【完結】殺したいほど憎いキミの、あの日のキミを狂おしいほど愛してる。
刺身
1.
魔女が厄災だと囁かれ出したのは、いったいいつからだったのかーー。
「銀の魔女。死ぬ前に、何か言うことはあるかーー」
見る影もなく荒れ果てた暗い屋敷で、黒い兜を投げ捨てた後でも漆黒を連想させる目前の黒髪の男。
その顔を見上げて、跪いた女はハッとした顔を見せるも、すぐさまその感情を消し去った。
「ーーございません」
その殊勝に見える女の態度に、黒い甲冑を身につけた男の長い前髪の隙間で、歪められる闇のような瞳がその苛立ちを物語っている。
「私の瑣末な命は、あなた様に捧げます。逃げも隠れも、致しません」
「ーー今の今まで雲隠れしていたと言うのに、見上げた心掛けだな」
揶揄する男の声にも女はピクリとも反応をせず、鎖で雁字搦めに縛られたまま俯けたその瞳を上げはしない。
「命乞いでもしたらどうなんだ。昔のよしみで、少しくらい情が動いて、苦しまぬ殺し方を検討してやるかも知れない」
「ーーその必要はございません」
多くを語らぬその女に、男は無性に苛立つのを止められなかった。
命乞いでも、泣き叫ぶでも、なんでもいいからその女の感情を見たくて、男は抜き身の剣をその女の首に突きつける。
赤い血が首を伝い落ちてすらも微動だにしない女に苛ついて、向きを変えた剣先でその顎を持ち上げた。
「ーー後悔するぞ」
「ーー伯爵様のお心が、少しでもお気の済みますようにーー」
人形のように何も映さぬその碧い瞳を、どのように歪めてやろうかと、男は奥歯を噛み割りそうなほどに噛み締めたーー。
ばちゃばちゃと水音だけがその暗く冷たい牢獄に響く。
息が途絶えるすんでのところ。酸素を求めて暴れ回る、後ろ手に拘束されたその細い身体が硬直し、力が抜けるのを見計らった。
力づくで水に浸した銀の長い髪を力任せに持ち上げれば、聞くに耐えない咳と、酸素を求めて喘ぐ悲痛な息遣いがその場に満ちる。
「ーーいい加減、魔女の汚い咳を聞くのも聞き飽きた。どうだ、そろそろ話す気分になったか?」
粗末な椅子に座って組んだ長い足を解き、頬杖を終えて立ち上がる。
拷問官に合図を出して、跪かせたままの水に濡れた顔を向けさせた。
「ーー答えろ。3年前、なぜ我が領地に毒を撒いた。何故俺の家族と領民を虐殺した」
荒い息を吐く銀の魔女は答えない。
「ーーなぜ、俺だけを助けたーー?」
氷のように冷たい、光を失った闇のように暗い瞳だけが、男の言葉にしない感情を訴えていたーー。
忘れもしない17歳の収穫祭。
あの日。安穏と暮らしていた天地は音もなくひっくり返った。
目覚めたらキミがいた。
いつも穏やかに笑って、大人しそうなのに意外と意志は強くて、惚れた方の負けなのか、どことなく姉さん風を吹かされる。
時折り何か言いたげな顔をするけれど、目を伏せたその赤く染まる白い頬に触れて、柔らかな唇を重ねた時は、この世のものとは思えないほどの幸福を感じた。
青臭い感情そのままに、例えこの世界の全てを敵に回してでも守りたいと、本気で思っていた。
その情動が収まらぬうちに、月のような銀髪を夜風になびかせて、いっぱいの涙をその碧い瞳に溜めた顔を見上げたあの夜ーー。
「 」
名前を呼べば、弾かれたように身体を震わせて、更に大粒の涙が顔に溢れてきた。
「ごめんなさいーーっ」
虚な意識でその顔をぼんやりと見上げれば、堪えきれなくなったように、幼い子どものように泣きじゃくった。
伸ばした手は、逡巡したその細くて白い手に触れることはなく、再び地へと落ちる。
次に目が覚めて身体を起こした時には、その姿は幻だったかのようにかき消えていた。
その姿だけが忽然とのいなくなった世界で、冷たくなった両親と弟の骸をその腕に掻き抱いて、地に蠢いてうめき苦しむ領民たちを前に、1人呆然とした。
それからずっと、ずっと、ずっと、殺したいほど憎いキミを、黒い亡霊と囁かれながら探し続けていたーー。
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