ふたつめの足跡
ジジイが入院したという病院はすぐに知れた。戸籍上の身内である以上、入院したら連絡のひとつも来るわけだ。どうやら長くないらしい。……いや、知ってるが?
末期癌を抱えて10年生きてるジジイの先が長くないって連絡されても、なんというか、こう……反応に困るよね。そんなの10年前から覚悟してきて、いつでも自分のいた痕跡の一切合切を消せるように下準備してきてるこっちからしたら、今更なに言ってんだって話なわけで。しかしなんであのジジイまだ生きてんだ?
別に死んでほしいわけじゃないし、むしろ生きててほしいけどさ……考えてもわからないことは考えたって仕方がない。今は目の前の問題を片付けよう。そうしよう。
「ブレンドと、なにか甘いものを頼むよ」
突然に仮想空間にあるこの店を訪れた生身の人間が、そう宣ってテーブルをひとつ占拠している。僧服の裾を綺麗に翻して酒のケースをひっくり返した椅子に座っているのは場違いを通り越して何かの冗談かと思ったが、存在自体が冗談みたいな人なんだよなこの人。他の客がなんだアイツという風に横目で見てもどこ吹く風で店のある路地裏をキョロキョロと眺めて楽しそうだ。テーブルに座って注文をする以上、厄介な顔見知りだったとしても……客は客だ。そう思考を切り替え、コーヒーを淹れ、頂きものの饅頭を添えて持っていく。
「あの老いぼれも、ついに観念する時がきたのかね?」
持っていったら不謹慎なことこの上ないことを笑いながら言いやがる。顔見知りじゃなかったら熱湯ぶっかけて追い出すところだが、残念ながら自分もジジイも大変お世話になった人だ。ジジイも普段からこの人の悪態ついていたし、悪友同士こんなもんだろうと許すしかない。
「どうでしょうね。意外にお大師様より長生きするかもしれませんよ」
そう、ジジイに珈琲豆を渡して縁を繋いだお大師様だ。なんでひとりでこの店に来れてるんだ、とかジジイより確か10歳以上も年上だと聞いていたはずなんだけど、未だに恵比寿様みたいな風貌を維持しているあたり、案外とっくに人間やめていて死なないのかも。
「ボウズ、拙僧も人間のはしくれだからね。逝くときはちゃあんと逝くよ」
人間同士ならともかく、バケモノ相手に心を読まないで欲しい。あるかどうかわからない心臓に悪いお人だ。
「ホントに人間か怪しいから思ってんですけどね、ところで今日はなんの御用で?」
そもそもまだ現世に道が開いてもいないこの店に人間が、迷い込むならともかく自力で訪ねてくること自体がおかしい。まぁ、この人だったらなにをしても不思議ではないんだけれど。法力というのか、祓ったり浄めたりはもちろん、単純に視たり聴いたりも強い。
「大した用事ではないよ。ただそう、ボウズの予定を聞きにきたんだ」
問いかけに鷹揚に答えてくれるが、嫌な予感しかしない。
「……予定?」
「そうだとも。予定だ。予定を立てるのは苦手かい?」
猫だものなぁ、気紛れだよなぁ。と勝手に頷いているのはなんか腹立つな。
「お見舞いはいつ行くのか決めたのかね?」
絶句。
コイツはほんと、だから、嫌いなんだ。
「行く気がない、なんて親不孝なことは言っちゃいかんよ。あいつだってボウズが来るのを待ってるんだ。ちゃんと、会いに行ってやんなさい」
ほんと、嫌いだ。
死に目以外で会うつもりなんかもうなかったし、言葉を交わすつもりもさらさらなかった。爺は人間で、ボクはバケモノなんだから。
「戸籍上だけじゃなく、ボウズはヤツの息子だよ。それだけの情を交わしてきたってことだ」
「ジジイは人間だろう。アンタが言ったんだ、人間は人間らしく死ぬべきだ。バケモノと居ればそれだけ人間らしさを失ってしまうと」
「うむ、あの時のことは良く覚えているよ。ヤツがお前さんを連れてきて、子育てを教えて欲しいと言ってきたときのことはね。俺は反対したんだ。人間は人間らしく、バケモノはバケモノらしくあればいい、と。お互いに良いところがあるんだから、何も交わって良さを消すことはないだろうとね」
なにを。
「だからあの時こうも言ったろう、人間と居れば、それだけバケモノらしさが失われてしまう。と」
なにを言っているんだ、こいつは。
「お前さんはとっくに、バケモノではないよ」
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