙の素は世界どころか宇宙を滅ぼす究極の武器となるのだ。ブラックホールで生成された宇宙の素が自然に崩壊することなどない。だが、人為的に崩壊させれば、強力無比な武器となるのだ。
宇宙規模の核兵器と言えた。持っているだけで、誰も逆らえない。
だから連邦の大国で、盟主を目指すエステノイザは宇宙の素と探し続けていた。それを手に入れることなど不可能だと分かっていても。
宇宙の素は宇宙を漂い、やがて重力に引っ張られ、どこかの星に落下する。ダメ元だったが、その可能性のある星にメッセージを送っていた。宇宙の素をブラックホールに送り返し、返事をくれと。
「地球というのか、その星は。文明があるのなら、我がエステノイザの属国にしてやろう」
メスター総統は喜びのあまり、その場で踊り出した。
了
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