磯浜村の周郎
――おや。平家物語もいいが、今宵は客人がいらっしゃるので、何か別の面白い物語を頼みたいとおっしゃるのでございますか? そうですか。今宵は巻の七、「
今宵のような蒸し暑い夜におあつらえ向きのお話でございます。きっと、お気に召していただけると思います。
さあ、物語を始めましょう。
昔、昔のお話でございます。京の都から二十二里、丹後国
岩ばかりが目立つ、耕すところも無い貧しい村でございました。
その磯浜村に太郎という漁師が住んでおりました。大層、美しい若者で、漁で鍛え喘げた鋼の肉体が日焼けして黒光りしているような若者でございました。村の女たちは、この美しい若者に熱を上げていましたが、太郎は村の磯臭い小娘たちに興味がございませんでした。何時か、花の都にいるという羽衣を纏った天女のような姫君に会ってみたいと、太郎はそう思っておりました。
琵琶の音に合わせて、法師の語りが続く。
「他国者だ。他国者が村に入り込んだ」、「夜盗の手先かもしれん。
村人たちが額を寄せ集めて、相談していた。
どうやら、見知らぬ男が村に迷いこんだらしい。村人に見つかって、捕まったのだ。最近、盗賊がこの辺りを荒らしまわっている。このところの飢饉で、食い詰め者が盗賊へと身をやつしているのだ。隣国の竜神山という山に群れ集まり、所帯が膨れ上がっていると聞く。
余所者には神経質にならざるを得ない。
「おう。太郎よ。お前、腕っぷしに自信があるだろう? 村長を呼んでくるまで、悪いが、こいつを見張っていていれないか?」と、簀巻きにされた男を渡された。
「うん」と太郎がうなずく。
村人は男を太郎に預けると、係わり合いを避けるかのように、ぞろぞろといなくなった。
太郎と二人切りになると、男が言った。「兄ちゃん。太郎って名前なんだな。俺は亀助、亀って呼んでくれ。なあ、兄ちゃん、俺は盗賊なんかじゃない。たんなる旅人だ。道を間違えて、この村に迷いこんだだけよ。なあ、見逃してくれねえか?」
「間違えたも何も、旅人が迷いこんでくるようなところじゃねえ。こんな何もない村に何の用事があるんだ? 山賊の一味に違いない」
「本当に道に迷ったんだ。信じてくれ。おりゃあ、
「本当か?」亀の話に耳を傾けたのが良くなかった。
口の達者な男で、とめどなく話しかけてくる。会話の端々から、亀は太郎がこの村での生活に飽き飽きしていて、冒険を求めていることを感じ取った。
亀が言った「竜神山のやつら、荒っぽいこともしているらしいが、もとは食い詰め百姓よ。女子供も多くて、しかも、美しい女が山の主として、荒っぽい男どもをまとめているそうだ。音宮の姫と言って、京の都でも滅多にお目にかかれない、それは、それは、美しいおなごだと言う」という言葉が決め手となった。
太郎は、その山の主に会ってみたいと思った。
「分かった。見逃してやろう。だけど、ひとつ、頼みがある。その山の主とやらに会ってみたい。竜神山に、連れて行ってくれないか?」
「ああ、お安いご用だ」と答えたところから見ると、亀はやはり山賊の一味だったようだ。
太郎は亀の縄を解いた。そして、村人の眼を盗んで、二人で逃げ出した。
竜神山は堀が穿たれ、土塀が積まれ、要塞化していた。ちょっとした城塞だ。
「おれだ。亀だ。開けてくれや」と亀が言うと、槍を持った門番が門を開けてくれた。
やはり亀は山賊の仲間だった。
亀が言う。「お山の主を音宮の姫という。不思議なお方でな。何でも見通すことでできるのじゃ。何処に食糧があるのか教えて下さるし、役人どもが攻めかけてきた時だって、事前に教えてくれた。だから、やつらをうまく追い払うことができた。ここだけの話、音宮の姫はよんどころない貴族の落としだねだって話だ。だから、そこはかとない品がある。音宮の姫にはな。頼りになる弟君がいらっしゃる。姫の右腕として、荒事は全て、ご舎弟がお引き受けなさっている。名を
「項王? 王なのか?」太郎が首をひねる。
「はは。そう自分で言っているだけだ。何でも、
亀は「ひっひっ」と笑った。
竜神山について早々、太郎は項王に呼ばれた。
「心配するな。新顔は、一度、項王に挨拶しなければならない決まりだ。どこの持ち場に回されるのか、項王が直接会って、お決めになる」と亀が教えてくれた。
山城の中心部、廃寺でもあったのか、御堂を改装した館に通された。庭に座らされ、「頭が高い!」と館を警備する番兵どもに無理矢理、平伏させられた。
やがて、床板をみしみしときしませて、誰かがやってきた。そして、「面を上げよ」と野太い声が頭上から落ちてきた。
顔を上げると、六尺はありそうな大男が目の前の階段に、胡坐をかいて座っていた。まだ、若い。太郎と変わらない年齢だろう。腕が丸太のように太かった。これが噂の項王だ。
「おぬしが、亀が連れてきた男か? 磯浜のものだそうだな。名は何という?」
「太郎です」と答えると、「太郎か。平凡な名だ。うん? よく見ると、おぬし、涼やかな顔をしておるの。これからは周郎と名乗るが良い」と項王が言った。
「周郎ですか?」
「そうだ。喜べ。中華の大地で三つの国が争った時代に、南方の呉という国で軍を率いた智謀の将軍の名前だ」
項王がそう言った時、背後の戸が開いた。
若い女御が立っていた。美しい。音宮の姫だろうか? 女御は項王に顔を近づけると、「項王、ちょっと・・・」と何事か耳打ちした。項王は「姉上が、また、のぞき見されていたのだな」と眉間に皺を寄せた。のぞき見? 女御は音宮の姫ではなさそうだ。
何処からか庭をのぞき見していたらしい。
女御が堂に消えると、「周郎。ちょっと来い!」境内に項王の怒声が響いた。
番兵がやってきて、左右から腕を持って太郎を立たせると、昼間でも薄暗い堂内に連れて行った。今度は床に座らされた。隣で胡坐をかいた項王が「ほれ、頭を下げろ」と太郎の頭を押さえつけた。
堂内に春の香りが匂った。
奥に据えられた畳の間に、誰かが座る気配がした。項王が言う。「姉上、のぞきはお止めなされ。ほれ、周郎をお連れしました」
「市や。そうずけずけと申すな」
「姉上、市と呼ぶのはお止め下さい。項王とお呼び下さい。ほら、顔をあげろ」
太郎が顔を上げると、畳の上に天女のような女性が座っていた。項王に耳打ちした女御も美しかったが、目の前の女性は人であることが信じられないほど、はかなげで美しかった。
「周郎。今日からお前は、姉上にお仕えするのだ。姉上の言うことを聞き、姉上の身に危険が及びそうになれば、お前が身を以て防ぐのだ。分かったな」項王がそう言い渡した。
夢のような暮らしが始まった。
音宮の姫に仕えるということは、男娼と同じだった。姫の求めに応じ、満足させることが太郎の仕事だった。小枝のようにか細い姫のどこに、そんな力があるのかと思えるほど、激しく太郎を求めた。姫の手ほどきを受けながら、経験の浅い太郎は懸命に姫の求めに応じ続けた。
姫は名を音と言い、姫の話では、音と市の姉弟は小作人の子であったらしい。
一時期、両親は京の町の下級貴族の屋敷で
やがて、両親は屋敷を辞して村に戻った。そして村は盗賊に襲われた。両親は殺され、音と市の姉弟は山に逃れた。それが竜神山だった。
ここで成長する間に、親を亡くしたわっぱたちが集まって来た。わっぱたちは長じて、盗賊となり、山を要塞化した。音は音宮の姫となり、市は項王と名乗った――腕枕で、姫はそんな話をしてくれた。
姫の相手をしているだけの毎日に、飽きてきた。姫は「およしなさい」と言うのだが、項王にしのぎに連れて行って欲しいと頼んだ。
城塞に巣くう者たちを食べさせなければならない。時に項王は手下を連れて、しのぎに出かけて行く。
「お前に人が斬れるか?」と項王が聞く。
「斬れる――と思います」と正直に答えると、項王は「かか」と笑い、「最初は小便ちびって逃げ回るだけだ」と言う。
「村人を襲うのではないのですね?」
「俺たちは貧しい者の味方だ」
京に運ぶ年貢米を奪うのだと言う。無論、京の貴族も略奪を警戒し、武者どもに年貢を護送させている。「武者どもを相手にしていては、命が幾つあっても足りない」と項王が言う。
部隊を二つに分け、ひとつが囮となって、武者たちを誘い出す。その隙に、別動隊が年貢米をくすね盗るのだ。太郎は別動隊に加わることになった。
項王が囮部隊を率いる。斥候を放ち、年貢米の輸送路を探る。音宮の姫のお告げということになっているが、四方に走らせた斥候たちが情報を持ち寄ってくるのだ。
年貢の輸送部隊を発見した。荷車に山積みされた年貢米が運ばれてくる。周囲を馬に乗った武者が固めている。
別動隊が後方より忍び寄り、囮部隊が正面に回る。
「ヒューイ」と鳥の鳴き声を真似た合図により、囮部隊が正面から年貢米を襲撃する。直ぐに、護衛の武者たちが囮部隊に襲い掛かる。
「引け~! 引け~!」項王が怒鳴る。囮部隊が散り散りになって逃げ去る。武者たちを分散させることが目的だ。武者たちを引きつけながら、逃げなければならない。相手は馬だ。囮部隊は命がけだ。
だが、囮部隊が散り散りになるのを見ると、荷車の側に陣取っていた大将らしき武者が、「深追いはするな!」と一喝した。武者たちがわらわらと馬を返す。
敵の方が一枚上手だった。盗賊を成敗することが目的ではない。年貢米を守ることが目的だ。敵の大将はそのことがよく分かっていた。
略奪は失敗に終わった。別動隊は出番がなかった。
「なあに。上手く行く方が稀だ」と項王は気にもしていなかった。
年貢米の襲撃に失敗してから数日後、山が大いに湧いた。
山を出て行った項王と手下たちが、大量の糧食を抱えて戻って来たのだ。今回、太郎はしのぎに呼ばれなかった。
早速、城のあちこちで宴会が始まった。
酒と女で、館の外は大騒ぎだった。館内でも境内で項王を中心に、頭たちの宴席が厳かに行われていた。太郎も宴席に呼ばれ、久しぶりに亀の顔を見た。「今回の件では、おれが一番の功労者だ」ということで、頭たちの宴席に呼ばれたそうだ。
「太郎、いや、周郎と呼ぶそうだな。お前、随分、羨ましい身分だな~」と亀が羨望の眼差しを向けてきた。
「はは」と笑って胡麻化すと、「だけど、気をつけろよ。お前が初めてじゃないからな」と意味深なことを言った。
「俺が初めてじゃない?」
「ふふ。言わぬが花よ。まあ、今の内にせいぜい、楽しんでおくが良い。音宮の姫に飽きられたら、それで終わりだ」
「どういうことだ?」と問い詰めても、亀はそれ以上、何も答えなかった。
――自分が初めてではない。前にも俺と似たような男がいたというのか⁉ 前に男がいたとしたら、そいつはどうなったんだ?
太郎の胸に疑念が広がった。だが、怖くて音宮の姫には聞けなかった。
悶々と夜を重ねた。太郎の隣で、姫は屈託のない顔で寝ている。「お前のことは離さない」と言ってくれる。天女のような姫が、自分に危害を加えるはずがない。そう信じるしかなかった。
――と、突然、「きゃっ!」と悲鳴を上げて、姫が飛び起きた。「いやよ。止めて、殺さないで――!」と胸をはだけながら取り乱し、わめき続けた。
「姫よ、姫。どうか落ち着いて下さい」太郎が姫をなだめる。
ようよう気を落ち着けた姫は「市を。項王を呼んで――」と言う。太郎は項王を呼びに走った。館の一室で、項王は女二人を両腕に抱えながら寝ていた。夜中にたたき起こされて、不機嫌な顔をしながら、姫のもとに向かった。
「市よ。項王よ。もう、終わりじゃ」と姫が言う。
「何が終わりなのです?」
「恐ろしきものたちが、われらを退治にやって来るのじゃ」
「恐ろしきもの?」
「武者どもよ」と姫が言う。「今までのような下っ端役人などではないぞ。武芸に優れた武者どもが、天朝の命を受け、群れをなしてやってくるのじゃ。山に巣くう、われらのような烏合の衆では、とても太刀打ちできない。やり過ぎたのじゃ」姫は身を震わせた。
「何の姉上。武者といえども、ものの数ではありません。わたしが打ち負かしてやります」
「無駄じゃ。わらわには山の行く末が、わが身の行く末が見えたのじゃ。定めには逆らえん」
「姉上、俺はその定めに逆らってみせます!」
項王は「城の守りを固める」と、足音を鳴らしながら、去って行った。
残された姫は褥の上で、よよと泣いていた。行く末を見通す力があるという噂は本当なのかもしれない。
太郎は姫に駆け寄ると、耳元で「姫。わたしと一緒に逃げましょう」と囁いた。こんなところにいれば、太郎も姫も、いずれは盗賊の一味として征伐を受けるに決まっている。
「逃げる?」姫は泣きはらした眼を向けた。
「わたしの村に行きましょう。姫一人くらい、わたしが養ってみせます」太郎がそう言うと、姫は嬉しそうな顔をした。
「山から逃げ出すことなんて、無理じゃ」
「大丈夫です。わたしに任せて下さい」と言ってみたものの、何か、考えがある訳ではなかった。出来るだけやってみるだけだと思った。姫を守らなければ――その思いでいっぱいだった。
「周郎、お前に任せた。支度をするので、庭で待っておれ」
姫の言葉で、太郎は庭に出た。月の出ていない闇夜で、逃げ出すには絶好の夜だった。太郎はじりじりしながら、姫が姿を現すのを待った。
ぎい――と戸が開いた。(姫だ!)と思った瞬間、激しい衝撃を感じて、太郎は意識を失った。
顔に水を浴びせられて、目が覚めた。
地面に転がされていた。目の前に項王が配下の賊を連れて立っていた。どうやら、庭で項王の部下に襲われ、気を失っていたらしい。
項王が言った。「周郎よ。お前のような卑怯者は、この山に必要ない。いっそ、斬り殺してやろうかと思ったが、命だけは助けてやることにした」
項王は屈みこむと、目の前に箱を置いた。ひと抱えもある縦長の大きな箱だ。紐できつく縛ってある。
「周郎よ。これを持って、村へ帰れ! いいか、村に戻るまで、箱の中身を見てはならん。忘れるな‼」項王はそう言うと、ぺっと唾を吐いた。
項王は配下の者どもと姿を消した。
太郎は門前に放り出された。
よろよろと立ち上がった。音宮の姫は身柄を項王に押さえられてしまったようだ。姫の存在は山の象徴として必要なのだ。山賊たちが一致団結するには、姫がいなければならない。姫は来ない。
太郎は箱を抱えると歩き始めた。
野を超え、山を越え、歩き続けた。やがて、太郎は懐かしい村に戻った。だが、そこは焼け野原になっていた。盗賊に襲われたのだ。村は廃墟となっていた。腐臭を漂わせる遺体が、そこかしこに転がっている。漁師仲間の遺骸もあった。脳天を割られていた。
食糧を奪われ、村人は根絶やしにされていた。
あの日だ。城で宴会があった日だ。あれは太郎の村から略奪した食糧だったのだ。亀は間者として、村の様子を探りに来ていた。年貢米の略奪に失敗した項王は、かねてから目をつけていた太郎の村を襲ったのだ。そして、亀がそれを手引きした。
抜け抜けと太郎に「おらが一番の功労者だ」などと、よく言えたものだ。
だが、それもこれも、太郎が招いた
太郎の親も親戚も漁師仲間たちも、全て殺されてしまった。
「あ、ああああ――」太郎は悲鳴を上げた。
太郎は抱えていた箱を降ろした。「村に着けば箱を開けろ」と項王は言っていた。この箱の中には何が入っているのだろうか?
太郎は紐を解いた。
恐る恐る蓋を開ける。真っ黒なものが見えた。
「ひ、姫! なんてことだ! こんな――」太郎は言葉を失った。
箱の中には、姫の生首が入っていた。
琵琶の音が止む。
――いかがでございましたでしょうか。磯浜村の周郎のお話、楽しんでいただけましたでしょうか? 音宮の姫の首を見た、太郎の髪は一夜にして、老人のように真っ白になってしまったということでございます。
項王は戦を前に、音宮の姫の首を撥ね、山賊たちに決意を促したのでございます。そして、首を周郎に託しました。姫の首を丁重に葬ってもらいたかったのでございましょう。
その後、項王がどうなったか、気になるようでございますね。竜神山を竜城とか竜宮とかいうそうですが、山賊は武者たちの討伐を受けて、あっさり滅亡したそうでございます。項王は城を枕に討ち死にしたと聞いております。項王を攻め滅ぼしたのは、あの高名な
ええ、そうでございます。磯浜村があるのは、今の浦島の辺りでございます。浦島の太郎のお話といったりもするそうでございます。
了
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