みっつめの足跡

 化け物じゃない、か。……そう言われたって、どんな顔して会いに行けばいいんだか。

 その日の営業を終えようと店の片付けをしながら考え込んでいると、グラスを割ってしまった。


「くるりんがグラスを落とすなんて、珍しいのぅ」


 夜の営業用に照明を暗くした客席から、少女みたいな声が鈴のように転がる。可愛らしい声は面白がっている響きを持っている。


「考え事してたんだよ。ところで作業は終わったの?昼からずっとやってるけどさ」


「ぅぐ、終わっとらん!終わっとらんが、そんな顔してたらおじいちゃんだって心配するんじゃぞ!」


 テーブル席を占拠したカエルのような格好の少女が、絵を描いていた手を止めてこちらを見る。相変わらず突っつくと可愛らしい自称おじいちゃんだこと。ご多分に漏れず、この少女も仮想の住人だ。この路地裏で店を始めた頃に迷い込んできて、なんだ男かとのたまいやがって口論になったようなならなかったような。……閑話休題。

 この少女は、あのバケモノ坊主とは違いちゃんとした……というと語弊があるが、少女のようなナリをしていても手足がカエルのそれとなっているし、瞳孔も人のそれではない。自分と同じ人外だ。だからか、こいつと居ると妙に居心地が良い。が、そんな少女をあまり心配させるのも良くないな。こいつとはずっと良い悪友でありたい。


「昼に来た住職がいたろ?世話になった爺が入院してんだから、見舞いくらい行けって説教してきてさ。まあ、くるりも少しは不義理かなと思っていたわけさ」


「それならちょっと行って顔を見せてくるだけじゃろ。何をそんなに悩んでおるんじゃ。考えすぎるのは悪い癖じゃよ?」


 ケロケロと笑いながら言われてしまう。うぅ……。いや、確かにそうなんだけど……うーん。確かにそうなんだよなぁ……。


「おじいちゃんはの、くるりんの良いところに、悪いと思ったらちゃんと謝れるところがあると思っとる。だからそんな顔してないで、そのお爺さんに会って謝ってくるといいぞい」


「さっきも聞いたけど、そんな顔ってどんな顔だよ」


 思わず苦笑い。そんな変な顔をしていたかな。


「叱られたくない子どもみたいな顔じゃよ」


 ケロケロと愉快そうな笑い声が、薄暗い店内に転がった。



 そんなやり取りをしたのが、昨晩。

 いまは猫の姿で爺が担ぎ込まれた病院を遠巻きに見ている。もちろん朝のコーヒーは届け済み……だから、もう入院中の爺の顔はとっくに見てるわけだ。……もう帰っていいかな?


「人間たちはこれをバツが悪いなんて言ってるけど、バツってなんだよ……マルが良いとか言わねえだろうがよッ」


 そんな意味の無い呟きを零す。カエルの助言に大人しく従って店は臨時休業にしてきた。自分でもわかってる。基本的にクソ度胸で異常に軽いフットワークを発揮して行動力の塊みたいなもののくせに、肝心なときになかなか動き出せない。……カエルが言いたかったのはゆっくり話してこいってだけだと思うけど。


「はぁ……行こうか迷ってたらもう夜だよ……」


 もちろんずっと病院を見ていたわけじゃない。適当に付近の喫茶店でご飯をご馳走になったり、公園で缶コーヒーを飲んだりして踏ん切りを付けようと試行錯誤していた。


「寝てたら帰る。起きてたら話す」


 よし、と心に決めて各病室のヒサシを飛び移って爺の病室を目指す。生意気にも個室を使っている贅沢爺だ。その部屋はそれなりに高い位置にある。

 ……もしかしたら窓からの来客があることを想定して、個室を希望したのかもしれない。


 金があっても自分のことに使うのは惜しんでいたな。


 逆に、変なところに気を使って金を使う人だったな。


 前に検査入院した時は通常の病室だったな。


 そういえば船旅のときは雑魚寝の船室でも気にせず眠っていたな。


 ……ヒサシを飛び移るたび、記憶が蘇る。思い出が甦る。危うく足場を踏み外しそうになった。落ちても大丈夫だろうけど、目立ちたくはない。


 やがて、目的の窓辺へ辿り着く。


 まんまるの月から降り注ぐ青ざめた光が病室のベッドを照らしていた。


 空っぽのベッドが、明るく明るく照らされていた。


 月明かりを映すシーツは


 静寂の中に横たわる冷たい骨のような


 そんな、青白さをたたえていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ある記者の回顧録 くるり @Kururin0127

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ