ボタン

 どうやら、気を失っていたらしい。

 気がつくと、俺は真っ白な部屋の中にいた。壁も床も、天井も真っ白だ。窓はない。真っ白な壁はつるつるとした無機質な材料で作らており、壁にドアらしきものが見えた。

 だが、ドアノブがない。

 部屋の中からは、ドアを開けることが出来ないようだ。

 あまりの眩しさに目を覚ました。

 天井全体が光を照射しており、部屋の中は昼間のように明るかった。

 部屋の中央に、一本足の丸テーブルが立っていた。まるで、床から生えているかのようだ。床との間につなぎ目が無かった。

 部屋の中には、他に二人の男がいた。見知らぬ男だ。俺を含め、三人の男が床に横たわっていた。彼らも、たった今、目を覚ましたようで、「ううむ・・・」と呻きながら、気だるそうに立ち上がった。

「何処だ? ここは?」、「お前は誰だ?」、「何故、俺はこんなところにいるんだ?」

 質問が口をついて出る。だが、誰もそれに答えることが出来なかった。我々は気を失い、この部屋に連れて来られたらしい。分かるのは、それだけだ。

「眩しいな」、「これからどうなる?」、「あの壁にドアみたいなものがあるぞ。あそこから、外に出られるんじゃないか?」

 三人の男が壁に歩み寄る。ドアなのは間違いないが、ドアノブが無い。壁にはめ込んであるかのように隙間がない。

 これではドアを開くことができない。

 突然、床から水が湧き出てきた。かなりの勢いだ。

「おい!水だ」、「床から水が湧いて来ている」、「どこから湧いているんだ!」

 床も無機質な材料でできており、隙間が見つからない。なのに、染み透るかのように、床から水が湧いて来ていた。

 水が湧き始めると同時に、テーブルの上に四つのボタンが現れた。直径十センチ程度の丸型のボタンで、赤、青、黒、白に色分けされている。四つのボタンがいきなりテーブルの上に現れた。

「おい!ボタンだ。ボタンがテーブルの上に現れたぞ!」背の高い男が叫ぶ。

「何で、四つあるんだ? それも色が違う」

「これを押してみろと言うことじゃないのか? 四つの中に当たりがあって、当たりのボタンを押せば、ドアが開くんじゃないか?」がりがりに痩せた男が呟いた。

 じゃぶじゃぶと床から水が湧いてくる。あっという間に、水は、くるぶし辺りまで来ていた。

「ああ、そうかもしれないな」俺が言う。このまま、何もしなければ、水嵩はどんどん増して、我々は溺れ死んでしまうだろう。

「とりあえず、試しにどれか押してみたらどうだ?」

「外れだったらどうする? 外れたら、何が起きるんだ?」

「そんなこと、押してみないと、分からないだろう?」

 相談の結果、ボタンを押すことになった。三人で同時にボタンの色を言い、二人以上の意見が一致したボタンを押すのだ。「いいか、せえ~の~」で、三人、同時にボタンの色を指定した。

 白が一票、青が二票だった。

「青が二人だ。じゃあ、青のボタンだ。青のボタンを押すぞ⁉ いいか?」俺の言葉に、二人の男の顔に緊張が走る。水嵩は膝の辺りまで来ている。

 俺は青色のボタンを押した。

「パン」と不気味な音がした。ドアが開いたのかと思ったが、何の変化もない。次の瞬間、「あ、うううう――!」と背の高い男が頭を抱えて、苦しみ始めた。

「どうした⁉」、「頭が・・・頭が割れるように痛い! うっ、くっ、た・・・助けてくれ」

 背の高い男は、そういい残すと、どうと倒れた。暫くの間、零れるほど、目を見開らき、頭を抱えたまま、水しぶきを上げながら床に転がったが、やがて動かなくなった。

「おいっ!」首筋に手を当てて脈を取る。

 男は死んでいた。

「死んだ・・・」俺の言葉に、痩せた男は「ひぃ――!」と悲鳴を上げた。

 これは命を懸けたゲームなのだ。四つのボタンの中で、正解はひとつだけ。間違ったボタンを押せば、我々の誰かが死んでしまう。残りのボタンは三つ、生きているのは俺と痩せた男の二人だけ。当たりのボタンを押すことが出来れば、きっとドアが開く。

「間違ったボタンを押すと、俺かお前か、どちらか死ぬことになる・・・」

 流石に、これ以上、ボタンを押す勇気が無かった。

 だが、水嵩はどんどん増して行く。

 胸の辺りまで水が来た。「どうする? このままだと、俺たちは溺れ死んでしまうだけだ。一か八か、ボタンを押してみよう! もしかしたら、ドアが開くかもしれない」、「でも、もし、もし間違えたら、俺たちのどちらかが死ぬことになるんだぞ!」、「じゃあ、どうするんだ⁉ このまま溺れ死ぬのを待つのか?」痩せた男との言い争いが続く。

 結局、俺たちは命がけでボタンを押すことにした。今度は二人が納得する色を選ぶ。「赤だ。いや、白かな?いや、黒だ」、「俺は赤だ」

 なかなか決められなかった。

 そして、ついに、赤を選んだ。水嵩は既に顎の辺りだ。ボタンを押すには、水の中に潜らなければならない。「いくぞ!」俺は痩せた男に声をかけると、大きく息を吸って、潜った。テーブルがある。俺は泳いで行って、テーブルの端を掴むと、赤色のボタンを押した。

 水の中でよく聞こえなかったが、「パン」という音がしたような気がした。水面に顔を出すと、痩せた男が「あ、赤はダメだった~!」と言いながら、ぶくぶくと水中へ消えて行った。

 外れのボタンを押してしまった。

 だが、幸いなことに、俺は生き残った。残りのボタンは白と黒のふたつ。どちらかが当たりで、どちらかが外れなのだ。

 もう立ち泳ぎをしないと、足が届かない水嵩になってきた。どうする? このまま、溺れ死んだ方がましか、潔くボタンを押してみるか? 俺は考えた。考えに考えたが、結論なんて出ない。今度こそ、間違えれば俺の番だ。二つにひとつ、可能性は五分五分だ。文字通り、白黒つけるしかない。白か黒か、どちらのボタンを選ぶ?

 水嵩が増す。天井まで、あと三十センチ程度しかない。どの道、俺は溺れ死んでしまうのだ。覚悟を決めるしかない。息を吸い込むと、俺は潜った。テーブルまで必死に泳いだ。

――ままよ! 白だ。白のボタンに賭けてみる。

 俺は白のボタンを押した。

「パン」と頭の中で大きな音がした。


「博士、終わりましたよ」

「全く、人間は一人、見つけると、十人いると言うが、本当だな。駆除しなければ、どんどん増えて行く」

「しかし、博士。何故、こんな残酷なやり方で駆除するのですか?」

「太古の昔、我々のご先祖様がネズミと呼ばれていた頃、人間はご先祖様を捕まえると、籠に入れて、水に沈めて殺していたそうだ。だから、こうやって、同じように駆除してやるのだ」

「そうですか。でも、ボタンは何故、必要なのですか? どのボタンを押しても駆除の順番は変わらないのでしょう。それに、人間は三人なのに、ボタンは四つ、わざわざ色まで変えて。何故、ひとつ多いのですか? 何かの実験ですか?」

「人間がどういう行動パターンを取るのか研究しているのだよ。ボタンをひとつ多くしてあるのは、やつらに希望を与える為だ。人間は知恵がある。人数よりボタンが多いと、何か意味があるはずだ。ドアが開く? 水が引く? そう、四つ目のボタンは希望なのだ。溺れ死ぬのか、それともボタンを押すのか? 興味深いデータが取れたよ。ふふ。それにな。もうひとつ理由があるのだよ。人間に絶望を味わわせてやるのだ。やつらに希望を与えておいて、それを奪うんだ。そうすれば、深い絶望を抱えて死んで行くはずだ。まあ、ボタンがひとつ多いのは、私の趣味に過ぎないのだがね。ふふふ」


                                    了

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