3.

「で、どうされたい?」


「ーーどう……とは……?」


 光も入らぬ夜とも昼ともわからない牢獄の中で、水に濡れたまま手枷と足枷をつけて冷たい石の床に転がされていた女。


 使用人によって乱雑に檻から連れ出され、水責めに消耗し、満足に休めなかった身体を引きずられるようにして歩く。


 荒れ果てた様子の辺境伯の屋敷を伺い見ながら、女は促された湯浴み場で乱雑に身体を洗われて、質素なドレスを着せられた。


 歩ける程度の鎖の足枷と鉄の手枷をされて、伯爵の寝室に引き立てらた女は、そのまま押し入れられた入り口に立ち尽くした。


 蝋燭の灯りが揺れる薄暗く簡素なその部屋は、一見すれば豪奢ではあるものの、手が行き届いているとはとても言えない荒れ様だった。


 一礼した使用人から女の拘束を解放する鍵を受け取ると、簡素な夜着をきた男は値踏みするように女を上から下まで見下ろす。


 虐げられていても美しいことがわかる女は、まるで夜の月のように静かに清廉で、その美しさを溢れさせていた。


「ーー相変わらず、怒りを覚えるほどに美しいな」


「ーーーーっ!」


 ハッと嘲笑とも取れるように顔を歪めると、男はその大きな手で女の細い首を捕らえ、今し方入ってきたばかりの扉へとけたたましい音と共に荒々しく押しつけた。


「ーー人を魅了させることは魔女の十八番おはこだとか。銀の魔女。やはりお前もなのか?」


「………………っぁ…………っ」


 苦しそうに呻く碧い瞳を、男は鼻先が触れそうな近さで、威殺しそうな気迫の深淵の瞳で睨みつける。


 力なく空を蹴る足と、弱々しく自らの首を絞める腕に触れる拘束された両腕は、抵抗する気力がないのかその気がないのか。


 感情か息苦しさか、はたまた両方か。涙の滲む碧い瞳の際から零れ落ちた雫は、男の顔をさらに険しくさせる。


 ちっと舌打ちした男は女を吊り下げていた手を離すと、床に崩れ落ちてゲホゲホとむせる女を嫌そうに見下ろした。


「ーーまただんまりか」


「ーーぁ……っーーっ!」


 ぐいと乱雑に引っ張られた銀の髪の痛みに、女が小さく声を上げる。それに構わず、男はズルズルと女の体躯をベッドの脇まで引きずると、自らはボスんとその端に腰掛けて首を鳴らした。


「で? どうされるのがお好みだ? 無理やりか? 辱めて欲しいか。頭数を集めるという手もあるな。昨日の拷問官なら女を壊す道具も色々持っていそうだし、お前の喉が鳴き切れて許しを乞うまで、徹底して嬲る用意はできてるぞ」


「……………………」


 俯いて黙ったままの女に、男が痺れを切らすのは遅くない。


「ーー銀の魔女なんて大層な名前に、人の気を惑わす容姿まで持っている。も、慣れっこかーー」


 ダンという大きな音と共に、男は仰向けに倒した女のドレスを踏み締めてその体躯を床に縫い留めた。


 まるで針で縫い留められた蝶の標本のように、その姿は儚く物悲しくも美しく、男の視線を吸い寄せる。


「ーーそれなら、のように、恋人ごっこでもしてやろうかーー?」


 窓から差し込んだ月明かりに照らされた俯く男の顔は、苛烈な怒りと胸を抉るような悲痛さを共存させ、今にも泣き叫びそうな面持ちを浮かべる。


 酷い扱いをされているはずの自身の胸の方がズキリ痛むようなその男の顔を見上げて、女は血の味が滲むほどに、床に縫い留められたまま唇を噛み締めたーー。






 その日は少し油断をしていた。


 苔によってつるりと滑った足を、無理に庇おうとしたのが不味かった。


 先に庇おうとした右足は捻ったことで鈍く痛み、庇った左足はそれ以上に腫れ上がって赤黒くなるという最悪の状況。


 幾度か立ち上がることを試してみるも酷い痛みはそれを許さず、森に分け入った川のそばに青年を繋ぎ止める。


 近く日も暮れそうな時刻に、青年は焦る心を落ち着けることを努めて意識した。


 何とかしなければ、夜になれば狼も出る。


 領内が賢主である辺境伯のおかげで治安が安定しているからと、いつものように使用人を置いて来たことを少し後悔した。


 しばらく1人であくせくとして、青年はばたりとその場に仰向けで倒れ込む。


「とりあえず落ち着こう。少し休めば多少動けるようになるかも知れない」


 自身にそう言い聞かせるように呟いた焦燥が見え隠れするその顔に、不意に影が落ちる。


「あの………………大丈夫ですか?」


「え……っ」


 薄赤く染まり出した夕焼けに、朱に照らされて輝く銀の長い髪に、涼やかな碧い瞳の見たこともない美しい娘がおずおずと青年を覗き込んでいた。


 そのあまりの美しさに、青年は束の間目を見開いたまま言葉を発することも忘れ、仰向けで逆さに映るその娘を凝視する。


「あの………………?」


「あっ! いや、すまない、ちょっと足を怪我してしまって……っ!!」


 困惑したように後退る娘にハッとして、青年はあわあわと何かの生き物のように手足をばたつかせた。


「ーーーー恐らくあなたが転んだ頃くらいから見ておりましたので、動けないのはわかっています」


「えっ!?」


 思いもよらない娘の言葉に、青年はピシリと身体を震わせて停止した。よく見れば、娘の背後には水汲みと思われる水の入った壺が置かれていた。


「ーー少し、おみ足を拝見させて頂いてもよろしいですか?」


「え、あ、はい、あ、ありがとう……………………ござい…………ます…………っ」


 娘に言われるがままに、青年は大人しくその両足を差し出す。


 細くて白い腕と指先が、とても丁寧に優しく自らの足首を滑る様から、青年は視線を動かすことができない。


 娘が現れてからドキドキと収まる気配を見せない自身の鼓動が、娘に伝わっていないかとそんなことばかりが気になった。


「ーー右足はともかくとして、左足は下手をしたら折れているかも知れませんね…………」


「で、ですね…………っ」


 真剣な面持ちの娘とは対照的に、しどろもどろになりながら悠長な返事をする青年の黒曜石のような瞳を、娘の碧い瞳が捉える。


「固定できそうなものを探します。何とかお支えして村の方までお連れしますのでどうぞご安心ください。夜には獣が出る恐れがありますから、急ぎましょう」


「あ、ありがとう…………っ」


 テキパキと見惚れるような処置をして、その潰れそうに細い体躯で大粒の汗を流しながら、荒い息で青年を村の外れに送り届けた娘。


 人里へ帰って来れたことにホッとした青年の一瞬の隙をついて、娘はまるで幻だったかのようにその姿を消していたーー。






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